明日から梅雨空となりそうなので、今日はサイクリング。8時半過ぎに家を出る。
安楽越えて、ランチは4月以来の油日「宇奈月」11時開店前に到着。4名先着で、5人目。今日はいつものお寿司の手配が遅れたという事で無く、大盛り800円を注文。
今日の目的はもう一つ、何年か前に湯船の藤林長門守の城館跡を訪ねているが、その時北側に広がる田んぼの風景にこれは藤林家が統治していた田畑ではないかと感じたので、北の方角にあたる上馬杉から走行してみようと考えた。
店を出て、田堵野集落から毛枚を通過して上馬杉へ。最近この地域ばかりきているので慣れた道だ。
旧道から舗装された田んぼ道(農道)を谷地田にそって緩やかに登っていく。この伊賀地域はこういう谷地田が多く、地域間争いもあり、警戒心から忍者の生まれる素地となったとも言われる(確か、NHKタモリの番組で言っていたような)。
谷地田とは言うものの可成りの広い田んぼが広がっている。
上馬杉から1.3kmほど上り詰めたところが写真の「藤林長門守城跡」の石碑が建つ場所である。藤林家は、服部(半蔵)、百地家とならぶ伊賀忍者の3大上忍の一つであり、その子孫は忍術書「万川集海」を著している。天正伊賀の乱時には、織田方の先導となったとか、百地こそ藤林であるとか、諸説あるそうだ。
伊賀と甲賀の境に位置するこの高台から辿ってきた道(甲賀へ抜ける一番早い道だ)を眺めると、戦国時代は、普段は農作業にあたっていた藤林一党の何人もの忍者やその家族の往来があったのではないかと想像してしまう。
帰途は、一旦滋賀県側の高嶺を経由して、小杉、柘植、加太、関、農免道路で帰宅。走行94㎞。