私が、昨日のMESをディスプレーに立ち上げて、読み直し、これから続き
を書こうとしていたら、フラメンコの練習から帰ってきた女房が、
「過去にこだわらない、というのはおかしい。私はこだわらないんじゃなくて、
過去を覚えてないの。正確に書いてよね」
という。私の背中でなにしてるのかな、と思ってたら、しっかりディスプレ
ーを見ていた。
そうなんだな。この人は、記憶力というものをまったく持ち合わせていない。
そのくせ、どうでもいいことを覚えている。
まァ、そんなことはどうでもいいのですが…。
神田明神の境内に入る。すごい人だ。
それから境内の横に入り、出店を覗いて大通りに出た。さっきまでそこには
御輿がいたが、今は通行人しかいなかった。少し行くと、人だかりがあった。
その中心に、普段着で独楽を回してるおじさんがいた。そういうパフォーマン
スで飯を食ってる人かな、と思ったが、そうではないらしい。独楽を高く舞上
げてはそれを紐で受け、また放り投げる。はじめ、しけたじじいが目立ちたく
て神田祭の人出を狙ってやっているのかな、と考えてたが、なかなか高度なテ
クニックで、要所ようしょで、見物人が拍手喝采をする。そうすると、おじさ
んはなお一所懸命になる。私も子どもの頃、独楽を回し遊んだ。回した独楽を
掌に乗せることなんか朝飯前だった。しかし、あのおじさんの芸はすごかった。
終わって、何人かがお捻りを投げたら、
「こんなものはいらないよ。受け付けるんだったら1万円以上だ」
といって、ニコニコしていた。このおじさん、普段は何してんだろう。
神田明神を後にして、私たち2人は坂を下った。その先には秋葉原があるは
ずだ。昔の記憶が蘇る。なにしろこの辺を、自転車で集金していた私なのだ。
女房はただ私の後をついてくるだけだ。7、8分歩くと、ラオックスのコンピ
ュータ館が見えた。4月30日、このあたりを私はデジカメ探してうろついて
いた。
道路の真ん中を歩けるのはいい。女房と互いに写真を撮り合った。秋葉原の
電気街を御輿が通る。考えればここも神田なんだ。
末広町から地下鉄に乗る。そして浅草へ。
浅草。ああ…、松屋デパートで私は、鮭を1週間売っていたことがあります。
「いらっしゃい、いらっしゃい、紅鮭3切れで500円。奥さん奥さん、安い
よ、ご利用ご利用」なんて、だみ声張り上げていたっけ。あ、これはいつか
「転びすぎ」でくわしく書きます。
雷門をくぐって、仲見世を行く。身体が常に他人の身体に接触しているとい
う窮屈な状態だ。激辛せんべい80円、上げ饅頭100円を買い、2人で分け
合って食べた。けちくさい夫婦です。高校1年生のとき、圭が狐のお面が欲し
い、といったときがあり、それを女房は浅草まで買いに来た。
「この店かな、こっちかな」
と、過去を覚えることを拒否する女房が、一所懸命思い出の記憶をたどって
る。なぜか、息子のことになると生きる姿勢が180度変わる。
浅草寺の本堂に上がる。人混みの中、10円玉を放り投げ、願い事を心でと
なえる。女房はいくら入れたのか、ちょっと見たら白いものを投げていた。
本堂の隣に、比べるとずいぶん小さな浅草神社というのがあった。パンフレ
ットを読むと、ここが「三社様」らしい。昔、2人の漁師が観音様を拾って、
ここにつれてきた、とかなんとか書いてあった。この文章を書くにあたって参
考にしようと思い、女房に「あのパンフレット見せて」というと、「持ってる
わけないじゃない。昨日捨てちゃったわよ」と得意げにいう。訊く相手が悪か
った。
本堂を抜けて行こうとしたら、本堂の人たちが、みな同じ方向を見ている。
へんだなと思ったら、今まさに、御神輿が本堂に来ようとしていた。今日の写
真はそのときのものです。このときもすごい人だった。
五重塔を過ぎたあたりに、飴細工の人がいた。なかなか手際よく、割り箸に
丸めた飴の塊を、握り鋏で切っていろいろな動物をこしらえていた。
そのあとなぜか、合羽橋のほうをぶらぶらし、ファミリーレストランで休憩
して、3時過ぎ浅草を後にした。
しかし、祭は、見るもんではなく、参加するものですね。