昨日の陶芸教室で初めて電動ロクロをやった。
師匠のみっちゃんが、8月頃から「ロクロを教えてやる」といっていた。
私もやりたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。
陶芸教室では先生の指導が絶対だ。
たとえ“陶芸的”に間違っていたとしても。
たとえば、「手びねりで作るものは内側は削らない」
ということがあるらしい。
手ロクロで回転させ削ってしまっては、
手びねりの味が出ないということのようだ。
でも、先生は削ることを指導する。
ま、初心者に、先生は簡単に“いい形”を作らせてあげようという
温かい気持ちからそう指導していると私は想像する。
しかし、手びねりという手法からすると、それはおかしい。
先生から許しが出ないうちは電動ロクロは出来ない。
「手びねり3年」という言葉がある。
ロクロはそのあとでないと出来ないらしい。
昨夜は先生が来ない日だった。
先生は月に2回しか来ない。
なぜか、先生の来ない陶芸教室はノビノビしている。
ご飯茶碗とぐい飲みをなんとか作ったが、難しかった。
やはり私はもう少し手びねりをやっていこうと思った。
もっと土に慣れてからロクロをやればいい。
今の私にはまだ早いとしみじみ思った。
26のとき九想窯でやった蹴ロクロはもっと難しかった。
右足でロクロを蹴り続けなければならないので、
身体が安定しない。
なので上半身を“固定”した状態でなければならないのに、
動いてしまって、まともに土を作陶出来なかった。
その点、電動ロクロは勝手に回ってくれる。
楽だなと思った。
それでもまだ、私には“早い”。
3年とはいわなくても、しばらく手びねりの修行をしていこう。
師匠のみっちゃんが、8月頃から「ロクロを教えてやる」といっていた。
私もやりたいと思っていたが、なかなかその機会がなかった。
陶芸教室では先生の指導が絶対だ。
たとえ“陶芸的”に間違っていたとしても。
たとえば、「手びねりで作るものは内側は削らない」
ということがあるらしい。
手ロクロで回転させ削ってしまっては、
手びねりの味が出ないということのようだ。
でも、先生は削ることを指導する。
ま、初心者に、先生は簡単に“いい形”を作らせてあげようという
温かい気持ちからそう指導していると私は想像する。
しかし、手びねりという手法からすると、それはおかしい。
先生から許しが出ないうちは電動ロクロは出来ない。
「手びねり3年」という言葉がある。
ロクロはそのあとでないと出来ないらしい。
昨夜は先生が来ない日だった。
先生は月に2回しか来ない。
なぜか、先生の来ない陶芸教室はノビノビしている。
ご飯茶碗とぐい飲みをなんとか作ったが、難しかった。
やはり私はもう少し手びねりをやっていこうと思った。
もっと土に慣れてからロクロをやればいい。
今の私にはまだ早いとしみじみ思った。
26のとき九想窯でやった蹴ロクロはもっと難しかった。
右足でロクロを蹴り続けなければならないので、
身体が安定しない。
なので上半身を“固定”した状態でなければならないのに、
動いてしまって、まともに土を作陶出来なかった。
その点、電動ロクロは勝手に回ってくれる。
楽だなと思った。
それでもまだ、私には“早い”。
3年とはいわなくても、しばらく手びねりの修行をしていこう。