石の記憶

2013年08月06日 | 健康・病気

8月3日(土)のラジオ文芸館は、「石の記憶」(作:朽木祥「八月の光」偕成社所収)だった。
土曜日の朝、この番組が始まり、内容を聴いていると戦争の話だった。
(ちょっとやだな)と思った。
正直な気持ち、私は戦争のことを書いた小説や映画は苦手です。
朗読を聴いていると、登場人物が暮らしているところは広島だった。
私は、ダイヤルを回し放送局を替えようかなと思った。
原爆のこととなったら私の心は深く落ち込んでしまう。
そして思ったとおり、話は昭和20年8月6日に向かっていった。
(まいったな)、私は、土曜日の朝から暗い気持ちになっていった。
ところがいつしか、主人公の光子と母テルノがどうなっていくんだろう?と、
私は身体をこわばらせて、気持ちをラジオに集中していた。

光子の父親は、南方の戦地に行っていた。
テルノと光子は、広島に食料も少なくなってきたし、疎開を考えはじめていた。
でも光子は、父がひょっと帰ってくるのではないかと思ったりした。
帰ってきたときに、広島に2人がいなかったらお父さんは分からないんじゃないかと心配した。
しかしテルノは、2人が生きていなかったら、ダメじゃないか、という。
広島の街には、近々おそろしい攻撃があるという噂が流れ、2人はようやく疎開を決める。
その疎開する前日、街の銀行に向かうテルノの後ろ姿を見送ったのが、2人の別れとなってしまう。
原爆で破壊された街の中で、光子はテルノの姿を探す。
知り合いのおばあさんに、「お母さんは銀行の石段に坐っていた」といわれて、走っていく。
しかし、銀行の石段に残っていたのは、小さな母の黒い影だった…。

現在、33歳になる息子が高校1年のときの夏に、広島に行った。
広島平和記念資料館を、息子とただ黙って、ときどきため息をついて見学した。
今朝、広島平和式典があり、私はそのラジオ中継を目をつぶって聴いていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする