山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

また逢うその日まで~JA-22W~

2011年01月27日 | ドライブ

スズキのジムニー、私の好きな車です。
魅力は、まるでおもちゃみたいな可愛らしさと、見栄を張ったような無骨さの、アンバランスさ。

  

JA-22W とのはじめての出会いは、一代目マイジムニーが、花巻の無人キャンプ場からの帰り、壮絶な「死」を遂げて逝ったことがきっかけでした。
新車で購入した一代目は、旅好きの私の為に走行距離は、160000KMをオーバーしており、ついに、バック~順々にギアが入らなくなり、その間にも北上まで頑張って南下し、とうとう赤信号ともに、完全停止。そして、レッカー。

そうして、ためらいなく、新車JA-22W を購入。
この時のジムニーは「最後のワイルドウィンド」。

その後、ジムニーは、完全受注生産へと変遷していきます。

JA-22W と私は、全国を旅しました。
行ってないのは、沖縄と、石川と富山と福井。
たとえ素通りでも、全国を走りました。

秋田犬「麿」を乗せて、真夏の紀州を走った時は、エアコンが後部座席にまで行き届かず、ホームセンターで、塩ビパイプを買ってガムテープでエアコンの吹き出し口と繋ぎ、後部座席に冷風が行く…そんな工夫もしながら、1か月半の日本縦断のキャンプ旅をした記憶が今でも新鮮に思いだされます。


思いがけず、九州のわけのわからない山奥で、降りしきる豪雨のなかで、木材搬出用の、細い林道に迷い込み揚句に何キロも崖をバックしたり、指宿で途方に暮れたりと…

そうして、あっという間に14年も経ちました。



秋田犬はもう先に逝ってしまい、私も年をとりました。
JA-22Wは、160000KM以上走ってくれました。



おかげで、心臓もくたくたです。
車は、機械かもしれませんが、私にとっては、思いの通じる仲間のような存在になっていました。

さよなら、ありがとう、ジムニー。
最高JA-22W 。

いつか、また逢える日まで。


どんと祭

2011年01月16日 | 神社・仏閣

お正月が終わり、初詣で頂いて差替えたお札や、お正月飾りは不要になります。
皆さまのお住まいでは、それをどのように処分されていますか?

私のまちの習慣では、1月14日に神社の境内で正月飾りを焼く風習があります。
それを「どんと祭」と呼んでいます。
その日は、日中からお正月飾りなどが、神社の境内に持ち込まれます。




夕刻になり、各々の神社の神主さんがお炊き上げの儀式をし、点火した後は、ぞろぞろと人が集まり、自らの手でお飾りなどを火の山に投げ込みます。

御神火にあたることで一年の無病息災・家内安全を祈願するのです。
その日は、消防士さんが神社で火の管理をし、安全を守ってくれています。

県内最大規模のものは仙台市の大崎八幡宮の松焚祭(まつたきまつり)で、300年の歴史がある行事となっています。
松焚祭は無形民俗文化財として「裸祭り」で有名で、白鉢巻・白さらしを巻き、白足袋・わらじの装束に身を包み、氷水で水垢離をした後、神に息かけないためとして「含み紙」と呼ばれる紙を口にくわえたまま、右手には鐘を、左手に提灯を持って徒歩で参拝し、御神火を渡り、火にあたるというもの。
もともとは仙台藩内に来て日本酒の醸造をしていた南部杜氏が、醸造安全・吟醸祈願のために参拝したのが始まりなのだそうです。



御神火にお腹や手をあて、背中にもあて、これからの健康や幸せをお祈りします。
体がホカホカになり、エネルギーが沸いてくるようです。

ちなみに相方は、この行事を「ドント焼き」と勝手に呼んでます。
出身の首都圏では、お正月飾りは生ゴミとして処分していました。
地方によって、ざまざまなお正月の終わり方があるのが面白いですね。