山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

猿羽根山

2012年07月31日 | ドライブ

「佐羽根山」にオープンした「さばね山そば」さんに向かう途中には「舟形町歴史民俗資料館」があり、日本最大級の縄文時代の八頭身土偶「縄文ビーナス」(国指定重要文化財:平成4年に町内の西ノ前遺跡で発掘され、現在山形県立博物館に展示)のレプリカが展示されているそうです。

園内には、こぢんまりとですが「あやめ園」がありました。

佐羽根山は奈良時代の頃より道があったとされ、多賀城から城輪柵・払田柵・秋田城へと向かう峠道として存在していたとされるそうです。

凄い長い歴史のある街道なんですね。

江戸時代、新庄藩と尾花沢(天領であった)との境界になったことで、現在も藩境を示す石標が残されているそうです。

その後、久保田藩(秋田藩)が中心となって羽州街道の整備を行い、庄内・秋田・津軽の諸大名の参勤交代道として使われるようになり、猿羽根峠から尾花沢にかけての区間は久保田藩によって開削されたとされ、かつては「佐竹道」と呼ばれたそうです。(現在ほとんど現存せず)

峠の麓にある舟形宿からは出羽三山参詣路であった舟形街道が分岐し、全国の修験者も多く行き交い、幕末には維新の志士が多く行き交ったそうです。

明治時代、三島通庸によって馬車の通行が可能な「猿羽根新道」を開削し、明治10年に開通したことにより、山形県最上地方のみならず、東北北部全体が近代化に向けて発展することになりました。

イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが猿羽根新道開通の翌年に訪れた時には、峠の麓から見た最上川の風景を「日本奥地紀行」の中で絶賛し、猿羽根峠自体も立派な並木道を好印象を持って記し、逆に舟形では、家々がみすぼらしく板戸が閉じており陰鬱であるとか。

昭和36年には、猿羽根峠の下を貫通する国道13号「猿羽根隧道」(全長433m)が建設され、その後東北中央自動車道の一部である尾花沢新庄道路が完成すると、猿羽根峠の区間には「舟形トンネル」(全長1,368m)が作られ、車道の勾配すらなく越えられるようになったとのこと(wikipediaより)

そいういった歴史のある猿羽根山は「日本三大地蔵」が祀られています。

最上48地蔵尊菩薩御札所 第48番打留霊場とされ、古くから縁結び・子宝・安産・延命にご利益がある、お地蔵様として千年の歴史とともに信仰を集めてきました。

その時代の変遷と共に主たる交通手段が車社会へと変化しましたが、猿羽根峠とその歴史を忘れてはならない気がしてなりません。

猿羽根山地蔵尊堂の周囲はかつて公園として、猿羽根スキー場、土俵、望台、舟形町民俗資料館、農業体験実習館などが整備され、かつては、観覧車やミニ鉄道、遊具を備えた猿羽根山遊園地とも親しまれましたが、20年前には閉園。

 

現在でもこんな素晴らしい土俵を備えながら、その歴史を忘れられてはならないと思います。


さばね山そば

2012年07月29日 | 蕎麦

久しぶりに蕎麦の旨いお店を発見しました。 

山形県尾花沢市と最上郡舟形町との間にある「猿羽根峠(さばねとうげ)」の地蔵堂の傍にあります。

この峠には古い歴史があるのですがそれはあとにして、まずはお店に入ってみましょう。

天井が高く開放的で古民家風のこぢゃれた雰囲気。

なんでも店主が自ら建物を改装するという、思い入れのお店です。

 

窓際の席からは雑木林の向こうに山の稜線がぼんやりと見えました。

風を伝って流れてくる山の、緑の香りに癒され、時間がゆっくり流れるような気がしました。

隣の地蔵堂の線香の香りがほのかに香ってくるたび、この地がとても特別の場所のような思いがしてきました。 

蕎麦を待っている間に、揚げ蕎麦とおかずが運ばれてきました~。

トロトロの新鮮なぬめりの蕨とシソの実をまとった胡瓜の浅漬け・・・ひとくちごとに思わず笑みがこぼれ・・・♪

このおかずは、ざるそば(800円)についているサービスです。

相方は、さらにおかずが3品にデザートがつく、さばね山そば(1200円)をチョィス。

ついつい生酒もオーダーしていまいましたが、このおかずを頂きながらのお酒は格別だったようです。

その日は、身欠き鰊煮と山菜の煮物、定義山の縮み豆腐の煮物でした。

どれもとってもやさしい味わいで、心をこめて丁寧に調理されているのが解るおかずです。

手打ち蕎麦がいよいよ運ばれてきました~♪

この薬味皿は、店主の作品なのだそうです。

おろしたての本わさびと大根おろし、長葱と三品そろった贅沢な薬味です。

雪室そばを使った蕎麦は、十割ならではのコシと風味に加えて、蕎麦の甘味がほんわかと香ります。

甘すぎず、しっかりと寝かしてマイルドになったつゆとの相性も良いです。

ともかく「蕎麦」と「おかず」と「この自然のなかの雰囲気」が互いに引き立て合い、三位一体となって、この時間を生きる喜びを与えてくれるのでした。

食べることとは身も心も満たすものだと、ふいにそんな気分になった私でした。

黒七味で頂くお蕎麦はなかなか色香があって、その残りつゆで蕎麦湯を飲めば、今まで 頂いたことがないようなえもいえぬ味わいなのでした。

最後に「さばね山そば」につくデザートを頂いたら、心から充実感に満たされたのでした。(写真:その日は梅酒の梅ゼリー)

このお店は、6月20日にオープンした新店ですが、味の完成度は高いと思います。

ご馳走様でした!

 

■さばねやまそば

住所 山形県最上郡舟形町字堺の峰2981

時間 11-14時

TEL 0233‐32‐2792

*店主さんのお仕事の都合によっては、不定休になるそうですので、事前にお問い合わせをお勧めします*


銀山温泉「銀鉱洞」

2012年07月28日 | ドライブ

そば処瀧見館さんから見える「白糸の滝」は、滝壺のそばまで近づくことができます。

滝しぶきが、天然のミストシャワーのように降りそそぎ、とても涼やかな場所です。

 

流れる水も透明です。

この縁石を向こうへ渡ってみましょう。

「鬼子母神」、「こうもり穴」を経て滝の上にでます。

この森林の中の遊歩道は、かつての鉱山跡地へと続いているのです。

「せとこい橋」を渡ると、「斉藤茂吉の歌碑」がありました。

雑木林の一面の緑と小川のせせらぎが心地よい場所です。

 

銀山という所以が偲ばれる、岩石の開いた穴。

中でも「夏しらず抗」は、中へ入ることはできないものの、入口から天然の涼風が絶え間なく吹きつけてきました。

自宅のエアコンなら風速は最強、冷たさは冷蔵庫内の冷感です。

ちょっと広い場所に出ました。

これを突き進むと今は廃村となってしまった「上の畑」がありなす。

天保年間にその村では「上の畑焼」が焼かれ、雪国に生まれた磁器、東北4代古窯の一つなのだそうです。

現在「上の畑焼」は温泉入口の「上の畑焼陶芸センター」で再現されています。

「おもかげ園」という場所にでました。

トイレなどの施設が完備されていました。

庭園風の池には、鯉が泳いでいました。

この石碑の上に銀山発見伝説の儀賀市郎左衛門の像があった様子ですが、震災の影響でしょうか、像はなくなっていました。

 

銀山温泉の所以となった「銀鉱洞」へ。

400年前の銀山のにぎわいが偲ばれる国指定史跡「銀鉱洞」入口。

少し怖いような・・・

思い切って突き進むと、想像もできなかった光景が広がっていました。

照明のおかげで、幻想的な雰囲気、洞窟ならではの涼感と水の滴り・・・

これだけの施設が無料で見れるのは、素晴らしいと思います。

冒険心と好奇心が満たされたた私は・・・

 ひたすら山道を歩く歩く・・・

やがて広場のような場所に出ました。 

杉の木立に取り囲まれた「山の神神社」です。

ちょうど「亀屋」さんの裏手あたりの場所です。

ここから温泉街へとつながっています。


そば処 瀧見館

2012年07月27日 | 蕎麦

もともと旅館だった「瀧見館」さんは、山の上に新館を建設したため、以前の建物を蕎麦屋として営業しています。

川に掛けられた橋を渡ると・・・

かつての旅館を偲ばせる玄関。

下足をしまい、店内に上がると「白糸の滝」と呼ばれる滝見のカウンターがありました。

店内は、テーブル席や小上がり席もありました。 

ざるそば(1050円)は、地元産の粉を使用した十割蕎麦で、おかずがつくそうです。

 なんと、豪勢な振る舞いではありませんか。

「まずは水蕎麦で手打ちの十割蕎麦の風味を味わって下さい」とのこと。

氷でキュンとしめられた蕎麦は、コシもあり、ふんわりと柔らかな蕎麦の甘味が鼻孔に抜けます。

ざるに盛られた蕎麦もキリリと冷たいのかと思いきや、蕎麦はそう冷たくもなくゆるりとした印象。

お椀の氷水に浸し、汁につけると、蕎麦の食感が変わるから不思議ではありませんか。

温度、環境、つけ汁に翻弄される手打ちそばの宿命と、その繊細な感覚を楽しめる味覚と触角があることに命の幸せを感じました。

けれど手打ち蕎麦に肝心のつゆは、どうしてかな煮詰めすぎたか調合を間違えたか、そのつゆの味自体かなりバランスの悪いものでした。

おかずは地元の自然な食材を使用しているそうです。

サクランボのお漬物は山形でしか味わえないかもしれません。

 

 ■そば処 瀧見館

住所 尾花沢市銀山新畑450-1

TEL 0237-28-2527

時間 11:30~13:30 50食限定

 


銀山温泉が好きなわけ

2012年07月26日 | ドライブ

山形の銀山温泉は、私にとって深い思い入れがあります。

もともとは江戸時代初期の大銀山で栄えた場所、ロマン溢れる山間の温泉街、NHK「おしん」ブーム・・・

はじめて訪れた時の、レトロな感覚がその当時若かった私の目に新鮮に映り、それからは毎年温泉を愉しみに訪れるようになりました。

夏の季節の足湯は熱いかも。

源泉が引かれた場所では、白い湯花がフワフワしていました。

ナトリウム―塩化物・硫酸塩温泉(低張性中性高温泉)で、源泉の泉温は計測時で63.8℃。

震災後は、すっかりご無沙汰となっていましたが・・・

なんとなく最近は、「平成風和モダン」も加わってきたのでしょうか。

昭和61年に「銀山温泉家並保存条例」が制定され、風情ある旅館を保存し観光復興に生かすことになった銀山温泉街ですが、その中でも昨今「藤屋」さんは、 外観も料金も抜けている印象があります。

けれど私が銀山温泉で最も好きなのは、厳しい自然のなか、心や体を癒そうとする人間の命の循環や葛藤を感じるレトロモダンな街並み。

温泉街を歩き進めると、まだ残っているかつての時代の名残に、なぜかホッとする昭和な私でした。