「馬鹿」のいる風景

2005年10月02日 | 健康・病気

鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり   飯田龍太

私が愛読しているサイト「増殖する俳句歳時記」の、
10/3で紹介されていた句です。
私の感性だけでは、この句をいいとは思わなかった。
しかし、清水哲男さんの解説を読んで感動した。

>「馬鹿」と括弧がつけられているのは、
> 作者が一方的主観的に馬鹿と思っているのではなく、
>「馬鹿」と言えば
> 近在で知らぬ者はない通称のようなものだからだろう。
> 知恵おくれの人なのかもしれないが、
> 大人なのか子供なのかも句からは判然としない。
> いずれにしても畑仕事などできない人で、
> 家に残しておくのも心配だから連れてきているのだ。
> その人が「餉」のときだけはみんなと同じように
> 一丁前に振る舞っているところに、
> 作者は一種の哀しみを感じている。
> 空にはきれいな「鰯雲」が筋を引き、
> 地には収穫物が広がっていて、
> 同じ天地の間に同じ人間として生まれながら、
> しかし人間の条件の違いとは何と非情なものなのか。
> 掲句の哀感を押し進めていけば、
> こういう心持ちに行き着くはずだ。

コメント
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