山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

2016年を振り返る

2016年12月31日 | つぶやき

2016年は私の人生の中でも、今までにないくらい、上昇と下降が極端だった1年でした。

多忙すぎて体調も良くなく、仕事も辞めて、一時は重篤患者の病室も経験しました。

一言でいうなら「苦業」。

でも決して悪い事だけでもなかったです。

 

かつてのサミットホテル「ザ・ウインザーホテル洞爺」。

ジュニアスィートのお部屋からの眺めが、とても素晴らしかったです。

今まで最高額(2人)12万を使ったのは、ミシシュランガイド北海道二つ星レストラン「ミシェル・ブラストーヤジャポン」でのデイナー。

「ガルグイユー」は感動的でした!

フォアグラと赤身の牛の焼き加減の素晴らしさに感動しました。

 

今年思い出深い温泉は「駒ヶ岳温泉」。

自然美の中、貸切の露天風呂でゆっくりしました。

夜は乳頭温泉へのバスも出て、鶴の湯の混浴風呂にも入ることができて、思い出になりました。

 

今年2回にわたり、88箇所の四国遍路もしました。

うち29か所は歩き遍路でした。

焼山寺越え、鶴林寺・太龍寺越えもしました。

四国遍路を結願し、高野山へも行きました。

 

めまぐるしく過ぎて行った一年。

苦も楽も色々あった分、人生の中でも「濃い」日々だったと言えるかもしれません。

 

 

 


四国遍路 73番出釈迦寺

2016年12月30日 | 神社・仏閣

 72番曼荼羅寺から0.5㎞の73番出釈迦寺で印象的だったのは、錦の納め札を見たことでした。

錦の納め札は100回以上四国をお遍路した方だけが持てる札です。

ふたりの先達さんがタクシー巡拝のグループつき、ふたりとも錦のお札を納めていました。

お経もすごく気迫があって、さすがと思いました。

坂をのぼります。

 階段ものぼります。

 本堂には、弘法大師作の本尊・釈迦如来と、脇仏に不動明王、虚空蔵菩薩があります。

大師堂。

「捨身ヶ嶽」とは弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時、我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じ。

すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめ、命を救われ願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたそうです。

 「捨身ヶ嶽禅定」は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあるようで、時間があれば行ってみたいと思いましたが、今回はやめにしました。

丘の上にあり、遠くに海も見えます。


四国遍路 75番善通寺

2016年12月29日 | 神社・仏閣

75番善通寺の駐車場にあった石塔。

橋を渡って本堂へ。

綺麗な川です。

善通寺は、唐から帰国した弘法大師が、先祖の弔いのため建立。

寺号は大師の父である佐伯善通にちなんだもの。

ワンちゃんのお出迎えを頂きました。

 

聖天堂。

約4万5000㎡ある広い敷地は、、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。

御影堂や宿坊がある場所が「誕生院」。

鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となったそうです。

現在、真言宗善通寺派の総本山であり、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰を集めているそうです。

「奥の院」と称される御影堂。

ここで朝のお勤めを行いました。

地下には、約100メートルの「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、法号を唱えながら大師と結縁する道場となっています。

 大師堂。

護摩堂。

御影の松。

「伽藍」と称される東院にも行ってみます。

五重塔。

総高45メートルに及ぶ総欅造の大塔。

創建以来、大風や火災により、いくたびかの倒壊・焼失を経ましたが、そのたびに再建されたそうです。

現在の塔は、弘化2年(1845)、仁孝天皇の御綸旨により再建が始められ、明治35年(1902)に完成。

「金堂」は善通寺の本堂。

本尊・薬師如来坐像は、像高3メートルにも及ぶ丈六の巨像です。

弘法大師誕生の地とされる善通寺では、宿坊にも泊まり、お坊さんたちがたくさんで荘厳な朝のお勤めも経験できました。

敷地の広さにも驚きました。


善通寺宿坊

2016年12月28日 | ホテル・宿

お大師さま御誕生の地といわれる「善通寺」の宿坊。

18時過ぎてしまいました。

シンプルなお部屋で、飾り物などは一切ありません。

大浴場は温泉です。

脱衣所も洗い場も、比較的大きさがあります。

ふたつの浴槽には、お湯が張られていました。

よく温まるお湯でした。

食堂で夕食を頂きます。

飲み物などは食券機で購入します。

食事は今まで泊ってきた宿坊と比べると、品数少なめな感じがしました。

イマイチ好きなものがありません。

朝ごはん。

温泉たまごが付いていたのが嬉しかったです。

 

朝5時半のお勤めは、お坊さんの数が多く、尼さんもいて印象に残りました。

お勤めを終えると本堂の御影堂地下約100メートルの「戒壇めぐり」ができました。

暗闇の中、法号を唱えながら大師と結縁する道場となっているもので、胎内くぐりをしたような清々しい経験でした。

 

 


四国遍路 71番弥谷寺

2016年12月27日 | 神社・仏閣

71番弥谷寺の駐車場に着いたのは、16時40分頃でした。

ギリギリ間に合うかな~と軽く考えていたのですが、なんと本堂まで送迎バスが出ているようなのです。が、既にその日の最終バスは終わっていました。

嫌な予感がします。

山門から向こうは、上りの階段がずっとずっと先まで続いています。

下りの方に「この位置から17時までにたどり着くでしょうか?」と聞いてみると「走ればギリギリ間に合うと思うよ」との答え。

そうなったら諦めて明日に改めるか、観念して走るしかありません。

走る道を選ぶのですが、17時に辿り着いた先の納経場が閉っていたら、と考えるとゾ~ッとします。

必死で階段をのぼるものの、その先に煩悩の数の赤い階段が!

いつまで登るのでしょうか??

煩悩の階段の先は、やっと境内に入ったようです。

靴を脱いで本堂へ。 

大師堂の中に納経場があり、まずは本尊と大師さまにお勤めの般若心経をお唱えしたいところですが、息はハアハアで、汗がダラダラと流れてきて、大変なことになっていました私。

こんなに本気で走ったこと、最近なかったですから。

お勤めを終えて本堂から出るなり、お坊さんが外に出てきて「本日の納経は終わりますよ~。まだの方は急いでください。閉めますから~」と声をあげていたのが印象的でした。

あと5分たどり着くのが遅かったら、納経は間に合わなかったことでしょう。

四国遍路88箇所でも、こんなにギリギリセーフのお寺は、この弥谷寺だけでしたね。

ですが、時間をかけて、ゆっくりとお参りしたいお寺でもありました。

弥谷寺のある弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場(恐山・臼杵磨崖仏・弥谷山)の一つに数えられたそうです。

弥谷寺は今からおよそ1300年前。人皇第45代聖武天皇の勅願により、行基菩薩が堂宇を建立し、光明皇后の父母の菩提を弔う為、『大方広仏華厳経』をお祀りし、寺院を創建したといわれています。

緑に囲われた多宝塔。

弘法大師像。

薬師堂。

 

 弥谷山の霊山信仰では、『山域全体が仏の住む世界であり、水場横の洞窟が極楽浄土の入口だといわれ、特別強く信仰された』とされています。 

阿弥陀仏三尊磨崖仏。

霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏です。

本堂へ行ってみましょう。 

 本堂からは、讃岐平野を見渡すことができました。

後で調べてみると、仁王門から石段を370段のぼると大師堂。

大師堂からさらに170段上りきると本堂です。

慌てていた為、見どころも見逃していたり、写真も少ないのですが、古来より霊山と言われるだけあって、とても印象的なお寺でした。