山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

続_回想

2011年03月29日 | ドライブ
時々なぜか海が見たくなる…そんな時、いつもそばに海がありました。



今回の東日本大震災で被害が大きかった亘理町。
「新地漁港」の海水浴場で海水浴したものです。
OFFシーズンには四駆も入れ、流木でバーベキューをしたことも。
(写真は水嫌いの相方が、海水浴をする私の横で、何故かカヌーを漕いでいます)



南相馬の海。
大好きな原釜・尾浜海水浴場。



平成13年環境省選定「日本の水浴場88選」に選ばれた福島県内では、有名な海水浴場です。遠浅で穏やかな海岸でした。



あの限りなく透明で美しい海のことは、何があっても忘れたくはありません。


福島第一原発から20キロ以内にあり、避難指示の対象となっている大熊町。



ここには、アトピーなどで効能があるとされている「玉の湯」が。
あったまるお湯で、敏感肌の私も、このお湯に入った後の数日間は肌の痒みがなく過ごせました。



さらに南下すると小名浜漁港。



小名浜では「メヒカリ」が獲れる漁港です。
食堂では、新鮮な魚介の料理が頂けました。



いわき湯本温泉協会のHPによると…



湯本の町中はガス・水道の復旧が着々と進み、足湯に引き続き、公衆浴場「みゆきの湯」が湯本区民に限り1日400名の入場を開始。
夜は、避難者の皆様の入浴も実施中で、29日にはスミレ館・こいと旅館・ホテル斎菊・遊湯亭・岩惣・松柏館が日帰り入浴を再開したそうです。
温泉の温度は震災前と比べ、まだ約5度低い状態なのだとか。
風評被害での損失もあるようです。



いわきのラーメン屋さん「活力屋」。
(福島県いわき市泉町滝尻字泉町83-1 年中無休 午前11時~午後9時 )
29日から営業を再開しておられるそうです。
私の場所からは、道が寸断されていて、ガソリンもなく…



ああ、あの美味しいラーメン食べたい!

被災者の皆様には一日も早く家や仕事を。
原発、風評被害、ライフライン、ガソリンの一日も早い復旧を。
心が穏やかに暮らせる日が、心から笑える日が来ますように。

信じて、信じて…少しでも前に進んでいきたいと思います。

回想

2011年03月29日 | ドライブ
東日本大震災、この地震の津波で流されてしまった、女川町。
私は、大好きだった女川の思い出をいつまでも忘れません。
そして心から、女川町の復興を祈っています。

(ここからの記事は、回想を綴らせていただきます)



マリンパル女川では、毎月定例イベントが行われて、大盛況でした。



3月は「カニ祭り」
募金式で、美味しいカニ汁が振舞われました。
アツアツで、カニの身もあり、美味しかったです!



女川といえば「保谷」
この写真は、マリンパル女川(シーパルⅠ)の1Fにある保谷で作ったライト。
勿論、匂いなどはありません。
とても希少性が高く、天然の温かみのあるライトでした。



夏は女川の雲丹。



その日の朝の取りたての雲丹を、剥き立てで頂ける「ウニ祭り」
甘みがあって、とても濃厚で美味しかった!



このマリンパル女川には、定食屋さんがありました。
「古母里」



穴子の天婦羅丼、インパクトありました~♪



マリンパル女川のすぐ前に広がる海の風景。



ここでは毎年7月に花火大会がありました。
昼間から到着して、温泉「ゆぽっぽ」でゆっくりしたり、足湯したりしながら、あっという間に黄昏の頃になり…
漁港の海の向こうから打ち上げられる花火は、夜の海に冴えてとても綺麗でした。

女川町から牡鹿コバルトラインを走ると、道すがら野生の鹿の群れに出会いました。



金鹿町は、鯨の町。
そして、金華山への定期船も出ている港町。
鯨料理を出すお店や民宿も多くありました。
東日本大震災でも多くの犠牲者があり、心苦しい限りです。
一日も早く、安心出来る暮らしが来ますよう、そうしてまた金華山への橋渡しの町として、復興しますようお祈りしています。



松島海岸。



マリンピア塩釜は今後も松島の観光発展に寄与したいとの意向もあり、仙台新港地区での移転を取りやめました。
今回の地震で多少の施設に被害はあったものの、お魚たちは無事だったと報道されました。



嗚呼、松島や松島…

こんなに美しい海の町。


記憶

2011年03月28日 | つぶやき
東日本大震災以来、閖上(ゆりあげ)に住む知人の安否が、とても気がかりで居てもたっても居られない気持ちでしたが、命だけは大丈夫だと連絡が入りました。

あの地震の日、知人は仕事がOFFだったため、愛犬と祖母と家にいたそうです。
気づくと波にもまれ、人の声がしたそうです。
「つかまれ!」と。
その声に従い、凄い勢いで流れてくる瓦礫で足を怪我しつつも、何とか一命を取りとめました。

あの津波が押し寄せた一瞬にも、他人を助けようとする判断をされた方がいて、運よく知人の命は救われたのでした。
昨今の報道にさえありませんが、容赦ない自然の猛威に晒されながら、自己を犠牲にしても、命を尊重し助けあった事実があるのです。

知人は、数日たって、あの時まで一緒にいたはずの祖母との再会が叶いました。
遺体安置所での悲しい再会となりました。


その話を聞き、私の記憶がこだまのように巡ってきました。

もう少しで成人式というある日、私は閖上で溺れた経験があります。

県下水泳大会で、賞ももらった私。
なのに、波に揉まれ自然の脅威には成すがまま抵抗さえできず、まるで洗濯槽の中の布切れのようになって、息もできない時間が続きました。
そうして私は、半ば気を失いかけていたのでした。
もがいたせいで海水も飲み気道が詰まり、走馬灯を見かけていたその時、水の向こうから「つかまれ」と。
私は無我夢中で、声のするほうにつかまっていました。

溺れかけた私をサーファーの方が気づき、いち早くパドリングして来てくれたのでした。

砂浜に足がついた時、身が震えて止まりませんでした。
あの日から、私の中で何かが音を立てて変わったような気がしました。


それから何十年…
そんなことは、時間の流れとともに忘れていましたが、今こそ生かされた命は、未来のため、家族のため、人のために、大事にしていきたいと、つくづく実感として思います。
苦しいことも多いけど、生きていれば絶対に良いこともあり、大好きな人と幸せな気持ちを分かちあえる日には、いつも見慣れた風景さえとても綺麗に映るはずです。

皆で、心を寄せ合って…


あの日からの猫事情

2011年03月26日 | 
あの日から、僕の家には毎日見かけない猫が行き来するようになったWA!



例えば…



この「黒ちゃん」は、子供の頃の知り合いだけど…

この、雄猫は…



あまりに執拗で…



なんか、この目つき、ヤダニャ=!



それに



「黒ちゃん」と僕のお気に入りの「ミケちゃん」姉妹がお昼寝中に…



「黒ちゃん」の(多分)父がウロウロ…

地震のあの日から、皆ひとりになるのは怖いのか…NE?

家猫の僕も、あの日からひとりの時間は嫌いニャ~!