でも、決してそれだけでなく、新幹線の切符を忘れてギリギリ間に合う件りや、狛江のコミュニティバスの描写や、刀剣を担いでチャリで都庁に向かう場面など、躍動感と臨場感にも溢れている。
クラウド、EPレコード、カセットテープ…新旧入り乱れる媒体への「保存」というモチーフが貫かれているのは何とも慧眼。
#ブクログ
5年ぶりに再読したので読書メモを。
人間関係に悩んだり、怒りを抑えられなかったり、他人の目が気になったり、執着心や嫉妬心に駆られたり、あらゆる悩みの始まりには「心の反応」がある。
心の無駄な反応を止めることで悩み、苦しみから抜け出す、というのがブッダの教えの根幹。
まずは、心が反応しているという事実を認めて正面から向き合い、それが満たされることのない妄想であることを認識する。
価値があるとか無いとか、優れているとか劣っているとか、無駄に「判断」することを止める。
自分を否定するのも「判断」、ただ肯定すればよい。
自信を持つのも「判断」、ただ「正しい」こと、やるべきことをやればよい。
とは言っても、心はそもそも反応してしまうもの。
そんな時はいっそのこと目を閉じてしまえばよい。
目を閉じて、身体の感覚を確認してみる。
人間関係の悩みは、自分サイドの問題(心の反応)と相手との関わり方を分けて考える。
相手の反応は相手に委ねる。「正しさ」は人それぞれ違う。
過去の相手の言動が許せなかったとしても、それは自分の中の「記憶」に過ぎない。相手は常に変わっている。
欲求を満たすことで「快」が得られるのであれば、それをモチベーションにするのもよい。
が、欲求を満たすことを目的にしてはならない。欲が膨らみすぎると焦りや不安などの「不快」がもたらされる。そうなったら仕切り直したほうがよい。
他人の目が気になるのは、承認欲+妄想。妄想は確かめようがないこと。
比較しても、自分の状況が変わるわけではなく、常に不満が残る。
自分のモノゴトに集中し、自分が納得できることを指針とする。
世界に対して「貢献」することを動機とする。
現実を否定するのでも迎合するのでもなく、現実に対して「自分はどう向き合うか」。
生きることはラクではないが、その苦難を乗り越える出発点と考えればよい。
こうしてみると仏教(ブッダの教え)というのは、宗教というよりも人生哲学・心理学の体系だということがよく分かる。
その哲学・心理学を踏まえた上で、真に幸福に生きるための実践術も含まれている。