雨の一日。
昨日は年賀状の写真を撮りに津家所の辰水神社へルック号。行きはグリーン経由(カメラマンとして次女を同行)。
身内の不幸が続いて、2年間年賀状を出さなかった。
学生時分から、年賀状は毎年木版画、だった。
作成のためには毎年ながら艱難辛苦であった。絵柄の考案、版画作家全集を借りてきて気合を入れる。場合によってはロケハンする。下絵作り、彫り、摺りと徹夜は当たり前。
35年以上続けてきたが、2年間ブランクがあって、憑き物でも落ちたか、もう止める事とした。
それはそれで一抹の寂しさもあるが、よくよく考えれば一年にたった一枚の版画を。それも10cm四方程度の小さな版画しか彫らない、摺らないのであるから、上手くなるわけでもないし、進歩もさほどないわけである。
普段絵でも描いているかというと、そんなこともなく、更に期日限定の作業に追われるも自縄自縛。上達しないのであれば、若い頃ならともかく、この歳では、恥ずかしい限り(といいつつ、31年前、結婚した年作成の年賀状(写真))。
年賀状ムック本で素材を選んで写真を張り付ければ簡単に収まるのであるから、簡単簡単。更に今年は元日以降に宛名を書いて出そうと、サボタージュ。
第二の人生はワガママに生きる決意を新たに、である。
昨日は年賀状の写真を撮りに津家所の辰水神社へルック号。行きはグリーン経由(カメラマンとして次女を同行)。
身内の不幸が続いて、2年間年賀状を出さなかった。
学生時分から、年賀状は毎年木版画、だった。
作成のためには毎年ながら艱難辛苦であった。絵柄の考案、版画作家全集を借りてきて気合を入れる。場合によってはロケハンする。下絵作り、彫り、摺りと徹夜は当たり前。
35年以上続けてきたが、2年間ブランクがあって、憑き物でも落ちたか、もう止める事とした。
それはそれで一抹の寂しさもあるが、よくよく考えれば一年にたった一枚の版画を。それも10cm四方程度の小さな版画しか彫らない、摺らないのであるから、上手くなるわけでもないし、進歩もさほどないわけである。
普段絵でも描いているかというと、そんなこともなく、更に期日限定の作業に追われるも自縄自縛。上達しないのであれば、若い頃ならともかく、この歳では、恥ずかしい限り(といいつつ、31年前、結婚した年作成の年賀状(写真))。
年賀状ムック本で素材を選んで写真を張り付ければ簡単に収まるのであるから、簡単簡単。更に今年は元日以降に宛名を書いて出そうと、サボタージュ。
第二の人生はワガママに生きる決意を新たに、である。