春の息吹を感じるこの頃、行きつけのスーパーで「桜ヨーグルト」に出会い購入してみました。
いい感じのパッケージデザイン。
早速期待を込めて開封。
この端っこの塊の味が、濃いんですよねぇ~♪
ですが、ヨーグルトなのに桜餅みたいな味の印象なんですよね。
もっと洋風な味わいかと思っていたのですが・・・(苦笑)
春の息吹を感じるこの頃、行きつけのスーパーで「桜ヨーグルト」に出会い購入してみました。
いい感じのパッケージデザイン。
早速期待を込めて開封。
この端っこの塊の味が、濃いんですよねぇ~♪
ですが、ヨーグルトなのに桜餅みたいな味の印象なんですよね。
もっと洋風な味わいかと思っていたのですが・・・(苦笑)
「今日は何日?」と相方に聞いてみると「なんで?」と答えのでした。
「ん?何日だったっけ?」とさらに聞いてみると・・・
「え?携帯見れば」と相方。
そうか、昨年も忘れていたし「2年連続お忘れ賞」か・・・。
(仕方ない、ジムで運動して、サウナで汗流してから帰るしかないわ・・・)
そうして帰宅すると、何と!
ボロボロの薔薇が、テーブルに置かれていました。
(愕然!の私)
犯人は家猫のミカエル!
反省顔UPします。(薔薇の吐息になりたかったのかしら???)
3・11の翌日、有給休暇を取得させていただき、もと同僚らと上司と、津波により命を落とした同僚が住んでいた石巻に向かいました。
「復興」という名のもとに、膨大な政府の予算が使われているにもかかわらず、現地に赴くと、まだまだ震災の爪痕が生々しく残されていて、それでいて何もなかったように大きな工場が稼働している様子にギャップを感じた私でした。
津波を被った個人宅の新しい建物は立派に残っているけれど、よくよく見ると窓にはブルーシートが被せられ、その周辺は更地になっていたり・・・
あの日この場所で、昼下がりのあの時間にとんでもない破壊の力が働いて、何もかも失うとは、同僚も予想だにしなかったに違いありません。
とりあえず同僚は父と共に土葬され、その後はどこに再埋葬されたかは、かつての上司がいうことにはもう追及しないほうが良いとの判断でした。
遠い遠い親戚は、同僚とその父の死で、財産の相続と保険金の相続とかなりの生命(死亡)保険の恩恵を受けたそうです。だから、もう、・・・
皆で供養のため、港の岸壁から献花したところ、強い風が吹き渡って、花が海に浮かぶことなく、岩肌に打ち上げられたとき、何かとてつもなくやりきれなさが心にこみ上げてきました。
「また逢おうね!」と最後に交わした同僚の声や笑顔が蘇ってきて、心が崩れそうになりながら「頑張るからね」と誓った私でした。
あの3・11から4年目の今日。
あの時間は、また巡って来ました。
この日のその時間、とあるスーパーの店内で、30秒の黙祷が行われ、レジも何もかも、時間がストップして、目を瞑っていると、何だかどんどんと記憶が呼び起されて、目がうるうるになってくるのでした。
あの揺れで怖かったけれど、何よりもその後の行動で、人の生死を分けるなんて思いもしませんでした。
自宅の2階で何とか耐えてれば、逃げることをしなければ、父と共に海にさらわれることがなかったかつての同僚。
実家の泥さらいのストレスで、急に持病が悪化して亡くなったかつての先輩。
皆一生懸命頑張って来たのに、同僚が突然に居なくなってしまった喪失感が私の中で蘇ります。
あの日がなかったら・・・と思う気持ちもありますが、日常の普段は、震災の記憶から遠のいていくような心持ちもあります。
ガソリンも、食べ物もなくて、早朝から行列に並んだり、コンビニのお弁当が買えた時の充足感など、あの日から遠くなっている意識があります。
それは、自宅が大丈夫だったこともあると思います。
ですが、被災地におきましては、まだまだ復興は進んでいない感じがします。
被災して住まいがなくなったから住むところを造ればいいという政策ではなく、どうすれば皆が幸せを感じられる空間を作るか、そういうのが優しい生活促進が必要と思います。
震災を通じて「心の時代」に来ているような気がします。
日本大震災により、犠牲になられました方々には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌