憧憬、大艦巨砲主義w

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カンバン復活。

2017-12-06 23:49:54 | バイク四方山

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか。
その投げかけは、個に転じますのです。
私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか。
そこから先は、中二病ですなw

誰かが語る明確な解は、その誰かの薄っぺらい生き様を明確に映し出すでしょう。
形而上、もしくは普遍的な解なんか、一人の一生で得られる簡単なブツではなさそうですし。
もし普遍的な解があるなら、何世代も神の名のもとに争ったり、そういうのもっと減るとも思うです。



poitaが思うトコですが。
かつて「その最後の映画」と表現した映画がありましたです。
死の瞬間、意識を失う前に一生を振り返る映像を見るだそうです。
解はそこに、その映画を見た後に言葉になる、そんな風に思うのです。
生命の熾火が失われる瞬間に、それを得ることができる予感。
はて、自分は、どんな言葉を口にするんでしょうかねぇ。
きっと、多数派の一部なんでしょうことは容易に想像がつきますのです。



モブとして、モブから生を受けた事実など、日常、意識しませんですよ。
ちがうな、意識しようとはしませんのでございます。
だって、それこそ、存在価値を否定するばかりの意識に直結してしまうじゃないですかw
しかし、否定されている存在価値ばかりが現実なのでしょうか。
ええ、儚くもその結論が予感されている迷いこそ、①の疑問に回帰してしまう動機に他なりません。
駄菓子菓子。
「その最後の映画」まで、お楽しみに待て、ってワケなのでございます。
まったく、ヒトをコケにしたオハナシでございますwww



バイクに乗る、ということにささやかな誇りを感じることができる者は幸いだと思うのです。
大多数の「バイクを使う者」と少し違うトコでございます。
「危険」「無価値」とされる価値に価値を見出すことに成功した者でございます。
バイクが危険で、大型バイクは実用性も希薄で、コストも尋常でないw
だからこそ、我々は生き方のありように考え込むことができるような気がします。
まぁ、書道だろうが、アニメ鑑賞道だろうがそういう部分あるでしょうけれど。
んでも。
ささやかに賭命な側面もあるのが、バイクらしい美学を生み出すとも思うです。
「無価値」とされる価値に価値を見出した証左でございますともw



③モブなんですがね、④それなりのアレもあるわけですよwww
モブ=白色レグホン
それなりのアレ=かかってコイやぁゴルぁっ!
まぁ、勝ち負けは優勝劣敗なんでしょうけど。
そう容易には、ツブれませんとも。
痛い程度にはツツいてあげますともwww




チームの体裁、もう、ないんですが。
コストと納期がアレですがw
復活いたしますとも!

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