老老介護

2023年09月18日 | 健康・病気

今日は敬老の日ですね。
そんな日にふと我が暮らしを思った。
〝おれたち老老介護じゃねぇか、と。

>老老介護とは、高齢者の介護を高齢者が行うことです。
>主に65歳以上の高齢の夫婦や親子、兄弟などのどちらかが介護者であり、
>もう一方が介護される側となるケースを指します。
健康長寿ネット

妻が66歳、私が71歳、現在私が妻の生活の補助をしている。
妻は家の中を歩けない。
家の中をお尻と両手を使って、床の上を移動している。
トイレや浴室に行くときにそうしている。
食事の準備や洗濯は私がしている。
その私の両膝が1年ぐらい前から調子がよくない。
歩くときに痛いのです。
がんもこの先どのようになっていくか分からない。

妻は、これから膝が回復してくれば歩けるようになる。
そうなれば自分自身のことが出来るようになる。
そう思うと、私のことが心配になる。
これから先歩けなくなり、妻の介助がなければ生活出来なくなるかも知れない。
そんなことを考えていた〝敬老の日〟でした。

庭に赤いムクゲとヘブンリーブルーが咲いていた。



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消えたカードたち

2023年09月16日 | 健康・病気

今日、私が妻の入院している病院に行って11時頃退院してきた。
「早く退院できそうなので10時半に来て」と妻から8時過ぎにLINEが来た。
10時半に玄関に置いてある車イスを押して、私は3階のナースステーションに行った。
デイルームに妻が待っていたので車イスを交換した。
それまで妻が乗っていた車イスは、病棟のものだったのです。
入院費用の計算に時間が30分ほどかかった。
車イスの妻を押してエレベーターで1階に降りた。
クレジットカードで会計をすませた。
私が膀胱がんで世話になっている病院は、
退院してから1週間後に入院費用の請求書が送られてきた。
それをコンビニで支払った。
そのほうがすぐ退院できるし、時間の無駄がないと思った。

病院からの帰りにスーパーに寄って買い物をした。
そのスーパーには車イスが置いてあった。
それに妻を載せてスーパーの中に入った。
スーパーの中を妻と歩くなんて何日ぶりだろう?
一通りの食材を買った。
これからしばらく私が、うちの食事を作る。

家に着いて、妻が車から降りて家の中に入ることが大変だった。
車からは松葉杖で歩いた。
玄関に上がってから妻は、お尻と腕を使って床を静かに移動した。
トイレにもシャワーを浴びに行くにも、そうして移動していた。

じつは昨日、退院することについて大きな問題があった。
妻が入院するときに、保険証と診察券以外の財布の中にあったカード類を
あるところに置いたという。
カード類とは、クレジットカードや各お店のポイントカードなどです。
そのことを知った私は、妻がカードを置いたというプラスチックのケースの中を探した。
何度探してもない。
私は焦った。
妻のいうケースに入っているジップロックなどを写真に撮って、私は妻にLINEで送った。
結局昨日は見つからなかった。
妻が入院する前にいた場所なんて限られているんです。
今日、妻が家に帰ってきてからも妻自身が心当たりのところを探した。
しかし、見つからなかった。
妻が1つのことを思い出した。
「2階の大事なものを置いてあるところの、お薬手帳が入っている緑のふちのケースかも知れない」
私は2階に行ってそれを持って妻に渡した。
するとその中にカード類はあった。
「よかったね」と2人で笑い合った。
そのカード類が見つからなかったら、今日の妻の退院を私たちは単純に喜べなかった。
妻はカード類を置いた場所の記憶を間違えていた。
これはボケのはじまりか?(そんなことはないだろう)
私にもちょっと記憶があいまいなことがある。
たしかにこれは、歳をとったことではあるのだろう。
とにもかくにも、カード類が見つかってよかった。

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妻、明日退院

2023年09月15日 | 健康・病気

膝蓋骨骨折(しつがいこつこっせつ)で9月9日に入院した妻が、明日退院する。
11日に受けた、妻の生まれて初めての手術への感想はどうなのだろう?
13日からリバビリンはしているようだ
昨日は、松葉杖なしで階段を歩く練習をしたそうだ。
「だから玄関、上れるよ」とLINEに書いてあった。
私の家の玄関には、4段ほどの階段がある。
「上りは、元気な足が先で、下りは逆の怪我した足から降りるの。不思議!」
かなり膝の具合はよさそうだ。
「明日11時に、病院の玄関に置いてある外来の車イスを押して、3階のナースステーションに来て」

明日からまた女房との暮らしが始まる。
ああだ、こうだ、言い合って、私が負ける生活です。

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阪神が18年ぶりのリーグ制覇

2023年09月14日 | 野球


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/ytv/nation/ytv-2023091409453671


阪神が優勝した。
もうそれだけでいいです。
何も書くことはあり

 

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阪神の「アレ」は?

2023年09月13日 | 野球

>優勝目前の阪神、飛び交う言葉は「アレ」ばかり……いったいなぜ?
 (朝日新聞)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/sports/ASR9F41Y9R9FOXIE008


> 18年ぶりのセ・リーグ制覇へ、プロ野球・阪神タイガースの勢いが止まらない。
>8月中旬に優勝マジックが点灯して以降、虎党の盛り上がりも高まるばかり。13日
>にはついにマジック1となった。関西のメディアやSNSでは「アレ間近」「今年こそ
>アレして」といった言葉が飛び交う。あれ? ちょっと待って。優勝と言わずに
>「アレ」を使うのはなぜ?

> 9月12日の巨人戦に勝ち、マジックを3に減らした阪神。翌日のスポーツ各紙朝刊
>(大阪本社版)には、「最速アレ見えた」「あすにもアレ」といった見出しが並ん
>だ。そもそもは、昨秋就任の岡田彰布監督(65)が使い始めた言葉だ。選手たちが
>優勝を意識しすぎないように言い始め、今季のスローガンも「A.R.E.(エーアール
>イー)」になった。

(略)

> ファンにも浸透していることについては、08、21年のV逸を念頭に「あと一歩
>で優勝を逃してきた歴史も大きい」と国際日本文化研究センターの井上章一所長
>(68)は言う。

> 自身も半世紀以上、阪神を応援している井上さん。「優勝と言ってしまうと、
>『またできないんじゃないか』と思うファンは少なくない。アレと言えば優勝が
>必ず来るわけでもないですが、それほど気を使って待ち望んでいる心のあり方が
>表れていると思います」

>阪神マジック1 阪神・佐藤輝「あしたも絶対勝ちます!!」満塁弾で優勝王手 広島敗れる
(サンケイスポーツ)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sanspo/sports/sanspo-_sports_baseball_npb_YX3QSFKBXNN47N5FTIOGVU2QTM

>(セ・リーグ、阪神4-0巨人、22回戦、阪神15勝5敗1分、13日、甲子園)
>興奮を抑えきれなかった。お立ち台の最後、満員の虎党に向かって佐藤輝が叫んだ。

>「あしたも絶対勝ちます。バモス!!」

>放った打球は、栄光まで続くアーチを描いた。バックスクリーン右に着弾したその
>瞬間、甲子園が大歓声に包まれた。走者3人をかえし、ゆっくりホームベースを踏
>んで大騒ぎのベンチへ。先制のグランドスラムで、大きな、大きな4点のリードを
>奪った。

(略)

>その中で5番に収まる佐藤輝が止まらない。8月は打率・300、3本塁打の活躍
>で同月18勝に貢献。続く9月もこの試合の前までで打率・281、3本塁打と好
>調をキープする。この日は二回の第1打席でも、もう少しでスタンドインの打球を
>中堅に放っており、アレへ向けた最終局面で手が付けられない打者になっている。

>今季初の3安打とし、試合終了時点で優勝へのマジックナンバーを「2」とした。
>広島が敗れ、ついに「1」になった。14日にも本拠地甲子園での優勝が決まる。
>大事な一戦で飛び出した左の主砲の一発。秋の夜風が吹く聖地に熱気を届け、今季
>2度目の10連勝。アレはもう目の前だ。(邨田直人)

阪神10連勝です。
阪神ファンとして、この状態が信じられません、と思っている私です。
明日、阪神が巨人に勝つと「アレ」です。
いや、そんなこと、阪神ファンとしてとても〝信じられません〟。

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妻手術後の次の日が終わる

2023年09月12日 | 暮らし



朝、台所の窓を開けたときにヘブンリーブルーの花が咲いているのに気づいた。
この小さな花のヘブンリーブルーは8月末に芽が出たものです。
おそらく去年のヘブンリーブルーのタネだと思う。

昨日、妻の膝の手術が終わった。
とりあえず一安心です。
あとは妻の身体の回復力に期待するしかありません。

>お医者さん、きたよ。
>来週早々でも退院いいですよ、って。

妻がLINEを送ってきた。

>今日、なんか持って行くものない?

私が聞いた。

>今のところ大丈夫。

ところがしばらくして、

>明日から、リハビリやるから下着を持ってきてほしい。

私は持って行くものを写真に撮ってこれでいいかと確認した。

私は昼メシ(袋麺)を食べ、昼寝をして午後2時に家を出た。
20分ほどでナースステーションに荷物を預けて、妻の汚れ物をもらって病院から帰った。

家に帰って大相撲を観た。
北勝富士が3人の大関に勝って3連勝だ。
私は、所沢に長く住んでいたので所沢出身の北勝富士を応援してきた。
しかし、マンション管理人をしていた朝霞市出身の大栄翔も応援している。
明日、この2人が闘うんだけど、どちらを応援するか悩む。

大相撲のテレビ中継が終わってから、私は作業ズボンに履き替えた。
8月末に妻が、ホウレン草のタネを買っていた。
それをまくには、うちの〝畑〟に苦土石灰をまかないといけない。
これまで今年は暑くてなかなかその作業が出来なかった。
今日の朝も暑かったので、夕方やることにした。

今夜、阪神が巨人に1-0で勝っていた。
私はテレビ中継を知らなくて観ていなかった。
12時前、サッカーで日本がトルコに4-2で勝っていた。

藤井聡太七冠が永瀬拓矢王座に勝利 王座戦は1勝1敗のタイになった。

いろんなことのあった1日でした。
明日明後日、私はシルバー人材センターの仕事です。
しっかり働きます。

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妻の手術の日

2023年09月11日 | 健康・病気

66歳の妻は、これまで手術というものを1回もしたことがない。
私は、27歳のときの盲腸、40歳の胆石除去手術、53歳の鼠径ヘルニア(脱腸)、
63歳と69歳のときの下肢静脈瘤の手術、そして膀胱がんの手術5回で全部で10回している。
そういう妻が今日生まれて初めて手術を受けた。
あの人としてはどんな気持ちだろう。

私は妻から12時半に病院に来てくれ、といわれていたので12時15分に行った。
ナースステーションに声をかけ、そこの前にあるイスとテーブルが4セットある部屋にいた。
午後1時を過ぎても誰も話しかけてこない。
女房の手術はどうなってんだろう?と思い始めた。
私は持っていた「一人称単数」(村上春樹 著 文春文庫)を読んでいた。
1時半になっても何の音沙汰もない。
2時前に妻が坐る車イスを看護師が押してきた。
「今から手術です」と看護師が私にいった。
妻が入院している部屋の、貴重品を入れている引き出しのカギを私に預けた。

それから1時間たっても2時間たっても、妻の手術は終わらなかった。
午後4時45分に、主治医にナースステーションに呼ばれた。
そこにあったディスプレーにレントゲン写真を映して手術の説明をしてくれた。
手術はうまくいったという。
素人目で見てもキレイにワイヤーで、割れた膝がくっつけられていた。
ベットに載った状態の妻が出てきたのが午後4時50分だった。
長かった。
妻は手術が終わってホッとした顔をしていた。
「主治医は明日退院してもいい、といってたよ」と妻にいうと、
「私は恐いからしばらく病院にいたい」という。
私は、貴重品を入れている引き出しのカギを妻に渡した。

病院を出た私は、スーパーマーケットに寄って、夕食に食べるものを買って家に帰った。
妻が入院して家にいないが、それほど寂しくない。
この気持ちはなんなのだろうと思った。
そうだ2009年から2016年まで私は、軽井沢で一人暮らしをしていた。
それで1人でいることに違和感もないようです。
でも、早く妻に帰ってきてほしいと思う。
妻の手料理を食べたいです。

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仙台で牛タン

2023年09月10日 | 旅行

昨夜、今日の行動のことをいろいろ考えた。
家でごろごろして、テレビでも観ていることが一番楽です。
でも、〝大人の休日倶楽部〟のチケットがある。
JR東日本の鉄道を9月11日まで乗り放題できるのです。
それを使わない手はない。
妻は入院しているので心配はない。
それで考えたことは、山形の山寺に行こうか、と思った。
私は、20代のとき日本中を旅していて、沖縄と山形だけ行ってなかった。
それで、山形に憧れていた。
「山寺に明日行く」と女房にLINEに書くと、「遠くに行ってほしくない」と返事が来た。
9月11日に手術があるからいろいろ心配だという。
そう書かれては、山寺に行くわけにはいかない。
それで私は、仙台に行くことにした。
山寺に行こうと考えていたときには、5時台に家を出ようとしていた。
それが気が抜けて、8時に家を出た。
大宮駅に行き、なすの255号の新幹線に乗った。
昨日新潟で別れた友人にLINEをすると、今日は常磐線特急で仙台に行くという。
「それじゃ、おれも仙台に行くので会おう」とLINEを送った。

12時半に仙台駅の中央口で友人と会った。
それから仙台の商店街を歩き、ある牛タンを食べる店でビールを飲んだ。
それだけで14時45分発やまびこ144号の新幹線に乗って帰ってきた。
とうぜんビール、ハイボール、日本酒とつまみを買って、新幹線に乗り込んだ。
妻が明日手術だというのに、呑気な亭主です。
友人は宇都宮で降りた。
家に帰るため水戸線に乗るのだが、小山駅にその新幹線は停まらなかった。
小山駅で、1人でどこかに〝大人の休日倶楽部〟のチケットで旅してきた配偶者と会うという。
夫婦で別々の旅をするというのもいいですね。

17時55分に家に着いた。
荷物を片付けて、シャワーを浴び、晩飯の用意をして、ビールを飲みながら、
ラグビーのワールドカップの日本とチリ戦を観たが途中で寝てしまった。
やはり疲れているのだろう。
NHKの「サンデースポーツ」の頃目が覚めた。
明日は、妻の手術です。

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妻の入院

2023年09月09日 | 暮らし

今日は妻の入院の日でした。
今朝私は新潟のホテルにいた。
じつは、9月8日に新潟に行くということは2週間前から決まっていた。
茨城の友人と〝大人の休日倶楽部〟で行くことになっていた。
妻が5日に膝蓋骨骨折になり、私は旅行に行くことを諦めた。
私と友人は、9月8日に新潟に行って泊まり、9日は福島の会津若松に行き、
喜多方によってラーメンを食べるという計画だった。
ところが妻は、旅行には行ってくれなくては困るという。
自分のせいで私が旅行に行けなくなるのはイヤだという。
といって、9日に入院するのには私が付き添って行かなければならない。
それで考えた結果、私は8日に新潟に行くが、
9日に福島には行かず、13時の入院時間に間に合うように家に帰ってくる、
ということにした。
といっても、もし台風で新幹線が止まったりしたらどうしよう、と思った。
そのときには、妻が自分でタクシー会社に電話して病院に行けるか、と妻に確認した。
「行ける」と妻はいう。
考えれば今の妻の状態で、タクシーを呼んで病院に行くことは難しいと思う。
それでも、そういってしまう妻なんです。

私は新潟に行くことにしたが、残された妻は普通の身体ではない。
歩けないのです。
移動するには腰を床につけたままギブスの足をのばして、両手で少しづつ前に動いて行く。
高いところのものは取れない。
妻はそういうかたちで自分でトイレに行き、シャワーも浴びた。
それが私としては心配だった。
もしアクシデントがあり動けなくなったら、という心配だった。
それを妻にいうと、「旅行には絶対行って」という。
私は、ヨーグルトとレーズンバターロールパンとお茶のペットボトルを、
妻の手の届く冷蔵庫の下のところに置いた。
8日の朝、私は妻の食事の用意をして家を出た。

今朝、新潟は台風の影響もなく快晴だった。
7時にホテルのバイキングの朝食を食べて、7時半に呼んだタクシーに乗り新潟駅に行った。
7時56分の上越新幹線「とき」に乗り、9時39分に大宮駅に着き、家には11時20分に着いた。
それから妻の入院準備をして12時20分に家を出た。

12時45分に病院に着いて、妻はコロナの検査を受けた。
陰性だった。
それから入院の手続きをした。
9月11日(月)手術は13時半からとなり、私は12時半までに病院に行くことになった。
病院で入院手続きをして、私は家に15時ぐらいに帰ってきた。

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膝蓋骨骨折

2023年09月07日 | 健康・病気

今日はジャニーズ事務所の記者会見で、テレビは賑わっていましたね。
わが家はそれどころではなかった。
妻が9月5日(火)の夜7時ぐらいに台所で転んで、左膝の皿を割ってしまった。
(膝の皿を割ることを「膝蓋骨骨折」ということをネットで知った)
そして救急車を呼んだ。
妻の左膝の異常な形に妻自身が驚いていた。
左膝の真ん中がへこんでいたのです。
私も見てショックを受けた。
20分ほどで救急車は来てくれた。
妻と私はそれに乗って、病院に行った。
8時に着いてレントゲン、MRIなどを撮り診察を受けた。
膝の割れ方から来週手術ということになった。
(割れ方によっては、手術をしないこともあるそうです)
診察を受け10時ぐらいに病院から出られて、タクシーで帰ってきた。
翌日、私の車で午前9時前に病院に行った。
駐車場まで行き、私が病院の車椅子を借りてきて車に戻り、妻をそれに載せて病院に入った。
それから入院するために必要なこと(採血、採尿、心電図測定、etc)をして診察を受けた。
手術は9月11日(月)と決まって、入院は9月9日(土)午後1時となった。
それからも入院するための説明などを聞いて、病院から出られたのが2時だった。
私はその日、シルバー人材センターの仕事が午後3時から勤務なので気が気でなかった。
2時50分までに職場に入らなくてはならない。
朝9時に行けば、午後3時からの勤務には楽勝だろう、と甘く考えていた。
膝をケガした女房を家に1人おいて、私は仕事に向かった。
なんとか職場には間に合った。
痛み止めの薬を飲んだせいか妻は、それから寝ていたようだった。
(それはよかったです)
私は夜の10時前に家に着いた。

こんなことが、妻と私にありました。
今日は、入院に必要なものを準備した。
病院への書類などに必要なことを記入して印を押す作業をした。
妻が動けないので私が、入院に必要なものをあちこちから集めなくてはならなかった。
シャンプー・ボディソープを入れる小さな容器、入院に持って行く履き物、下着などなど。
私が7月に膀胱がんで入院したときには、私は動けるのでほとんど自分でそれらを用意した。
膝蓋骨骨折した妻は動けないので、すべて私が準備した。
とうぜん、妻と私の食事の準備も私が全部した。
それにしてもあらためて私は考えた。
これまでの妻の働きで私は、生かされているんだな、と。

(昨夜は、疲れて眠たくて、九想話を休みました)

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