そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『僕たちの保存』 長嶋有

2024-12-17 21:21:00 | Books
長嶋有が、またまた特定の世代にしか響かない間口の狭い小説を書いたなー、と同世代としては嬉しくなってしまう。MSXパソコンなんて、何十年ぶりかに思い出したぞ。

でも、決してそれだけでなく、新幹線の切符を忘れてギリギリ間に合う件りや、狛江のコミュニティバスの描写や、刀剣を担いでチャリで都庁に向かう場面など、躍動感と臨場感にも溢れている。

クラウド、EPレコード、カセットテープ…新旧入り乱れる媒体への「保存」というモチーフが貫かれているのは何とも慧眼。

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『ザッソウ 結果を出すチームの習慣』 倉貫義人

2024-12-04 09:59:00 | Books
「ザッソウ」とは、「雑談+相談」或いは「雑な相談」。

ザッソウの効果についてたくさんのことが語られているが、
・「壁打ち」を通じて「悩む」が「考える」に変わる
・「フィードバック」が「手応え」を生み、「働きがい」につながる
という点は、とても重要なポイントだなと思った。

その他、個人的に印象に残ったのは以下。
・本来マネジメントは「なんとかする」という意味であり、管理は「なんとかする」ための手段に過ぎない。
・ザッソウでメンバーの関心を引き出すためのフレームワークは「YWT」
「やってきたこと(Y)」「わかったこと(W)」「次にやること(T)」
・採用面接でもザッソウする。小一時間の雑談すらできない人とは、一緒に働くイメージがわかない。

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『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』 エイミー・C・エドモンドソン

2024-11-10 15:05:00 | Books
心理的安全性の入門書。

心理的安全性とは何か。
支援を求めたりミスを認めたりして対人関係のリスクを取っても、公式・非公式を問わず制裁を受けるような結果にならないと信じられること。

心理的安全性は何ではないか。
感じよくあるためにいつも相手の意見に賛成することではない。
快適ゾーンに留まるために目標達成基準を下げることでもない。

人々が職場において、アイデアや疑問や懸念を率直に話し合うのを制限してしまうのは何故か。
「沈黙していたために解雇された人は、これまで一人もいない」
組織に属する人々は、安全第一で行こうとする本能に従い、無意識に対人関係のリスクを回避しようとする。それが建設的な考えであったとしても、自信がなければ尻込みしてしまうのだ。

心理的安全性の対極にあるのが、不安と脅しを使った管理テクニックが横行する組織だ。
かつてのフォルクスワーゲン、ウェルスファーゴ、ノキアが、そのような組織の代表例として挙げられる。
心理的安全性の欠如は、法令違反を見過ごすなど企業不祥事を惹起し、経営を揺るがす。

沈黙が大事故の原因になることもある。
スペースシャトル・コロンビア号、テネリフェ空港の航空機衝突、そして福島第一原発。
沈黙の文化は、日本特有のものではない。
根底にあるのは、人々の意見にはたいてい価値がない、尊重するには及ばないという思い込みだ。

「率直さ」「透明性」「失敗から学ぶこと」が、心理的安全性の3点セット。

率直さと透明性の事例として、世界最大のヘッジファンド、ブリッジウォーター・アソシエイツでは、「席を外して他者の意見から学べないときは、席を外しているその人について話をしてはならない」「マネジャーも、部下のことを当人がいないところで話してはいけない」というルールが徹底されているという。
また、福島第二原発では、巨大地震と津波に際して、リーダー(所長)が、自分の弱さを認め、メンバーとコミュニケーションを図り、ホワイトボードで情報をガラス張りにして共有することで、第一原発の二の舞になることを回避した。

VUCAと呼ばれる不確実な時代には、組織戦略を、計画ではなく仮説として捉える必要がある。
即ち、失敗から学ぶことの重要性が増しているのだ。
だから、失敗にリーダーがどのような意味を持たせるかは極めて重要。
もしリーダーが明確かつ積極的に、人々が安心して失敗できるようにしなければ、必然的に人々は失敗を避けるようになる。
仕事をリフレーミングし、失敗をリフレーミングする。

失敗のリフレーミングは、失敗のタイプによる基本的な分類を理解することから始まる。
「回避可能な失敗」は望ましいプロセスから逸脱して悪い結果をもたらすもの。ベストプラクティスからのズレに素早く気づいて修正する必要がある。
一方で、正解がわからない仕事では、派手な失敗が求められ、「賢い失敗」は称賛されるべきものとなる。

そのために、上司の役割のリフレーミングも必要となる。上司はあらかじめ正しい答えを持っている存在ではない。部下を貴重な知恵と知識を持つ貢献者と捉え、彼らの意見を積極的に取り入れて、仕事の方向性を決めること、絶えず学習して卓抜した存在になるための条件をつくることに責任を持つのだ。

上司が発すべき問い。
「私たちは何か見落としていないか?」
「他にどんなアイデアが考えられる?」
「誰か見解の違う人は?」
「なぜそのように考えるようになった?」
「例をあげてくれないか?」

最後に、心理的安全性とダイバーシティ、インクルージョン、ビロンギングの関係。
熟慮して採用を行えばダイバーシティは実現できるが、だからと言ってインクルージョン、ビロンギングが実現するわけではない。
インクルージョン、ビロンギングが実現している職場は、心理的に安全であると言うことができる。
インクルージョン、ビロンギングが実現して初めて、ダイバーシティは効果を生む。

…JTCと呼ばれるような日本の会社(組織)で、これを完全に実現できているところはほぼ無いのではないだろうか。
昭和への郷愁を捨て切るにはもうちょっと時間が必要なのかもしれない。

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『星影さやかに (文春文庫)』 古内一絵

2024-11-03 23:16:00 | Books
著者自身の祖父と父にまつわる実話を基にした小説とのことだが、それもあってなんだかNHKの「ファミリーヒストリー」みたいなテイスト。

章によって、一人称が息子→母→父…と入れ替わっていくが、それによって家族の有り様が多面的に立ち現れてくる。
昭和39年から過去を振り返る序章と終章は、単行本のために書き下ろされたもののようだが、これが加わることで時間的な深みが増す効果を生んでいる。

「ファミリーヒストリー」を視てもいつも思うけど、自分よりも二世代ほど前のこの時代、現代よりも世の中がずっと不確実で、どの家族も社会状況に翻弄されながら生きていたのだと思い知らされる。
主人公の家族に限らず、どの家族も不確実な時代をそれぞれに懸命に、誠実に生き抜いていた。が、それが共同体に広がると、同調圧力やら余計なものが働いて、時に悲劇も生まれる。
そんな人の世の難しさ、哀しさもまたこの小説には刻まれている。

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『反応しない練習』 草薙龍瞬

2024-09-29 23:08:00 | Books

5年ぶりに再読したので読書メモを。


人間関係に悩んだり、怒りを抑えられなかったり、他人の目が気になったり、執着心や嫉妬心に駆られたり、あらゆる悩みの始まりには「心の反応」がある。

心の無駄な反応を止めることで悩み、苦しみから抜け出す、というのがブッダの教えの根幹。


まずは、心が反応しているという事実を認めて正面から向き合い、それが満たされることのない妄想であることを認識する。

価値があるとか無いとか、優れているとか劣っているとか、無駄に「判断」することを止める。

自分を否定するのも「判断」、ただ肯定すればよい。

自信を持つのも「判断」、ただ「正しい」こと、やるべきことをやればよい。


とは言っても、心はそもそも反応してしまうもの。

そんな時はいっそのこと目を閉じてしまえばよい。

目を閉じて、身体の感覚を確認してみる。


人間関係の悩みは、自分サイドの問題(心の反応)と相手との関わり方を分けて考える。

相手の反応は相手に委ねる。「正しさ」は人それぞれ違う。

過去の相手の言動が許せなかったとしても、それは自分の中の「記憶」に過ぎない。相手は常に変わっている。


欲求を満たすことで「快」が得られるのであれば、それをモチベーションにするのもよい。

が、欲求を満たすことを目的にしてはならない。欲が膨らみすぎると焦りや不安などの「不快」がもたらされる。そうなったら仕切り直したほうがよい。


他人の目が気になるのは、承認欲+妄想。妄想は確かめようがないこと。

比較しても、自分の状況が変わるわけではなく、常に不満が残る。


自分のモノゴトに集中し、自分が納得できることを指針とする。

世界に対して「貢献」することを動機とする。


現実を否定するのでも迎合するのでもなく、現実に対して「自分はどう向き合うか」。

生きることはラクではないが、その苦難を乗り越える出発点と考えればよい。


こうしてみると仏教(ブッダの教え)というのは、宗教というよりも人生哲学・心理学の体系だということがよく分かる。

その哲学・心理学を踏まえた上で、真に幸福に生きるための実践術も含まれている。




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『いつか月夜』 寺地はるな

2024-09-23 13:56:00 | Books
人は生きているとたくさんの人と出会うけれど、その人たちは、夜中にいっしょに歩いてもいいかなと思える人と、とてもそうは思えない人と、2種類に分かれるのかもしれない。
で、いっしょに歩ける人とも、完全に分かり合えることはけっしてなくて、いろんな理由でもういっしょには歩けなくなってしまうのだ。
でもそれは何かを失ったということではなくて、お互いの心に豊かなものを確かに残してくれて、だからこそちょっと切ない。

この小説を読んで、そんなことを感じた。

主人公の青年の、質素ながら真摯な人柄が、小野寺史宜の『ひと』『まち』の主人公と似ている印象で、イマドキな感じがする。

「みけねこ洋菓子店」の件りだけ、急にジブリ映画みたいなテイストになる。

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『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき 』

2024-09-09 21:11:00 | Books
脳科学の専門家である著者が、脳卒中になり、発症から治療、リハビリの過程で自分自身の身体と精神に何が起きたかを克明に書き下した、まさに奇跡の一冊。

脳卒中が起きた朝、脳の専門家であるが故に自分の脳に何が起きているかを冷静に観察しながら、左脳の機能が麻痺していく中で論理的思考力が働かなくなっていくという矛盾。その過程を描くドキュメンタリーは生々しくも、生命と知性の不思議さに満ちていて興味深い。そして、左脳の機能を失いながら、後にこの記憶を呼び覚まして本に書いているという事実が奇跡的。

左脳と言語中枢を失うと、「自己」を認識できなくなり、自己とそれ以外を隔てる境界線が無くなっていくという体験がまた興味深い。自分・自己・自我というものは左脳が作り出した妄想なのか?
自分が流体のように感じられ、あらゆるエネルギーが一緒に混ざり合っているように感じられるという体験は、先日読んだ村松大輔氏の量子力学的世界観にも通じるものがある。

治療とリハビリを経て、左脳が正常に機能するようになると、同時にマイナス思考のループが復活するというのも皮肉なもの。
著者は左脳マインドを失った経験から、深い内なる安らぎは右脳にある神経学上の回路から生じるものだと信じるようになる。そして、右脳マインドを呼び起こし、内なる安らぎを体現するためには「いま、ここに」いることを認識するのがその第一歩になると言う。紹介される様々な手法はマインドフルネスや仏教思想にも通じるもののように感じる。

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『1947』 長浦京

2024-09-01 16:48:00 | Books
日本人を猿呼ばわりする差別主義者が主人公の小説なんて前代未聞ではないだろうか。そういう点ではかなり変わった小説。

終戦直後、占領下の東京は荒廃と混沌が渦巻いていて、小説の舞台としてなかなか魅力的だし、アクションシーンの臨場感とスピード感ある描写は秀逸なのだが、とにかく説明セリフが多くて読んでいて辟易としてくる。

主人公と数名の女性を除くと、登場する英国人も米国人も、日本人の元軍人もヤクザ者も、キャラが立っていなくて印象が被ってしまう。それでいて、説明的で理屈っぽい似たようなダイアログが繰り返されるので、誰がどんな思惑をもっているのか、その関係性が非常にわかりにくい。

読み終わった際には、ああやっと終わってくれたか、と思ってしまった。

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『最新理論を人生に活かす「量子力学的」実践術』 村松大輔

2024-07-21 20:57:00 | Books
勧められて読んだのだが、面白かった。

量子力学を謳っているが、科学の本ではなく、量子力学的なものの見方をベースにした自己啓発、心理カウンセリング、宗教哲学というか、ある意味かなり風変わりな内容。

でもまあ、素粒子レベルから見たら、自分だの相手だの、人間だの物だの、生だの死だのというのもみなこの世を説明するためのフィクションでしかないのは確か。
そう思えば、著者の言ってることもすんなり入ってくる。

一見悪いことだと思えても、「おかげで」と感謝を振りかければ好転する、他人に褒められようとするのではなく、まずは自分自身を認めて自分を褒めよう、というのは全くその通りだと思う。

占い、生まれ変わり、魂、霊など、いわゆるスピリチュアルな世界を一貫した理屈で説明してしまうのも面白い。

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宮田笙子選手の五輪辞退の件

2024-07-20 11:24:00 | Sports
彼女のことは全く知らなかったのですが、喫煙・飲酒が発覚して、直前での五輪出場辞退、世間は議論百出になっているみたいですね。
タバコくらいで…という意見も気持ちはわかりますし、処罰感情は微塵もありませんが、ルール違反した事実は変えられないので出場できないのは仕方ないでしょうね。

個人的には、五輪に出ることを絶対的に善とする価値観のほうにちょっと違和感を覚えます。
たかがタバコ、の一方で、たかが五輪、ではないかと。
今回の出来事に向き合って、長い人生、五輪に一度出られなかったなんて小さなことだと思えるくらい、よりよい人生を送るためのきっかけにしてくれたらよいなと思います。

発覚したら大きな問題になることくらい彼女も分かっていたと思うし、そもそも喫煙なんてアスリートにとって百害あって一利なし。
それなのにやってしまったというのは、彼女のこれまでの人生にどこか無理があったということなのだと思うのですよね。

気持ちを切り替えて4年後を目指すのもよし、向き合い方を変えて体操を楽しむことにするのもよし、体操をやめて別の人生を歩むのもよし。
彼女が自分自身にとって最善の選択をしてくれることを願います。


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