憧憬、大艦巨砲主義w

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こっち側(作文途中)。

2010-10-20 00:15:46 | 機体と人命を尊重する
神奈川から帰葉いたしましてココ一年位でしょうか、イロイロと思うトコロがアレしてきたかな、なぁんて思っていたんです。
書くタイミングというか、そういうのもありまして。

神奈川に1年いて、家庭や仕事のコトは別として、最大の出来事ってば、やっぱり事故なんです。
結果としては、別段の大ケガもなく、バイクがダメになっちゃった、そんな程度のだったのです。
ですが。
モノの見方は大きく変わったワケなのです。
ええ。
オレ自身のモノの見方ではなく、周りのオレに対する見方が、です。
ソレによって、自分の価値観も影響をうけつつあるのかしら、なんて思ったりしまして。

バイクの絡む部分でのオレの人生には、大なり小なりいくつもの前提というか、不朽の部分があります。
機体と人命を尊重する、というテーゼの各項は端折りますが、問題はそのアンチテーゼのほうです。
たとえば、遵法という社会のルールはあるけれど、100%のソレは誰にとっても味気ないし、遵法という行為自体が誰にとっても斟酌の対象だというコト。
たとえば、自己責任な運転行為であっても、公道上では無責任な利害関係者によって責任を追及されるというコト。
たとえば、ステイクホルダー達にとっては、速度と危険は比例しても、そうでない者も路上には散見されるというコト。
たとえば、全く落ち度がなくても、与条件に不備がなくても、被害者もしくは受傷者になりうるというコト。
そして、安全や遵法とは全く別の高度な次元で、ソレらにそぐわない価値観がオレの中にも実在するというコト。

このテーゼとアンチテーゼのせめぎ合いに揉まれるコトを承知で、オレは、バイクというどうでもいいようなモノに傾倒しているのです。
そして、そういう考え方をしているかどうかは別として、オレから見れば、ライダーなんてのは誰もがこの揉まれの中で生きてるのだと思うのです。





まだまだ、書きたいことの25%まで、なんです。
ですが、何だか今日は、通信状況がよろしくなくて。
ええ、ちゃんと書いてたんです。
残り20%位のトコでセーブをポチっとしましたら。
「IEでは表示できません」
。・゜・(つД`)・゜・。

寝ます。
続きはまた、数日中に(笑)。
コメント (6)
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