「佐羽根山」にオープンした「さばね山そば」さんに向かう途中には「舟形町歴史民俗資料館」があり、日本最大級の縄文時代の八頭身土偶「縄文ビーナス」(国指定重要文化財:平成4年に町内の西ノ前遺跡で発掘され、現在山形県立博物館に展示)のレプリカが展示されているそうです。
園内には、こぢんまりとですが「あやめ園」がありました。
佐羽根山は奈良時代の頃より道があったとされ、多賀城から城輪柵・払田柵・秋田城へと向かう峠道として存在していたとされるそうです。
凄い長い歴史のある街道なんですね。
江戸時代、新庄藩と尾花沢(天領であった)との境界になったことで、現在も藩境を示す石標が残されているそうです。
その後、久保田藩(秋田藩)が中心となって羽州街道の整備を行い、庄内・秋田・津軽の諸大名の参勤交代道として使われるようになり、猿羽根峠から尾花沢にかけての区間は久保田藩によって開削されたとされ、かつては「佐竹道」と呼ばれたそうです。(現在ほとんど現存せず)
峠の麓にある舟形宿からは出羽三山参詣路であった舟形街道が分岐し、全国の修験者も多く行き交い、幕末には維新の志士が多く行き交ったそうです。
明治時代、三島通庸によって馬車の通行が可能な「猿羽根新道」を開削し、明治10年に開通したことにより、山形県最上地方のみならず、東北北部全体が近代化に向けて発展することになりました。
イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが猿羽根新道開通の翌年に訪れた時には、峠の麓から見た最上川の風景を「日本奥地紀行」の中で絶賛し、猿羽根峠自体も立派な並木道を好印象を持って記し、逆に舟形では、家々がみすぼらしく板戸が閉じており陰鬱であるとか。
昭和36年には、猿羽根峠の下を貫通する国道13号「猿羽根隧道」(全長433m)が建設され、その後東北中央自動車道の一部である尾花沢新庄道路が完成すると、猿羽根峠の区間には「舟形トンネル」(全長1,368m)が作られ、車道の勾配すらなく越えられるようになったとのこと(wikipediaより)
そいういった歴史のある猿羽根山は「日本三大地蔵」が祀られています。
最上48地蔵尊菩薩御札所 第48番打留霊場とされ、古くから縁結び・子宝・安産・延命にご利益がある、お地蔵様として千年の歴史とともに信仰を集めてきました。
その時代の変遷と共に主たる交通手段が車社会へと変化しましたが、猿羽根峠とその歴史を忘れてはならない気がしてなりません。
猿羽根山地蔵尊堂の周囲はかつて公園として、猿羽根スキー場、土俵、望台、舟形町民俗資料館、農業体験実習館などが整備され、かつては、観覧車やミニ鉄道、遊具を備えた猿羽根山遊園地とも親しまれましたが、20年前には閉園。
現在でもこんな素晴らしい土俵を備えながら、その歴史を忘れられてはならないと思います。