昨夜の続き。昭和44年6月に、1等座席がグリーン席に変更されることとなった。それで1等表示のあるうちにと思いで、友人と名古屋まで行ってこの切符を買った。金の無い高2には隣の熱田駅までの切符しか買うしかなかったが(わざわざ名古屋まで行っているが)、駅には隣まで1等切符を買う客はないらしく、硬券ではなく手書きの切符となったのはお笑いだ(1等の表示は印刷)。切符は買ったが、連結車輌を確認していなかったのか、無かったのか、乗った記憶はない。切符も未入鋏だ。
これ以降1等のみの運賃料金体系はなくなり、グリーン席は隣の青函連絡船のグリーン券のように上乗せ料金体系となる。
しかし、この頃は鉄道運賃も安かった。東京までのこだま自由席は1000円。昭和39年だが近鉄名古屋四日市間は子どもだと55円だ。(大人は110円?)
夕刻、雨が降るかもと思って、安楽峠下の研修センターまでデポ。林道別れからの3kmを3回。登りの練習。
今日明日とシマノ鈴鹿、明日は乗鞍本番。選手の皆さん頑張ってください。
これ以降1等のみの運賃料金体系はなくなり、グリーン席は隣の青函連絡船のグリーン券のように上乗せ料金体系となる。
しかし、この頃は鉄道運賃も安かった。東京までのこだま自由席は1000円。昭和39年だが近鉄名古屋四日市間は子どもだと55円だ。(大人は110円?)
夕刻、雨が降るかもと思って、安楽峠下の研修センターまでデポ。林道別れからの3kmを3回。登りの練習。
今日明日とシマノ鈴鹿、明日は乗鞍本番。選手の皆さん頑張ってください。