追分の紅葉

2014年11月06日 | 健康・病気



この写真は、国道18号を軽井沢西部小学校のところで曲り、信濃追分駅に行く道路です。
ここを私は通勤でいつも通るのですが、この紅葉が綺麗です。
今日(午後2時26分)撮ったときの空は曇っていた。
青空だったら、もっと素敵なんですけどね。

私は今朝、健康診断に浅間病院に行った。
今年から会社が胃カメラのお金を出してくれなくなったので、今日の胃の内視鏡はなかった。
いつか自分で胃カメラだけ受診するつもりです。
胃カメラをやらない、というだけでずいぶん気持ちが楽だった。
でも、いつかやるんですけどね…。

健康診断が終わってからイオンモール佐久平に行く。
2階の楽器屋でギターのカポタストを買った。
2700円でなかなか使いやすいです。
家に帰って、昔作った曲を楽譜に書いた。
作詞を新しくしようと書き始めたが、なかなか進まない。
もうあまり時間がない。
あせらないと。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

困ったドライバー

2014年11月05日 | 健康・病気

今日、埼玉の家から軽井沢に帰ってくる途中、安中市を走っているときに、
前のトラックが左のウィンカーをつけているのにずーっと真っ直ぐ走っていた。
2トンぐらいの工務店の名前の書いてあるトラックだった。
私ははじめ、(あれ、曲がんない)(次に左折するのかな?)と思いながらトラックの後ろを走っていた。
あのトラックのドライバーはウィンカーがついていることに気づいてないな、と思った。
ウィンカーがついていることをなぜ気がつかないのかな?と不思議だった。
車内でカッチンカッチン音がしているのではないか。
私は、あのドライバーに知らせる方法はないかな、と考えた。
クラクションを鳴らしても、なんだかわからないだろうな、と思う。
たくさんの車が走っているのです。
10分ほど走っていたら、左の店の駐車場から乗用車が道路に出ようとした。
私は(あっ、ぶつかる)と思った。
私でもあの乗用車の運転手だったら、トラックが左折するんだから道路に出ようとするだろう。
でもトラックは真っ直ぐに走って行く。
乗用車は、道路に出る前になんとか停まってぶつからなかった。
車の中でドライバーが怒っているのがわかった。
横川に入る前あたりでトラックのウィンカーが消えた。
20分間は左のウィンカーをつけっぱなしでトラックは走っていた。
そのうちそのトラックは左に曲がった。
そのときはウィンカーをつけなかった。
あんなドライバーもいるから車の運転は怖い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイルの目地補修

2014年11月04日 | 健康・病気

今日は、台所のタイルの目地補修をした。
  
築30年もたっているとこんなふうにタイルとキッチンの間に溝がある。
ここを女房は引っ越したころに目地を補修する接着剤のようなものを買ってきて自分で埋めた。
それが気に入らなくていつかやり直したいといっていた。
それを今日やるといいだした。
女房はいったら絶対やる人です。
ホームセンターにコーキング剤とコーキングガンを買いに行った。
午後1時ころ家に帰って昼飯の蕎麦を食べて作業に入った。
  
まず、前回目地に埋めた接着剤など剥がし、マスキングテープを貼った。
右の写真がコーキングガン(148円)とコーキング剤(158円)です。
  
私が、コーキングガンの引き金を引きながらコーキング剤を目地に出していきます。
そこを女房がヘラの代用にしたプラスティックのスプーンで形を整えていく。
  
ときには指も使う。
  
女房は、きれいに仕上げることが難しいといっていた。
私もやってみたが大変でした。
なかなかきれいにできません。
コーキング剤が乾いてからマスキングテープを取ろうということで今日の作業はおわりにしたら、
今、九想話を書くためにネットでいろいろ調べたら、
「コーキング剤が乾かないうちにマスキングテープは取りましょう」
と書いてあった。
私は焦って、この九想話を書く前にマスキングテープを剥がしました。
あまりきれいな仕上がりではない。
来年の春、もう一度タイルの目地補修をやり直そうかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の庭

2014年11月03日 | 健康・病気

第51回芥川賞受賞作「春の庭」(柴崎友香著)を読んだ。
文藝春秋9月号に掲載されたものです。
文章が読みにくく、途中で何度かやめようと思った。
ただ、このところ芥川賞受賞作をいくつも読了していない自分に嫌気がさしていたので意地でも読み続けた。
読み終えて、いったいこの小説は何を読者に伝えたかったのだろう?と首をかしげた。
私には何も残らなかった。

2階のベランダから女が何かを見ていた。
最初は大家の家を見ていたと思ったが、その隣の水色の家を見ていたことに、1階に住む太郎が気づく。
築31年の「ビューパレス サエキⅢ」というアパートは、大家が息子にかわり、取り壊しの計画が決まったから、
定期借家契約の終了する来年の7月までに出てほしいと太郎はいわれていた。
離婚するまで太郎は美容師をしていた。
元妻の父親が経営する美容室の支店で店長をしていたので、離婚と同時に職も失った。
現在は、高校の同級生の兄の起業した会社で、販促ツールや展示館のブースを作ったり、
PR業務を請け負う従業員5人の会社で働いて3年になる。
ある日、“辰さん”(部屋の名前が干支で、辰の部屋に住んでいたから)が、ブロック塀によじ登ろうとしていた。
それを太郎は助けた。
その夜、2人は居酒屋で飲んだ。
辰さんは、自分を西といった。
私は、このいきなり出てきた(読み返すといきなりではなかった)西という人を男だと思ってずーっと読んでいた。
これまで私の小説のなんていうか習慣では、女性は下の名前で表記されていたことが多い。
「西」と書かれていると、どうしても男と思ってしまう。
このへんがこの小説を読みずらくしていることですかね…。
西は、ビールを飲んで、「春の庭」という写真集を太郎に見せた。
写真集は、20年前、ある家に住む夫婦の日常生活を撮影したもので、夫は35歳のCMディレクター、妻は27歳で小劇団の女優だった。
ほとんど夫婦の家を撮った写真が載っているもので、その家がアパートの前の水色の家だという。

そのあと、いろんなエピソードがずらずら書いてあってエンディングになる。
それなりの「ビューパレス サエキⅢ」というアパートに住む人々の暮らしと、
太郎とかかわる人の生活は知らされたが、それがなんなんだ、という思いです。
こんなどうでもいい、なんでもない生活を知りたくて私は小説を読んでいるんではない。
このような小説が芥川賞を受賞することが理解できない。

> 『春の庭』には、不穏さが満ちていて、その不穏さはこの作者の作品にはいつもたゆたっていたものでありますが、
> たくらみを凝らして見せよう、というものを作者が試してみたことが面白いと思ったのです。
> ただ、今回はなぜだかわたしは、この作品の文章を読むのを、少し難しく感じることがありました。
> 読みにくい、ということではないのです。
> 読みにくさは小説にとって決して欠点ではないので。
> そうではなく、難しい、と感じたのです。
> それがこの作品にとってどういうことなのか、わたし自身も考えてみたく思います。
これは、私の昔の句会の仲間であった川上弘美の評です。
と書いている自分がサビシイですね。
ただ、「芥川賞選考委員川上弘美」と書けばいいものを、どこかで九想はこの人の近くにいたんだといいたいばっかりに…。
人生が終わりに近づき、何も誇ることがない人間の貧しさが出てしまいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国営武蔵丘陵森林公園

2014年11月02日 | 健康・病気

   
  
   
   
   
    
今日、森林公園に行った。
私たちは、いつもはただ「森林公園」としかいっていないが、
正式には「国営武蔵丘陵森林公園」という。
私の家からは10キロぐらいのところにあり、かなり広い公園です。
ここには、息子たちが幼稚園のときに行ったことがあります。
たくさんの植物があり、花がいろいろ咲いていた。
11時半から2時ぐらいまでいた。
今日は、入園料は無料だった(駐車場代620円)。
歩き疲れました。
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フォークソング祭り

2014年11月01日 | 健康・病気

11月になりました。
11月22日(土)に、北軽井沢のパンカーラで「フォークソング祭り」がある。
私は、久しぶりにそこに出ることにしました。
ちょうど仕事が休みになっていたのです。
9月に出ることを決め、まだ先のことだなと考えていたのですが、11月になってしまった。
そのための準備をしなければなりません。

今回は、むかし作った歌をうたおうかなと考えた。
こんな私ですが、20代のころに何曲か歌を作っていた。
それを引っ張りだしてうたおうかなと思ったのです。
それを女房にいうと、「みんな迷惑するからやめたほうがいい」という。
そりゃそうだ、私のへたなギターと歌で、誰も知らない歌をうたったら、苦痛な時間となるだろう。
せめて懐かしい歌でもうたってくれたなら、そのころの自分の暮らしを振り返ってみる、などという楽しみかたもできる。
それが、初めて聴く九想の歌なんぞでは、ただ退屈なだけだ。
そうは思うが、私としては、私の青春をうたってみたい気持ちがあるんです。

そうだ、3曲全部私の曲ではみなさん迷惑だろうから、1曲だけ私の曲にしようかな。
あとの2曲は誰もが知っている曲をうたえば、1曲ぐらい九想の作った歌をうたっても許してくれるだろう。

たとえば、こんな曲をうたうのはどうだろう。
私が高校を卒業して、手工ギター工房に弟子入りして、夢破れて田舎に帰ったころに流行った曲です。
一番最初に私が人生につまづいたときに世の中に流れていた。
私は、この曲をうらみました。
そのときの私は、この歌がうたえなかったのです。
あのとき私は、私の人生はもう終わったと思って生きていた。

加藤和彦は、2009年の10月に自殺した。
まさか、私が暮らすところの近くで死ぬとは、あのころの私は想像もできないことでした。
加藤和彦は、私の高校時代に憧れていた1人でした。
このブログの右上の「検索」の欄に「加藤和彦」と入力して「このブログ内で」で検索すると、
むかし「加藤和彦」について書いた九想話が沢山出てきます。

あの素晴らしい愛をもう一度

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする