月日のたつのは早いですね。
5月6日に今の会社に出社してから、今日で半年になりました。
私の、これまでの転職経験では、まず3日、そして1ヶ月、それから3ヶ月、
で…半年、1年。ここまで勤まれば、あとはなんとかなる、と思っています。
半年たち、なんとかここでいけそうだな、と現在私は思っています。
今日までいろいろありました。
7月に、私より半月前に入社して一緒に生産管理の仕事をやっていた人が退
職したことが一番ショックだった。彼は、かなり精神的にまいってしまい突発
的に辞表を出して辞めてしまった。
なにしろ、沢山の種類のウィンドウガラスを4台の成形機で製品にし、お客
である車メーカー(ああ…、なんの運命か、私はこのメーカーの車にのってい
る。そのメーカーに勤める友人の勧めで去年買ってしまったのだ)の指定する
時間までに、指定された数量を納品しなければならない。日々これを守ること
は並大抵ではありません。
生産計画から出荷まで、全部生産管理の仕事です。会社の誰もが、私にいろ
んなこと訊いてくる。私は、まだ入社したばかりの新人だってことを、みんな
忘れているのか。今の会社に10年いる人が、私にいろんなこと尋ねてくる。
そりゃ半導体業界のことはそこそこ知ってはいるが、自動車業界のことはくわ
しく知りません。
でも、生産管理という仕事をしてると、親会社のガラスメーカーのこと、お
客の車メーカーの情報が、一番早く入ってくる。しっかりしてないといけませ
ん。
毎日、パソコンのExcelの数字を見つめている私です。
今日、「フォークリフトの学科の試験受かったよ」と業務のよく休む奴にい
われた。この人が、私の面接最初にした人です。
嬉しかったなァ。ビールがあったら、飲みたかった。
こうやって少し
10時45分から、NHK教育の人間大学「百科りょう乱(新聞の表記では
こうなんだな、ひらがなが哀しい)・女たちの中国史」を見ているときに、女
房がフラメンコのレッスンから帰ってきた。それまでテレビを見て知ったこと
を話していたら、Kがすぐそこにいて、
「テレビでいってる、………というのはおかしい」
という。
「どこかの中国の歴史を研究している人がいってるんだから、間違ったことは
いわないんじゃない」
と、私。
「でも、………は、○○○ではないよ」(忘れてしまったので書けません)
と強気でいう。私は、中国の歴史はまったく知らないので、話をそらした。
「Kは、則天武后は知ってんの?」
「知ってるよ。則天武后は~~~で、玄宗は△△△で、あれがなんたら、これ
がかんたら………」
酔いがそれなりの、無学な私は、ちんぷんかんぷん、でした。
「今初めて知ったんだけど、玄宗のおばあちゃんなんだな。おれは知らなかっ
たよ。えみさん、玄宗って人知ってる。中国の皇帝だけど、息子の嫁の楊貴妃
と一緒になったとき、玄宗が61で、楊貴妃が27歳だってよ。それじゃ国も
亡ぶよな。そんなふうにおれも亡んでみたいよ」
まったくバカなこといってる私でした。それ以上に女房はとんちんかんで、
「K、すごいじゃない。がんばっていいとこ(大学)いってね」
なんていって、シャワーを浴びに行ってしまった。
玄宗は、女房(とはいわないか)を亡くして元気がなくなった。それをみか
ねてまわりの人たちが、女を捜した。そこで見つけたのが楊貴妃だった。とこ
ろが、彼女は息子の奥さんだ。それで家臣たちは、楊貴妃を息子さんと別れさ
せて、いったん尼に出家させて、それから玄宗とくっつけた。と、(いや、く
っつけたといういいかたは、けっしてしていませんよ)人間大学の“教授”は
話していた。
楊貴妃とか玄宗とかの、名前は知っていたが、そういう関係だとは知らなか
った。無知な私です。
時間があったら、そのへんのこと書いてある本を読みたいな。
Kは、大学に行って世界の歴史を勉強をすることが希望だ。それにしても、
中国の歴史なんてよく知ってるな、というのが私の今日の感想だ。
「K、受験勉強がんばってるか」
と訊くと、
「だめだよ」
と、こころなしか小さな声でいう。
ここらあたりは、私の息子だと、自信を持てます。