それなりの春

1999年02月20日 | 暮らし

 うちの息子たちに、それなりの春が来ました。
 Uは、月曜日に1番の志望校に合格し、Kは今日、3番目の志望校(といっ
ても3つしか受けてない)の合格通知が届いた。
 ま、こんなものだろうと私は思う。この1年間、私は受験生が2人いる家庭
に暮らしているとは思えなかった。Uはマンガばかり描いてたし、Kはギター
三昧の日々だ。休日には、中学時代の近所の友だち(彼らも受験生だ)を呼ん
で、徹夜で麻雀をしている息子たちを受験生だなんていっては、他の真面目な
受験生に対して申し訳ない。
 最近、相田みつをの詩に誰かが文章を書いた「育てたように子は育つ」とい
う本が出たとか出るとか。「うまいこというな」と感心した。
 そうですよね。子供は、育てたようにしか育たないんだ。
 高卒の私は、
「大学に行くあいつらが羨ましい」
 と、テレビを見ている女房にいうと、
「ヒサシ君が行かなかったんだからしょうがないじゃない」
「そんなこといっても、貧しい百姓のうちでは、高校行かせてくれたのもやっ
とだったんだ。親父なんか、おれが中学出たら大工にさせようと思ってたんだ
から」
 と、ムキになっていう私を、
「金がなくたって、行く気になれば行けたよ。人のせいにしないで」
 と、顔をテレビに向けたまま、そっけなく女房は突き放す。
 なにもいえない私でした。

 こんなふうに、我が家のささやかな春はやってきつつあります。

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なにも知らない煙突たち

1999年02月20日 | テレビ

 川越のはずれにある会社から、所沢の倉庫に行くとき、いくつもの太く高い
煙突を見る。これが、現在悪名高いダイオキシンを排出する産業廃棄物処理場
の煙突たちだ。その辺は、林があり、畑があり、いくつかの工場が点在する。
 所沢の倉庫に行くのは、いつもナベジーとだ。車の中では、いつもちょっと
した人生論、浮き世の話で盛り上がる。
 そのあたりは、あまりいい景色とはいえない。なんでこんなとこに、処理場
が沢山できてしまったのだろう。そこの住民の人たちの反対はなかったのだろ
うか。
 といっても、そこは所沢のはずれだし、人もあまり住んでいない。畑の持ち
主たちも、まさか処理場が、ダイオキシンなんていうものを出すなんて知らな
かったのだろう。
 テレビ朝日は、いい問題提起をしたと思うが、表現がいけなかった。それを
非難する他の放送局に、「そんなことおたくはいえるのか」といいたい。目く
そ鼻くそを笑うだ。
 メダカが、いなくなるかもしれないという。
 この文章を書いてる、パソコンなんていう便利なものが生まれたのだから、
世の中で消えていくものもあるのだろう、となんとなく思ったりしても、あの、
子供の頃小川でスイスイ泳いでいたメダカが消えてしまうのは寂しい。

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