録画してあった「丹下左膳余話百万両の壺」「河内山宗俊」「人情紙風船」など山中貞雄監督の映画を観た。昭和10年代の映画。河内山では15,6歳の可憐な原節子を観ることができた。戦後の小津の映画に出てくる頃にはすっかり年増(ちょっと可哀想な表現だが)になっているのがよくわかった。
監督は29歳で中国の戦地で病死。もったいない限りだ。
加東大介が出ていたが、あれっそんな配役名はなかったが、と思っていると、最後に市川何とか、と記されていた。最初の売り出しはこの芸名だったのだ。
黒澤の「七人の侍」では存在感のある演技だった。
追伸
昨日のブログにも書きましたが、日曜のグルメサイクリングに参加募集中です。ふるってご参加表明を!!
監督は29歳で中国の戦地で病死。もったいない限りだ。
加東大介が出ていたが、あれっそんな配役名はなかったが、と思っていると、最後に市川何とか、と記されていた。最初の売り出しはこの芸名だったのだ。
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