西国33観音巡礼 第15番今熊野観音寺さんを後にし、「三十三間堂」を拝観することにしました。
敷地に入ると、警備員さんに自転車を止める場所を指定されました。
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は南叡山妙法院(天台宗)の境外仏堂につき、建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
この地には元々、後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があり、その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、現在の三十三間堂。
上皇が眠る法住寺陵は三十三間堂の東隣に現存。
上皇が平清盛に建立の資材協力を命じ、西暦1165年1月30日に完成したという。
創建当時は五十塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失。
文永3年(1266年)に本堂のみが再建(現「三十三間堂」)。
建築様式は和様で、当時は朱塗りの外装、内装も極彩色で飾られていたといわれているそうですう。
桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備されたそうです。
「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」に由来します。
「33」は観音に縁のある数字で、「法華経」等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによるもので、俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからなのだそうです。
まずは外回りを見学しました。
写真に納まらないほどの建物の大きさに圧倒されます。
このなかに観音様が立ち並んでおられるとは、すごいことです。
建物外部から見る柱間は35あるそうで、正面には7間の向拝があるが、この区域は慶安2〜4年頃の増築。
小さな庭園。
内部拝観料は600円。
御朱印も中でいただくことができました。
写真撮影はできませんので、建物外の看板を撮影しました。
お堂の中には、千手観音立像1,000躯を安置されていますが、千手観音立像は他に本尊の背後にもう1躯あるため、正式には1001躯です。
博物館などの展示で長期で出張されていた観音様がその日はすべて戻ってきており、1001躯揃っておられるということは、ほとんどあり得ないのだそうです。
ありがたい時に恵まれました。
歩きながら観音様を見ていると、時々ドキッとする瞬間がありました。
見られている、という感覚です。
観音様にも衆生をお救いするという使命のものにそこに存在されておられる限り、それが木造のものであれ、そこに「命」があるのではないかと思えてきました。
やはり、観音様1001躯に心の中を見られている、という気がしないでもありません。
そこからは観音様との静かな心の対話でした。
いつも正しい生活を心がけてはいますが、果たしてそうでしょうか?
私が生まれた理由である「使命」をきちんと果たして生きているでしょうか?
難しいですぅ~、頑張っていますがなかなか思うようには…
観音さまに完全に心を見透かされた気持ちになりました。
不意に、高校の時、修学旅行でこのお堂を拝観したことを思い出しました。
その時は、おびただしい数の観音様にすごいなぁ~と思っただけで、こんなに深くは考えなかったですね。
そう思えば少しは私、成長したかもしれませんね。
最後に、もう少し人が少ない時期に、数時間ここで瞑想したりして過ごせたら、と欲張りなことを考えてしまいました。
名残惜しいところですが、今日は次のお寺に向かわなくてはなりません。
観音様に合掌。
■蓮華王院本堂(三十三間堂)
住所 京都府京都市東山区三十三間堂廻町657番地