今朝の9時に仕事から解放された。
昨夜は風も強く寒かった。
午前2時半から5時半までの立哨が辛かった。
仮眠は合計3時間ほどしている。
地下鉄に乗って乗り換え駅に着く頃、
無性に、途中下車したくなった。
その小竹向原駅の近くに21年前まで勤めていたT電気製作所があった。
明日、明後日は、警備の仕事をして初めての休日になる。
心に少し開放感があった。
5日連続の24時間勤務はきつかった。
駅の出口を出る。
外の景色がまったく変わっている。
その辺は池袋まで歩いても20分ほどで行ける。
以前会社は板橋の常盤台(トキワダイ)にあった。
私が入社してまもなく小竹向原駅の近くに引っ越した。
あの頃、最初の半導体業界の好景気のときで、
会社の主力製品だったマスフローが売れていた。
マスフローという機器は、ガスの流量を制御するものです。
半導体を製造するとき必ず必要なもので、
それまで多くは、アメリカのメーカーのものが使われていたが、
T電気製作所が、それをうまくコピーして製造しはじめた。
アメリカのメーカーの輸入販売していた商社が、
マスフローが壊れたときにメーカーに戻さず、
T電気製作所に修理を依頼してきた。
若い1人の社員がそれをみごとに直してしまった。
修理してるうちに「こんなものなら造れる」ということになり、
T電気製作所で製造するようになった。
とうぜん、アメリカのメーカーの特許のところは外して製造した。
引っ越したとき地下鉄小竹向原駅はなかった。
東武東上線のときわ台駅からバスで10分ほどかかった。
その頃私は、埼玉県富士見市に住んでいた。
それまで働いていた時計部品メーカーが傾いて私は退職した。
あの頃も大変だった。息子たちは2、3歳の可愛いときだった。
私はいくつかの会社に応募したがうまくいかなかった。
女房が池袋の水商売の店で働くという決意をし、
面接を受けに行くとき一緒についていったこともあった。
店から出て来た女房に、
「やっぱりこんな店で働くのは反対だな」とやめてもらった。
そんなときに新聞の求人広告にあったT電気製作所に応募し採用された。
小さな工場から4階建てのビルに引っ越したとき会社は、
飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
マスフローは売れに売れていた。
私は最初、製造員として働いていたがそのうち資材購買に移った。
それから私は会社を替わっても、資材購買の仕事を何年もすることになった。
しかし、マスフローの売り上げは少しづつ落ち始めていた。
新しい製品開発がうまくいかなかったからだ。
なぜなら、はじめにマスフローをコピーした
優秀な社員が辞めた補充として私が入社したのです。
私は34歳のときその会社を退職した。
いろいろありました。
このあたりがT電気製作所だったなと思うところに着いた。
道路は変わりなかった。
T電気製作所の建物に着いたが、その看板はなかった。
紙の販売をする会社になっていた。
潰れてしまったのだろうか?
昨夜は風も強く寒かった。
午前2時半から5時半までの立哨が辛かった。
仮眠は合計3時間ほどしている。
地下鉄に乗って乗り換え駅に着く頃、
無性に、途中下車したくなった。
その小竹向原駅の近くに21年前まで勤めていたT電気製作所があった。
明日、明後日は、警備の仕事をして初めての休日になる。
心に少し開放感があった。
5日連続の24時間勤務はきつかった。
駅の出口を出る。
外の景色がまったく変わっている。
その辺は池袋まで歩いても20分ほどで行ける。
以前会社は板橋の常盤台(トキワダイ)にあった。
私が入社してまもなく小竹向原駅の近くに引っ越した。
あの頃、最初の半導体業界の好景気のときで、
会社の主力製品だったマスフローが売れていた。
マスフローという機器は、ガスの流量を制御するものです。
半導体を製造するとき必ず必要なもので、
それまで多くは、アメリカのメーカーのものが使われていたが、
T電気製作所が、それをうまくコピーして製造しはじめた。
アメリカのメーカーの輸入販売していた商社が、
マスフローが壊れたときにメーカーに戻さず、
T電気製作所に修理を依頼してきた。
若い1人の社員がそれをみごとに直してしまった。
修理してるうちに「こんなものなら造れる」ということになり、
T電気製作所で製造するようになった。
とうぜん、アメリカのメーカーの特許のところは外して製造した。
引っ越したとき地下鉄小竹向原駅はなかった。
東武東上線のときわ台駅からバスで10分ほどかかった。
その頃私は、埼玉県富士見市に住んでいた。
それまで働いていた時計部品メーカーが傾いて私は退職した。
あの頃も大変だった。息子たちは2、3歳の可愛いときだった。
私はいくつかの会社に応募したがうまくいかなかった。
女房が池袋の水商売の店で働くという決意をし、
面接を受けに行くとき一緒についていったこともあった。
店から出て来た女房に、
「やっぱりこんな店で働くのは反対だな」とやめてもらった。
そんなときに新聞の求人広告にあったT電気製作所に応募し採用された。
小さな工場から4階建てのビルに引っ越したとき会社は、
飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
マスフローは売れに売れていた。
私は最初、製造員として働いていたがそのうち資材購買に移った。
それから私は会社を替わっても、資材購買の仕事を何年もすることになった。
しかし、マスフローの売り上げは少しづつ落ち始めていた。
新しい製品開発がうまくいかなかったからだ。
なぜなら、はじめにマスフローをコピーした
優秀な社員が辞めた補充として私が入社したのです。
私は34歳のときその会社を退職した。
いろいろありました。
このあたりがT電気製作所だったなと思うところに着いた。
道路は変わりなかった。
T電気製作所の建物に着いたが、その看板はなかった。
紙の販売をする会社になっていた。
潰れてしまったのだろうか?