大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか | |
タイラー・コーエン | |
エヌティティ出版 |
巷で話題のピケティ本は読んでない(というか、ここまでブームになってしまうと逆に読む気もなくなる…)のだが、ベストセラー『大停滞』のタイラー・コーエンが「格差」について論じたこちらの著作を読んでみた。
ここで語られるのは、技術革新が労働、雇用、所得に影響を与えることで生じる格差社会。
コーエンがイメージする格差社会は以下のようなものである。
これまでの産業の歴史においても、技術の革新により、以前は人間がやっていた仕事がだんだんと機械に代替されてきた。
が、「機械の知能(人工知能)」が飛躍的に発展することにより、これまで人間にしかできないと思われていたインテリジェントな判断やノウハウを必要とする領域まで機械が進出するようになるという新しい潮流が現実化しつつある。
そのことによって、中程度のスキルを要する仕事が機械にシフトすることになり、これまでそれらの仕事を担ってきた「中流」の労働者たちが職と所得を失うことになる。
その一方で、機械と協働することで価値を生み出すことができる上位層の労働者は機械の能力を借りることでさらに自らの価値を高めることになる。
現在の米国では、上位1%の超富裕層が富を独占していることに批判が集まっているが、将来的には上位15%が超富裕層となりその他大勢の下位層と断絶した社会になることが予想される。
実質所得を減らした下位層の人々は、生活レベルや住む地域の質を落とすことで、多くを望まない身の丈にあった生活を送ることで新しい現実に適応していくことになる。
格差は固定したものではなく、機械と協働するスキルを磨くことができれば誰でも上位層に入るチャンスはある。
そのためのカギは、どのような教育を受けることを選択するか、労働や生活に勤勉に取り組む基本的な所作を身につけることができるか、といった要素にある(なお、このことは「愚直に働いていれば報われる」という単純な努力信仰を意味しているわけではない)。
コーエンが描く格差社会はけっしてディストピア的なものではなく、現在の流れの延長線上の姿を冷静に想像したもの。
それだけに現実味を感じてしまう。
また、米国の社会を題材に書かれているが、日本においてもそのまま当てはまりそうな話ばかりである(グローバル化ってそういうことなのだろうが)。
結局、格差ってまさに相対的な概念なので、こうした格差社会を受容できるかどうかの感覚は何を基準として拠って立つのかに依存するような気もする。
すなわち「総中流」が当たり前だった世代(およびその感覚を受け継いでいる世代)から見れば許し難い社会である一方、「総中流」が崩れた時代しか知らない世代にとってみれば案外すんなりと受け容れられるものなのかもしれない。
以上が本筋であるが、本書には「機械の知能」についての興味深い考察や見識が多く盛り込まれているので、以下メモとして残しておきたい。
・機械の知能に関わる産業にはほとんど規制がないので進歩のペースが極めて速い。たとえば、規制だらけの医薬製薬産業とは対照的である。ただし、将来的に機械の知能に関わる産業においても規制が強化されていくことは想定される。
・2009年の景気後退期、米国では失業率が上がるとともに労働生産性の数値が上昇した。生産性の低い人たちが選択的に解雇され、それきり呼び戻されなかったと想定される。
・現代の人々は、体調がすぐれない時、医者にかかる前にGoogleで情報を検索する。そういう意味では、すでにGoogleは「機械のドクター」と化している。
・人間と機械がチームとなって協働してくだした判断の是非を、人間が判定することは難しい。
・教育の世界で人工知能が進歩すると、人間の教授の役割は、モチベーションを刺激し、コーチすることに限られていくであろう。
・科学の世界ではその研究成果があまりに進展していくと、普通の人間が直感的に理解することが困難になる傾向にますます拍車がかかる。また、専門分化が進むことで、一人の人間が全体を把握しイノベーションを起こすことが難しくなり、平凡で官僚的な世界になる。今は開拓の余地が大きいSNSの世界も、やがてはそうなるだろう。だが、機械の知能を使いこなせば個人がイノベーションを生むことも可能になるかもしれない。