4月24日、新宿は桜が散り始めていました。
新宿の大京町から千駄ヶ谷方面の、内藤町にあるのが多武峯内藤神社。
かつて、家康は入府のあと、譜代の内藤清成を呼び「馬で一息に回れる土地を与えよう」といい、清成の乗った駿馬は南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷と回りきり、疲れ果てて死んでしまったとか。
文化13年(1816)に内藤家の森林の管理役となった中家休昌・木下正敷が樫の古木の下にに塚を造り、駿馬塚の碑を建てました。
広大な江戸屋敷の敷地を有していた内藤家。
内藤家は、藤原氏の末裔であったことから、屋敷内に藤原氏の氏神である奈良の多武峯神社を祀りました。
桜の花弁でピンク色の参道。
もともと新宿御苑にあったものを現在の地に遷座したそうです。
この場所は、鉛筆の歴史を誕生させた場所でもありました。 明治20年(1887年)、三菱鉛筆の創業者、眞崎仁六は水車を動力とした鉛筆工場を建て、鉛筆工業生産を開始したそうです。(三菱鉛筆株式会社の前身「眞崎鉛筆製造所」)
ぶらりと小路に迷い込めば、知らない歴史にリンクしたり、面白い発見や美味しい匂いが漂い、色香がある、それが東京の魅力だと私は思います。