昨日、私の高校3年のときのクラス会が、
茨城県桜川市のある焼き肉レストランで12時から開催された。
私は実家から友人宅まで行き、そこに車を置き、友人の運転で奥さんと行った。
友人の奥さんにはその車で帰ってもらって、クラス会が終わったらまた迎えにきてもらうことになっていた。
焼き肉レストランの駐車場には、懐かしい同級生の女性が2人いた。
クラス会の参加者は、女性4人、男性3人の7人でした。
さびしい参加数です、クラスには50人ちょっといたのにです。
しかたありません。
3年前のクラス会に私は出られなかった。
その日にどうしても抜けられないイベントがあり、仕事をしていました。
そのときのクラス会は16人の出席者がいたそうです。
先生は2人来てくれた。
担任と副担任の先生方です。
担任だった先生は81歳になられて、口開けから燗酒をがんがん飲み、元気いっぱいだった。
副担任の先生は77歳、3年前に脳梗塞になり、かなり大変だったそうだ。
現在は健康に暮らしているようです。
車で来たということでノンアルコールビールを飲んでいた。
やはりアルコールが入らないと寂しそうでした。
参加した男3人のうちの1人は、私と3日に1度は電話で話している友人です。
彼は、若いときに会社を起業し、現在もそれを経営している。
もう1人は、20代の3・4年東京で毎日のように会って飲んでいた奴だ。
彼は、建築家を目指して勉強していた。
夜学の建築の学校を出て、二級建築士の資格を取り、茨城に戻り工務店に勤め、
努力して一級建築士になった。
40歳のときに建築会社を起こしたが、4年前に会社は営業をやめた。
こまかい理由は聞けないので、どうしてそうなったのか知らない。
20歳の頃、「おれは日本で一番の建築を設計する」「おれは小説書きたい」なんてうそぶいて、
駒込のアパートで安酒を飲んでいた2人。
彼は、日本で一番の建築家になれなかった。
私は、転職をくり返し生きてきて、この状態です。
あの頃の私たちは、65歳になった現在の自分たちの姿を見てどう思うだろう。
女性たちも、これまでの人生を語ってくれた。
姑の世話をし続けてきた人。
ご主人が脳梗塞になり、現在も介護で苦労している人。
旦那も子どもたちも健康で順調に暮らしている人。
骨粗鬆症になってしまってその治療で苦労している人。
参加者が少ないこともあり、一人ひとりの半生をじっくり聞けたクラス会でした。
これはこれで良いことだと思った。
担任の先生は奥さんが迎えにきたということで午後3時前に帰っていった。
アルコールを飲まなかった副担任も帰った。
そのあと生徒7人でいろんなことを話した。
焼き肉レストランには4時半ぐらいまでいた。
楽しいクラス会でした。
私たち男3人は、女性の運転で私がその日泊まる友人の家に行って、二次会となった。
女性は用事があるので帰って行った。
それから男3人で夜まで飲み続けた。