山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

残念な四国遍路ツアー

2020年06月30日 | 神社・仏閣

日本全国には、さまざまな巡礼の歴史が残っておりますが、なかでも四国遍路、西国三十三観音巡礼、坂東三十三観音巡礼、秩父三十三観音巡礼などが特に有名で、四国では結願すると、満願の意味で、高野山へ。

西国、坂東、秩父の三十三観音巡礼では、百観音巡礼満願ということで長野の善光寺(北向き観音とセットする巡礼スタイルもあり)。

昨今のデジタル化に伴い、なにかヒトとしての「これでいいのか?」そういう思いつめた気持ちに、「巡礼」という古典スタイルをやってみることで、自分にとって本当に大事なことに一瞬でも近づけた気がします。

はじまりは好奇心でも、時間があるからでも、ご先祖供養でも、何でもいいのですが、やってみると自分の体の中に今まで自覚したことがないような、スゴイエネルギーがあって、それを半信半疑でもう一度感じたいと思う。

そうやって、自分自身のなかで、巡礼する意味を考えるようになりました。

 

でも一度は、自己流でなくて、巡礼ツアーバスで回ってみたら新しい気づきがあるのではないかと。

そう思って、四国遍路4周目にして、ツアー一周約20万か30万の相場でどちらか迷い20万にしてみたのですが、私としては残念だったとしか思えないんですよ。

四国4周しているのですが、1、2週目は納経帳を両親のために回ったので、私の今の納経帳は2週目なんです。

ところが、巡礼ツアー会社のミスで、88か所のうち、最終的にご朱印を1か所だけもらい忘れた、漏れていたんですよね。

他の西国や坂東も自分の納経帳を確認してください、という時間が渡された時言われるのですが、この会社にはそれがなかったんです。

ツアーが解散してよくよく納経帳を見て、そのことを説明すると、「あなたがこのお寺が初めて行ったからでしょう?」などと言われてしまい、驚きました。

何故なら、そのお寺の宿坊を毎3回利用し、今回はツアーバスで宿坊利用無しなので、今回時点ではご朱印は2個(納経帳2冊にそれぞれ1個のご朱印)なはずなんです。

だから本来、2個のご朱印がなければならないのです。

旅行会社のチェックミスであることは言うまでもありません。

それに2020年は限定で、各霊場の御詠歌を記載したお札を、帳面とお軸を納経いただいた方に無料で配布されているのですが、88か所回って封筒にそれらが入っていて一枚一枚思い出を振り返りながら見ていると、このように墨で汚れたものが1枚入っていました。

ちよっと残念な気がしました。

自分の不確認で、納経頂くのを忘れていたとか、汚れたものを頂いてしまったとか、それなら自分が悪かったと思えます。

でもお金を払って、その期待と共に保証に値するものが得られないと後から知ると、とっても残念な気持ちになりますね。

30万のツアーにすればこんなことにならなかったかな、と沸々と考えていたことがありますが、結局巡礼はできたし、納経もできたんです。

思えば、ご朱印が頂けなかったことは残念でしたが、墨で汚れたものも、元を正せばただの紙切れなんですよね。

紙切れなんて失礼な言い方かもしれませんが、私の心の中には88か所を巡ってきた苦しさも楽しさもあります。

それが一番大事なんじゃないかと。

 

今は県を離れられないけれど、いつかまた、自然に抱かれながら巡礼の道を踏みしめることができたら、と思っています。


看取れない苦しみ

2020年06月03日 | つぶやき

新コロナウィルスで、日本全国が自粛生活を余儀なくされるなかで、私の従妹のお姉さんが闘病の末、息を引き取りました。

2020年5月半ばのことでした。

 

3年もの間、お姉さんは10万人に一人という、治療法も薬もない難病と、闘いました。

喪主の旦那様が、弔辞で語ったことによると、定期的にお医者さんに診てもらうのだが、治療法がないため、前より悪くなったとか、そういうコメントを頂くための通院で、命の残りの時間を推し量るようなものだった、と。

2月の末には、体はもう水さえも受付なくなって、緊急入院。

新コロナの影響で、家族誰もお見舞いも禁止され、自宅で祈るような日々だったとか。

もう駄目だという時にもお見舞いにも行けず、懇願に懇願を重ねて、たった30分、死に際の妻の傍に行くことができた。

でも30分が経つと、強制的に病室から出されて、また自宅待機になったそうです。

「妻に、なんにも私はしてあげられず、すみませんでした」

そう従妹の私に挨拶され、この新コロナウィルスのむごさを、憤るというか・・・。

 

新コロナで亡くなったわけじゃないのに、遺族は愛する者の苦しみの時にも寄り添えず、死に際にも傍にいてあげることができず、やり場がない無念を、これから何年抱えながら生きて、供養に頑張るのだと思うと、やりきれない虚しさがあります。

 

曹洞宗の葬儀でしたが、盛大なお坊さんたちのお見送りでした。

おすそ分けのお花も、今まで私が仏壇にあげたことがないほどの豪華さ。

葬儀のあとの懐石料理は、本当に素晴らしかったです。

 

お姉さんのご冥福を心からお祈りしています。

そうして、ご家族様がこれから前を向いて、頑張っていけるよう、お祈りいたします。

 

新コロナウィルスは、症状がでないという方もおられます。

そのことで、誰かが傷ついている。

出産しても、退院するまで、子供に会えない。

違う病気で入院しても、面会にすらいけない。

そういう現実があります。

皆が、自分自身も含め、命の尊さを守っていきましょう。

合掌

 

 


新コロナウィルス自粛の影響

2020年06月03日 | 

新コロナウィルスのため、自宅自粛していた時のこと。

スーパーは、夫婦や子連れで来店する必要があるのかと疑問に感じるほど、私の行き先では激混み。

時々スーパーに行った時は、苺とレモンサワーを買って、苺をアテにレモンサワーを飲む時間が好きでした。

炭酸系の爽やかさと苺の旬の濃厚な味わい。

合うんですよ♪

 

買い物はできるだけ控え、自宅の冷蔵庫や常温ストック品を中心に内食してました。

そうしたら、私の食物アレルギーが再燃したようで、それが災いして蕁麻疹や、お腹周りに、すっかり脂肪がついてしまいました。

私の町では、5月10日に緊急事態が解除されましたが、私の通っているジムでは8日に再開されました。

サウナ仲間の中で、太った太ったという会話ばかりでしたね。

 

旅行も行ってはダメ。

友達と食事もできない。

そんな中で、毎日していたのは、写経でした。

ウォーキングも良かったのですが、マスクしなければならないので。

マスクなんて、小学校の時の給食当番でつけたくらいしか記憶にないくらいでした。

 

6月に入ると、普段並ばないようなレア食材がスーパーの店頭に並ぶこともしばしばあり、内食もさらに楽しくなりました。

 

家にいることで、気が付いたことも多々ありますが、もうすぐ2歳になる保護猫の月ちゃんの、聴覚障害を疑うようになりました。

白猫の月ちゃんは、とても寝てばっかりの男の子。

4匹の白猫ばかりの兄弟のなかで、保護主さんが「唯一名前を呼んでも来なかった猫」だったそう。

確かに頂いた時から、名前を呼んでも来ることが少なくて、マイペースなんだな、と思ってました。

名前が嫌なのか、とも???

先住猫が大声で怒っても、月ちゃんは無表情なので、大きい心の猫だと思っていたのです。

でも自粛で家にいた時に、テレビの上に月にゃんが乗っかったことで、テレビの音量が最大音量になるという事件があってから、聴力の障害を疑うようになりました。

今まで良いようにしか解釈してこなかった私も家族も悪いのですが、耳が聞こえてないとしたら、ヒトとしてどうやって愛情表現するか、色々と見直すようになりましたね。

音のない世界で生きる=不幸ではないはずです。

言い争いの声もない、音が嫌でストレスにもならない、家猫にとっては、愛情さえ確認できる環境ならば、幸せな世界かもしれません。

 

皆それぞれが、こうした気付きにより、社会が良い方向に向かっていくことをお祈りいたします。

 

 

 

 


四国遍路の納経受付再開

2020年06月02日 | 神社・仏閣

2020年6月1日より、四国遍路の納経受付がすべて通常に戻りました。

 

現在、四国霊場会のHPでは、次のようなコメントがあります。

新型コロナウイルス感染拡大防止の為、
手洗い、うがい、マスク着用などに加え、
密閉・密集・密接の感染予防にご注意の上、
政府の基準に従った巡拝をお願い致します。
詳しくは下記の行事・特設欄をご覧ください。
合掌

 

私の推測ですが、もしかしたら、お手水は寺院によって使えないかもしれません。

お蝋燭を立てるにも、密接しないように注力するならば、少し待つとか、平時よりも時間がかかるのかもしれません。

鐘は、今までは使えていた寺院でも、使えないかもしれません。

お経を読むときのマスク着用は、これからの夏は、辛いと思います。

歩き遍路さんでも、マスクを着用したまま歩かなければならないのでしょうか?

 

いろいろと四国のお遍路のことに思いを巡らすにつけ、悩ましくてならず、心が苦しくなりますが、88のすべての納経場の再開は、お遍路さんには朗報と思います。

それでも、今までのような四国巡礼のイメージや計画では、難しくなるかもしれませんね。

四国遍路の歴史の中では、神仏分離政策や海外との戦争もありましたが、そのような困難も乗り越えて、現在進行形であり続けています。

今年の春は、日本中が新コロナで自粛していました。

5月1日の自宅2階から見た、たそがれ。

太陽と月。

この光景も美しさに、心が震えました。

こんな美しい地球の、ほんのわずかなスペースだけど、自分の場所があるって、素晴らしいと思いました。

 

お金が無くなっても、今の仕事が無くなっても、生きているみんなには、必ず自分の居場所がある。

そういう社会であってほしい。

心からそう願います。