昨年の12月31日(火)午後3:50~NHK BSで放送された世界映画史上不滅の黒澤明監督作品!
「七人の侍」を今日の夜に観た。
やはりすごい映画でしたね。
白黒で画面は横に短いのに、観ていてなんの違和感もなかった。
作品の素晴らしさなんでしょうね。
私はこの映画を最初に観たのは20代で、池袋の文芸座地下だったと思う。
それ以後、何度か観ているはずです。
しかし今日、あらためて観て、映画のかなりのことを忘れている自分に驚いた。
シナリオが、女と男・百姓や侍という人間の機微を描いてますね。
役者もカメラの撮り方も素晴らしい。
やはり監督が図抜けてますね。
この録画は削除しないで、ハードディスクに残しておこう、と思いました。
(でも、テレビが壊れたらおしまいなんですけどね)
薬は毎日飲む
私は毎日、朝食後に血圧・血糖値・尿酸値を下げる薬を飲まなければならない。
しかし、薬を飲むことを忘れることがある。
それを防ぐために薬の裏に日にちを書いているのだが、
朝にすることの順序がずれたりすると、薬を飲むということのすべてを忘れてしまう。
だめですね。
このことに関することだが、
精神科医で作家の和田秀樹は、血圧の薬を死ぬまで飲むことはおかしい、と言っている。
しかし、私が毎月診察を受けている医師は、3種類の薬を処方してくれる。
その薬を飲んでいるので、血圧も血糖値も基準以内の数値になっている。
血圧が130を、血糖値もヘモグロビンA1cが6.1を超えても大丈夫だと和田秀樹は言う。
これってどうなんだろうか?
こんど主治医と話してみようかな?
悩みます。
タコ焼き
2月9日の日曜日の夕方、久しぶりにタコ焼きを焼いた。
このタコ焼き器は、10年ほど前に軽井沢で暮らしていたときに買った。
それから1・2回しかタコ焼きを焼いてないです。
女房が、タコが高いというのでタコの代わりに豚肉を入れて焼いたことがあった。
それじゃ、タコ焼きではないですよね。
今回は、なんとかタコ焼きができました。
でも、もっとタコ焼きのことを勉強して、焼かないといけませんね。
10時ごろに買い物に行くために車で道路に出ると、
道路で待っていた女房が「福寿草が咲いている」と言う。
買い物を終えて1時間ほどで家に戻ってきてから、庭の花壇を見てみた。
福寿草が咲いていた。
朝の9時14分に見たときには、まだツボミだった。
心の底のほうから喜びがわいてきた。
私は、この福寿草という花が好きなんです。
北軽井沢の友人からいただいて、鳩山町のわが家の花壇に植えて花が咲いたときは嬉しかった。
梅もかなり咲いてます。
最近は季節が動いているせいか、太陽の位置が高いので梅の木にもそこそこ陽が当たります。
太陽の光を浴びている梅の木は、ちょびっと嬉しそうです。
昨日は全国的に北風が強く吹いて寒かった。
茨城県常総市では枯れ草火災があり、近くの建物に延焼したという。
いくつかの工事現場の足場が風で倒されていた。
私はウォーキングをするときに、帽子をかぶるのを諦めた。
今日は、強い風も吹いてなく暖かったです。
まだまだ寒い日はありますが、福寿草や梅の花を見ると、春が近づいているんだなと思います。
2024年02月18日九想話「かわいい福寿草」
先週のいつだったか、トロンボーンを吹いてみたい、
吹奏楽団のハーモニーを味わってみたいな、と思った。
そうだ、鳩山町に町民吹奏楽団を作ればいいんだ、と考えた。
私は30歳の頃、埼玉県富士見市に住んでいた。
そこの住宅公団の2DKに、東京の高島平団地の1DKから引っ越した。
子どもが2歳になると1人と数えられてうちは4人家族となり、2DKに移れる権利が生まれた。
それで高島平団地から東武東上線の鶴瀬駅の近くにある富士見市の公団住宅の2DKに移った。
富士見市に引っ越して市民吹奏楽団があることを知った。
それで私は、そこに入ることにした。
市民吹奏楽団を指導していた人は、そのとき東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の
テューバ奏者だった大澤健一さんだった。
現在は、亜細亜大学吹奏楽団常任指揮者、東海市吹奏楽団正指揮者、
ハーツ・ウインズ音楽監督をしている。
私が富士見市にいたのは、もう40年前です。
あのときは毎週水曜日が、市民吹奏楽団の練習日だった。
トロンボーンは3人いて、毎週日曜日に公民館でパート練習をしていた。
富士見市民吹奏楽団は、年1回定期演奏会をしていた。
そのほかに弦楽器の人たちとオーケストラを作ってコンサートもしていた。
私は中学・高校と吹奏楽部に入っていた。
もし鳩山町に町民吹奏楽団ができれば参加したいと思う。
鳩山中学の吹奏楽部は、3年連続で東日本学校吹奏楽大会で金賞を獲得している。
中学校を卒業した楽器経験者も大勢いるだろう。
しかしこの年齢で、私が今から町民吹奏楽団を作るための活動はできない。
それだけの体力がない。
私はやはり、へたなピアノ・ギターを弾き、尺八・ケーナを吹いていきます。
今朝のラジオ深夜便の4時台は、「明日へのことば」で俳優の平泉成さんが昨年、
80歳にして初主演した映画「明日を綴る写真館」のことなどでインタビューを受けていた。
私はこの俳優が好きです。
平泉成さんはケーナを作っているということでも私は興味があった。
平泉さんは愛知県の山奥の高校を出て、名古屋のホテルに就職した。
半年ほどホテルの仕事の研修を受けてから、ホテルのベルボーイの仕事をさせられた。
平泉さんとしては、フロントの中の仕事がしたかったそうです。
しかし、フロントの中の仕事は、大学の英文科を卒業した人じゃないとできなかったそうだ。
そのときに平泉さんは、学歴のことを考え落ち込んだそうだ。
ホテルの同じ寮の人が、大映の市川雷蔵を知っているから紹介すると言ってくれた。
それで紹介してもらって、大映の俳優募集があり、応募すると採用された。
最初のときは仕事がなく、通行人などをやらされていたそうだ。
しかし、なかなかいい役につけなくて、多くの俳優の人が辞めていったそうだ。
俳優になってもなかなかいい仕事はないようです。
平泉成、80歳で映画初主演「この仕事がすごく好き」俳優キャリア60年で貫いてきたこと
「日テレ NEWS」というサイトがありました。
インタビューの動画がありますので見てみて下さい。
あらためて私は、平泉成さんが好きになりました。
いくつか、咲いてきました。
やはり一日のほとんどが日陰のところでは、花のひらくのが遅いですね。
それでもこれだけ梅の花が咲いてきました。
うれしいです。
福寿草はまだこんな感じのツボミです。
いつ頃花が咲くのでしょう?
楽しみです。
今朝4時5分からのラジオ深夜便は、<師匠を語る>「松崎しげる、西田敏行を語る」だった。
松崎しげるが西田敏行のことを話していた。
ちょっと九想話の手を抜くために、こんな新聞記事を見つけた。
ラジオ深夜便で話したことがこの記事にありますので、これを読んで下さい。
ラジオ深夜便で話した西田敏行と松崎しげるの出会い、売れてなかった頃の二人の暮らし、
西田敏行の葬儀のことなどが書いてあります。
西田敏行がテレビドラマで売れ始め、松崎しげるが歌う「愛のメモリー」がヒットし、
「噂の刑事トミーとマツ」でも売れるようになったときに、2人はリオのカーニバルに行った。
そこで渡辺貞夫に出会ったことも話していた。
ぜひ「ラジオ深夜便の聴き逃し」を聴いて下さい。
松崎しげると西田敏行はいい友だちだったんだな、としみじみ思った。
私には、そんなに長くつきあった友人はいない。
ボクサーを目指していた龍彦は23歳で死んでしまった。
その頃、龍彦と一緒によく飲んでいて、山谷で日雇いをしながら絵を描いていたIさんとは、
彼は山梨にいるので、もう20年近く会ってない。
東大生協で20代の前半のときに、よく飲んで人生を語ったUくんは、32歳で亡くなった。
そのときに一緒に飲んでいたI氏とは30代ぐらいまで将棋をよく指していた。
彼は、東大生協書籍部の店長までやったのにドロップアウトしてしまい、
40代後半の頃、私と会いたくないと言って去っていってしまった。
私が50歳前後の頃、所沢の居酒屋「らくや」で素敵な人たちに沢山出会った。
そこで会った人たちとは、私が所沢から離れたので今はつきあっていない。
私は20回以上転職をしてきた。
そこで何人かの素敵な人たちとの交流もあったが、会社を辞めると途絶えた。
私が19歳のとき、お茶の水の予備校に行くために本郷三丁目にある試薬会社に勤めた。
私が、地方の大学に試薬を送るために郵便局に行くと、受け付けてくれた奴が予備校にいた。
彼はまじめに予備校に通い、早稲田大学に入学した。
私は、勉強についていけなくて、9月に予備校に行かなくなった。
それでも彼とは、ときどき酒を飲む関係になった。
彼が早稲田大学で作っていた同人誌に、私の書いた小説を何度か載せてもらった。
彼は小説家になると言っていたが、もう20年は会っていない。
松崎しげると西田敏行は、50年以上も付き合ったという。
うらやましいです。
>藤井聡太王将、最年少で通算400勝達成!羽生善治九段を抜く22歳6カ月
> 将棋の藤井聡太王将(22)=7冠=は10日、東京都内で収録されたNHK杯に勝ち、
>通算400勝(81敗)を達成した。
> 22歳6カ月での400勝は羽生善治九段(54)の23歳4カ月を更新する最年少記録。
> 16年に14歳2カ月プロ入り(四段昇段)した藤井は同年12月24日の加藤一二三・
>九段戦でデビュー白星を飾った。100勝目は18年12月12日の銀河戦(対阿部健治郎
>七段)、200勝目は20年11月20日の王将戦(対木村一基九段)、300勝目は22年12月
>23日の順位戦A級(対佐藤天彦九段)。
(スポーツニッポン新聞社)
すごいです。
それはそれとして、私はもう何年、人間と将棋をしてないのだろうか。
将棋を指したいです。
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藤井の年度別成績は以下の通り。
16年度 10勝0敗
17年度 61勝12敗
18年度 45勝8敗
19年度 53勝12敗
20年度 44勝8敗
21年度 52勝12敗
22年度 53勝11敗
23年度 46勝8敗
24年度 36勝10敗(2月10日時点)
私の名字は、○原といいます。
しかしこの「原」という字に問題があります。
私の戸籍の「原」には、写真のように点がありません。
← マイナンバーカードの写真です
私は昔からのうちの戸籍のコピーを持っているのですが、
むかしの戸籍は「原」という字になってます。
それが昭和のはじめごろに、「原」の字から点のない字になってしまった。
役場の人に訊くと、今の字が私の名字の原の字だと言う。
これはどう考えてもおかしい。
役場の人が書き間違えたのに、それが私の戸籍の字になってしまっている。
何年か前に、これを正しい「原」に戻したいと思い、町役場で訊くと
「裁判所に行かないとできない」と言われた。
今日、ネットで「誤字・俗字から正字への変更方法」と検索してみたら、
>誤字・俗字を正字に変更するのは、市役所の手続きのみで変更をすることができます。
と書いてあった。
こんど役場に行って変更してみたいです。
改名・名前変更手続きの相談サイト