先日、田舎に行ったときに筍をもらってきました。これでれいのものを作っ
て、あの懐かしい味を楽しもうと思った。
筍の皮をむくなんてことは何十年ぶりのことです。根に近い固い皮は、ただ
指でつまんでむけば、ジーという音がして小気味よくむける。しかし、中のほ
うの柔らかい皮になると、将来節になるであろうところからはずれないで、曲
がって切れてしまう。めんどくさいと思いながら、昔やったように節のライン
にそって包丁を浅くいれ、1枚1枚丁寧にむいた。
さっそく、皮4、5枚ほど選んで、表の毛を包丁で落とした。私の心は期待
で弾んでいた。しかし、毛を取りながら、うまくできるかな、という気持ちに
もなってきた。たしか、子どもの頃作ったとき、梅干しを包んで三角に折ると
き、皮が切れてしまったことを思い出した。でも、きちんと三角形にできたあ
れを長い間味わい楽しんだことは確かなんだ、と自分にいいきかせ、作業を進
めた。
毛を取り、水で洗い、鋏で形を整えた。冷蔵庫から主役の梅干しを取り出し、
1枚のタケノコの皮を手に取って、みずみずしい白い皮にやさしく置いて、上
のほうを手前に曲げた。ここまではよかった。左右の皮を折ると予想どうり、
筋にそって切れた。ここで私は落胆した。それを皿に置くと、皮は自然に開い
てしまう。ここで、私はさらにがっかりした。昔はどうしたのかな? 私は悩
み苦悩した。
「輪ゴムでなんか結わえたら、情緒がないな」
「ひもで結ぶのも味気ない」
「筍の皮を細く切ってやったらどうだろう(やってみたけど、固いのは曲がら
なくて、柔らかいのは切れちゃってだめでした)」
「ええい面倒だ。蒲団の間に挟んでおけば、一晩でおとなしくなるだろう」
4つ製作してポリ袋に入れ、空気が通う状態で押入の蒲団の間に挟んだ。わ
がままに広がる筍の皮たちをなだめて、蒲団の間にいれるのに思いのほか苦労
した。
次の日、あの昔の素直で可愛かった私に戻り、期待に胸ふくらませて蒲団か
らあれを取り出した。
ここで私は打ちのめされた。皮は干からびたようになり、梅干しのあたると
ころが異様に日の丸のように赤くなっている。あるものは、破れたところから、
だらしなく梅干しが飛び出している。私の思い描いていたあれは、しっとりと
全体が紅色に染まった上品なものだ。
これは違う。こんなものは、私が憧れていた“あれ”じゃない。
ポリ袋に入れたのがまずかったのか、それとも、子どものときのあれも、こ
んな状態のものだったのか…。それを、私は遠い懐かしい過去として、あれを
美化しすぎていたのか。これじゃまるでおれの人生そのものだ。