書き続ける友

2016年03月17日 | 健康・病気

月曜日(3/14)、埼玉の家に着くと富山の友人からの宅配便がコタツの上にあった。
女房がおれのためにわざわざ置いてくれた。
女房の電話では先週に来ていた。
九想話のコメントへの書き込みで、友人が同人誌への投稿を続けていることは知っていたが、
あらためて目の前の同人誌を見て、その重みを感じた。
(Tくんは書いているんだ)と思った。

おれとTくんが会ったのは東大生協駒場店だった。
おれは、雑貨担当の正職員、Tくんはアルバイトで働いていた。
彼は大学を出ていた。
おれと同じ歳でなんか気が合った。
アルバイトで長く駒場に勤めていたWさんという人がいた。
Wさんは、映画が好きで、文学を愛していて、おれはいつも一緒にいた。
5時半に生協の仕事が終わると、京橋のフィルムセンターや新宿・渋谷・銀座の名画座や映画館に行った。
池袋の文芸坐にもよく観に行った。
紀伊国屋ホールでのつかこうへい事務所公演の芝居は全部観た。
ある日Wさんと、Tくんとおれとで同人誌を作らないか、ということになった。
その頃にはパソコンなどありません。
同人誌を作るということは“ガリ版”です。
わら半紙にガリ版印刷で作りました。
同人誌の名前は「わりばし」です。
おれの発案でそれになりました。
おれは、離れないと使えない“わりばし”ということが気に入っていた。
くっついていては使えないのです。
今考えると、離れることを前提にして3人が集まって同人誌を作るということはおかしいですね。
その同人誌を作ったあと、Tくんは生協を辞め、おれは東大本郷に移籍になり、3人はバラバラに離れた。
Wさんはそのあと東大生協をやめ大宮に移り、演劇集団にかかわった。
おれは、その後26歳で生協を辞め、零細企業を渡り歩く暮らしになった。
Tくんは生協を辞めて富山に帰った。
私は20代のときに、彼の住む富山に行ったことがある。
30代の頃だったか、Tくんが家族で東京に来たことがあった。
そのとき、2人で東京で痛飲した。
そんな彼とこうしてインターネットを通じてつながっていることが嬉しい。

おれは小説を書いてない。
どうでもいい九想話は書いているが、小説は書いてない。
ほんとに書いてない。
去年の春、12月末締切の文學界新人賞に投稿しようと考えていたが夏に断念した。
そのとき構想していたものが陳腐に思えて書き続けられなくなった。
おれはいつもこうです。
少し書いて、読み直す。
すると、こんなもの書いてもしょうがないよな、と思えてしまう。
そうなるとそれ以上書き続けられない。
それでいつも頓挫している。
だめだ、だめだ、だめだ、書かなくては…。
陳腐なものかも知れないが、形にしなくては評価されない。
書かなくてはだめだ。
おれはこのまま死にたくない。
何か残したい。
それはおれが書く小説だ。


コメント (4)
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