赤い鳥居の脇の桜が美しい「賀茂神社」を訪ねてみました。
駐車場を取り囲むように満開の桜。
賀茂神社は、地元では、当地に遷宮する前の名称から「糺(ただす)さま」、社殿の色から「赤神さま」とも呼ばれ、地元の方々に愛されています。
この賀茂神社の歴史は、船岡城址に関係する伊達騒動のため、当時わずか2歳で4代藩主に就任した伊達綱村にかかわっています。
もともと鹽竈神社の神職が、利府村野中にあった自らの屋敷内に、只洲宮および貴船宮を祀っており、この只洲宮が現在の下賀茂神社の起源とされているそうです。
のちに、貴船宮は鹽竈神社境内に遷され、1607年(慶長12年)には只洲宮も鹽竈神社境内に遷されます。
それから仙台藩第3代藩主伊達綱宗が、伊達騒動で子の綱村に家督を譲っていたものの、1663年(寛文3年)に鹽竈神社の修造を行い、只洲宮と貴船宮は鹽竈神社境内で遷宮されました。
仙台藩第4代藩主伊達綱村による鹽竈神社の修造になると、只洲宮と貴船宮は鹽竈神社の外の別々の地に遷宮されることになりました。
伊達綱村のときの家老、古内志摩の屋敷跡である当地に、1696年(元禄9年)只洲宮は下賀茂神社として遷宮し、同時に上賀茂神社と八咫烏神社も勧請されたそうです。
当時は、神社や仏閣までも、現代風にいう「政権争い」に大きく巻き込まれていたのかもしれませんね。
これは、植栽可能な北限の貴重な銘木、樹齢200年以上のタラヨウ。
現在、鳥居の両側にある「アラカシ」(2本)と、神社正面大鳥居脇の「イロハモミジ」(2本)は、宮城県天然記念物として指定されています。
大鳥居に続いて鳥居をくぐった後は、朱に塗られた「西の宮」「東の宮」の2柱は、稀にみる茅葺づくりで、歴史を感じます。
産業、商売守護の別雷命(わけいかづちのみこと)を祀る上賀茂神社。
安産、子授守護の多々須玉依姫(ただちたまよりひめ)を祀る下賀茂神社。
立派な茅葺に木鼻(左:象 右:龍)と(左:雄鶏 右:雌)が目を惹きます。
こちらは、珍しい建築様式の八咫烏神社です。
駐車場を取り囲むように満開の桜。
賀茂神社は、地元では、当地に遷宮する前の名称から「糺(ただす)さま」、社殿の色から「赤神さま」とも呼ばれ、地元の方々に愛されています。
この賀茂神社の歴史は、船岡城址に関係する伊達騒動のため、当時わずか2歳で4代藩主に就任した伊達綱村にかかわっています。
もともと鹽竈神社の神職が、利府村野中にあった自らの屋敷内に、只洲宮および貴船宮を祀っており、この只洲宮が現在の下賀茂神社の起源とされているそうです。
のちに、貴船宮は鹽竈神社境内に遷され、1607年(慶長12年)には只洲宮も鹽竈神社境内に遷されます。
それから仙台藩第3代藩主伊達綱宗が、伊達騒動で子の綱村に家督を譲っていたものの、1663年(寛文3年)に鹽竈神社の修造を行い、只洲宮と貴船宮は鹽竈神社境内で遷宮されました。
仙台藩第4代藩主伊達綱村による鹽竈神社の修造になると、只洲宮と貴船宮は鹽竈神社の外の別々の地に遷宮されることになりました。
伊達綱村のときの家老、古内志摩の屋敷跡である当地に、1696年(元禄9年)只洲宮は下賀茂神社として遷宮し、同時に上賀茂神社と八咫烏神社も勧請されたそうです。
当時は、神社や仏閣までも、現代風にいう「政権争い」に大きく巻き込まれていたのかもしれませんね。
これは、植栽可能な北限の貴重な銘木、樹齢200年以上のタラヨウ。
現在、鳥居の両側にある「アラカシ」(2本)と、神社正面大鳥居脇の「イロハモミジ」(2本)は、宮城県天然記念物として指定されています。
大鳥居に続いて鳥居をくぐった後は、朱に塗られた「西の宮」「東の宮」の2柱は、稀にみる茅葺づくりで、歴史を感じます。
産業、商売守護の別雷命(わけいかづちのみこと)を祀る上賀茂神社。
安産、子授守護の多々須玉依姫(ただちたまよりひめ)を祀る下賀茂神社。
立派な茅葺に木鼻(左:象 右:龍)と(左:雄鶏 右:雌)が目を惹きます。
こちらは、珍しい建築様式の八咫烏神社です。