Sさん夫婦が帰ったあと、私は1人になった。
といってもカウンターには、若いカップルと中年の女性と、
さっき入ってきたばかりの初老の紳士がいた。
ママが「こっちに来れば」と紳士に、
Sさん夫婦が坐っていた席を片づけながらいった。
「おれはどこでもいいよ」といいながら紳士は、
カウンターの曲がり角の席から移動した。
私とはイスをひとつをおいた隣になった。
このひとを私は知らない。
中年の女性も若いカップルも私にとって初顔だ。
5年も楽家に通っている私だが、たいした常連ではない。
2週に1、2度の利用単価の低い常連なので、
最近常連になった客をあまり知らない。
私の隣に坐ったひとを「サーさん」とママは呼んだ。
そのうち“口もち無沙汰”だった私は、サーさんと話した。
サーさんが楽家に来るようになったきっかけというのが面白い。
去年の秋頃か、
サーさんが楽家に入ったらカウンターが満席に近かった。
しかたなしに外に出て余所の店を探したがなかった。
サーさんはまた楽家に戻ってきた。
他の常連の客もママも、いったん出て行ったのがまた来たか、
という顔をしたらしい。
サーさんはその雰囲気が面白くなかった。
初めての店でいきなり焼酎のボトルを注文した。
それから楽家に来るようになった、という。
私だったら、常連で盛り上がっている小さな居酒屋に、
1人で入る気はしない。
私が初めて楽家に入ったときは、客が誰もいなかった。
たわいもない世間話をしているうちにサーさんが、
「あの女、こっちに呼べよ」と私にいう。
中高年の女性は、若いカップルと話していた。
かなり酔っていて、
カップルに焼酎のボトルをプレゼントなんかしていた。
歳は分からないが綺麗な顔立ちだ。
若い頃はそうとうな美人だったにちがいない。
着ている黒いブラウスが素敵だった。
私は昨日、作業が午後8時までかかり、野菜の加工数や
腐りではねた数や残った在庫数の報告書をファックスし、
所沢駅まで送迎に出たのが8時半、作業所に戻って、
連絡帳に必要事項を書いて作業所を出たのが10時前だった。
身体も心も疲れ切っていた。家に着いたのが10時半、
楽家に行ったのが11時前だった。
バカなことをして気晴らしをしたい気持ちになっていた。
女性に「こっちの席に来ませんか」などとにやけていい、
私はサーさんの“つかいっぱ”に成り下がっていた。
女はおぼつかない足で席を移った。
サーさんは勢いがあがった。
新しいつまみを注文をし、ボトルの焼酎を女に注いだ。
サーさんは女性にいろいろ話しかけていた。
私は適当に相づちを打っていた。
(ああ…、今日の九想話は長くなるな。
Sさんがいっていた。「ブログになって、
九想話を携帯電話で見ているおれは、
長いと何回もボタンを押さなくちゃならないから辛い」と。
ケータイで読んでいる方に心よりお詫びしますm(__)m )
結局カラオケに行こうということになった。
ママは手早く店じまいをした。
私も外の電光看板をしまったりした。
サーさんと女性とママと私で店を出た。
近所の居酒屋風のカラオケに行った。
広い店に客は2人だった。
カラオケがメインの店なのに誰もうたっていない。
私はさっそくうたった、「望郷酒場」を。
このメンバーだと演歌からがいいと判断した。
サーさんは甘い声の持ち主でムード歌謡をうたった。
ママもうたったが、女性はうたわない。
私は、続いて川島英伍の「時代おくれ」、
次がスターダスト・レビューの「木蓮の涙」、
そしてサザンの「希望の轍」、徳永英明の「レイニーブルー」、
みんな古い曲をうたった。最後に吉田拓郎の
「あいつの部屋には男がいる」をうたいたかったが、
うたったことがないので自信がなくやめた。
サーさんはタクシーを呼んでくれと店長にいった。
ママは楽家に忘れものを取りに行った。
予期せず、女性と私だけになってしまった。
彼女は「次に行きましょう」という。
私はたじろいだ。
金もないし、帰って九想話を書かなければならない。
「もう3時過ぎてますよ」というと、
つまらなそうに女性は、おとなしく帰っていった。
しかし、主婦があの時間まで飲んでいるなんて、
旦那はどんなひとなんだろう。
ママの話では、彼女は私と同じ昭和27年生まれらしい。
おばさんだと思っていた私だって、充分におじさんなんだな。
疲れているのに深夜まで遊んでしまった。
でも、私としては充分な気晴らしができた金曜日の夜でした。
といってもカウンターには、若いカップルと中年の女性と、
さっき入ってきたばかりの初老の紳士がいた。
ママが「こっちに来れば」と紳士に、
Sさん夫婦が坐っていた席を片づけながらいった。
「おれはどこでもいいよ」といいながら紳士は、
カウンターの曲がり角の席から移動した。
私とはイスをひとつをおいた隣になった。
このひとを私は知らない。
中年の女性も若いカップルも私にとって初顔だ。
5年も楽家に通っている私だが、たいした常連ではない。
2週に1、2度の利用単価の低い常連なので、
最近常連になった客をあまり知らない。
私の隣に坐ったひとを「サーさん」とママは呼んだ。
そのうち“口もち無沙汰”だった私は、サーさんと話した。
サーさんが楽家に来るようになったきっかけというのが面白い。
去年の秋頃か、
サーさんが楽家に入ったらカウンターが満席に近かった。
しかたなしに外に出て余所の店を探したがなかった。
サーさんはまた楽家に戻ってきた。
他の常連の客もママも、いったん出て行ったのがまた来たか、
という顔をしたらしい。
サーさんはその雰囲気が面白くなかった。
初めての店でいきなり焼酎のボトルを注文した。
それから楽家に来るようになった、という。
私だったら、常連で盛り上がっている小さな居酒屋に、
1人で入る気はしない。
私が初めて楽家に入ったときは、客が誰もいなかった。
たわいもない世間話をしているうちにサーさんが、
「あの女、こっちに呼べよ」と私にいう。
中高年の女性は、若いカップルと話していた。
かなり酔っていて、
カップルに焼酎のボトルをプレゼントなんかしていた。
歳は分からないが綺麗な顔立ちだ。
若い頃はそうとうな美人だったにちがいない。
着ている黒いブラウスが素敵だった。
私は昨日、作業が午後8時までかかり、野菜の加工数や
腐りではねた数や残った在庫数の報告書をファックスし、
所沢駅まで送迎に出たのが8時半、作業所に戻って、
連絡帳に必要事項を書いて作業所を出たのが10時前だった。
身体も心も疲れ切っていた。家に着いたのが10時半、
楽家に行ったのが11時前だった。
バカなことをして気晴らしをしたい気持ちになっていた。
女性に「こっちの席に来ませんか」などとにやけていい、
私はサーさんの“つかいっぱ”に成り下がっていた。
女はおぼつかない足で席を移った。
サーさんは勢いがあがった。
新しいつまみを注文をし、ボトルの焼酎を女に注いだ。
サーさんは女性にいろいろ話しかけていた。
私は適当に相づちを打っていた。
(ああ…、今日の九想話は長くなるな。
Sさんがいっていた。「ブログになって、
九想話を携帯電話で見ているおれは、
長いと何回もボタンを押さなくちゃならないから辛い」と。
ケータイで読んでいる方に心よりお詫びしますm(__)m )
結局カラオケに行こうということになった。
ママは手早く店じまいをした。
私も外の電光看板をしまったりした。
サーさんと女性とママと私で店を出た。
近所の居酒屋風のカラオケに行った。
広い店に客は2人だった。
カラオケがメインの店なのに誰もうたっていない。
私はさっそくうたった、「望郷酒場」を。
このメンバーだと演歌からがいいと判断した。
サーさんは甘い声の持ち主でムード歌謡をうたった。
ママもうたったが、女性はうたわない。
私は、続いて川島英伍の「時代おくれ」、
次がスターダスト・レビューの「木蓮の涙」、
そしてサザンの「希望の轍」、徳永英明の「レイニーブルー」、
みんな古い曲をうたった。最後に吉田拓郎の
「あいつの部屋には男がいる」をうたいたかったが、
うたったことがないので自信がなくやめた。
サーさんはタクシーを呼んでくれと店長にいった。
ママは楽家に忘れものを取りに行った。
予期せず、女性と私だけになってしまった。
彼女は「次に行きましょう」という。
私はたじろいだ。
金もないし、帰って九想話を書かなければならない。
「もう3時過ぎてますよ」というと、
つまらなそうに女性は、おとなしく帰っていった。
しかし、主婦があの時間まで飲んでいるなんて、
旦那はどんなひとなんだろう。
ママの話では、彼女は私と同じ昭和27年生まれらしい。
おばさんだと思っていた私だって、充分におじさんなんだな。
疲れているのに深夜まで遊んでしまった。
でも、私としては充分な気晴らしができた金曜日の夜でした。