そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

書き納め2006

2006-12-31 17:40:09 | Weblog
気がつけば2006年もあと数時間。
Y2Kで騒いでいたのがついこの間のような気がするけど、あれからもう7年も経ったんだなあ。

一月ほど更新が滞ったこともあったけど、このブログも2回目の年越しを迎えることができた。
今年読んだ本のレビューを書き切るという最低限の目標も何とか達成できたし。

来年もボチボチやっていきます。
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「<敗戦>と日本人」 保坂正康

2006-12-31 00:52:48 | Books
“敗戦”と日本人

筑摩書房

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著者は日本近現代史の研究家で、当事者の証言を重視する立場での研究姿勢に特徴がある(本著の冒頭でも自認している)。
本著は、太平洋戦争の最終盤、戦局の悪化が究極的に進む中、連合国によるポツダム宣言の提示から受諾に至る期間(昭和20年7月下旬~8月上旬)にスポットを当て、当時の政治家・官僚・軍人・民間人などの残している手記を読み解いている。

対象となっている手記は以下の通り。
 寺崎英成(御用掛)による「昭和天皇独白録」
 藤田尚徳(侍従長)による「侍従長の回想」
 下村宏(国務大臣)による「終戦秘史」
 宇垣纏(第五航空艦隊司令長官)による「戦藻録」
 迫水久常(内閣書記官長)による「機関銃下の首相官邸」
 陸軍省軍務課による「機密戦争日誌」
 東郷茂徳(外務大臣)による「時代の一面」
 高見順(作家)による「敗戦日記」
 山田風太郎(医学生)による「戦中派不戦日記」
※()内は終戦当時の肩書き

ポツダム宣言諾否に関して、天皇や鈴木首相・東郷外相などの受諾派と陸軍を中心とした徹底抗戦派の間に激しい攻防が繰り広げられたこと、広島・長崎への原爆投下とソ連参戦といった事態急変の中、最終的に天皇の聖断をもって降伏の決断を行なうに至る経緯については、知識はあったもののこうして当事者自身の証言を眺めるとその状況が生々しく立ち現れてくる。
我々のように歴史を後から眺めていると、降伏・敗戦という結論は必然的な帰結であるようにどうしても思ってしまうが、けっしてそんなことはなく、一つ間違えれば戦争継続を選択し、日本と日本人が今とは全く異なる姿になっていた可能性も十分にあったのだ、と実感できる。
軍部の保身・自己擁護という意味合いはもちろん強いが、一般民衆も含め抗戦派は抗戦派で、それぞれの立場で真摯な主張ではあったのだ。

広島・長崎への原爆投下は、日本が降伏という選択をするにあたって本当に大きな誘因であったのだな、ということも強く感じられた。
その意味でアメリカが主張するように「原爆が戦争を終わらせた」というのは事実としては正しいように思える。
(ここから先、本著のレビューからはやや離れる。)が、それは倫理的意味において正当性を持つわけではない。
日本が戦争へとのめり込んで行ったのは、もちろん一義的には道を誤った日本の指導者層および日本人自身の責任であるが、一方で欧米列国によりそのような道を歩まされたという面もあるのではないかと思っている。
もともとは東アジアで植民地獲得を競っていた欧米列国がいつの間にか手を引き、日本だけが悪者にされ、最後は原爆を落とされて大量の生命を奪われ、国土をずたずたにされた、という構図も成り立ちうるのではないか。
被害者面するのは明らかに間違っていると思うが、一方的に加害者であるとしてしまうのも同様に行き過ぎであると思う。
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「歴代総理の通信簿」 八幡和郎

2006-12-30 00:44:45 | Books
歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び

PHP研究所

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歴代総理を100点満点で採点した福田和也氏の「総理の値打ち」に対するセカンド・オピニオンとして読んだ。

著者の八幡和郎氏は元通産官僚で、現在は評論家、徳島文理大学教授。
特にリベラル寄りということは無いと思うが、本書の中でも「ハト派」であることは自認している。
歴史認識についてはアジア諸国に配慮すべきとの考えを表し、いわゆり「押し付け憲法」論の非論理性を唱えたり、自民党の右傾化に対するバランサーとしての連立政権における公明党の存在を評価したり、と保守系タカ派の人からは悪く言われそうなことも主張している。
元官僚、フランス留学経験あり、といった経歴からか、官僚の力を高めに評価し、アジア・アメリカよりもヨーロッパを上に見る傾向があるようだ。

「総理の値打ち」と異なりA~Eの5段階評価がされており、各総理の業績・評価の解説はより詳細。
また人物単位にまとめるのではなく時代の流れに沿って書かれている(伊藤博文のように何度も総理大臣になっている人物は、登場の度に分かれて解説が書かれ最後にまとめて評価が論じられる)ので、明治以降の政治史を大観するという意味ではより有用である。
各人物の評価も、あくまで「総理大臣として何を為したか」が基準になっている。
例えば大隈重信については野党政治家としては高く評価できるとしながらも、総理大臣としては最低ランクと断じている。
また、近衛・平沼・米内あたりも総理を退いて後の立場での終戦工作への貢献は高く評価しながらも、総理大臣時代としての無策ぶりは酷評されている。

両著の評価を比較してみよう。
(人物、「総理の値打ち」における採点、本書におけるランク、の順)

両著共に高評価
 伊藤博文、91、A
 山県有朋、85、B
 原敬、73、A
 加藤高明、72、B
 鈴木貫太郎、71、B
 吉田茂、68(占領中、独立後は27点)、A
 岸信介、81、B
 佐藤栄作、72、B

両著共に低評価
 林銑十郎、41、E
 近衛文麿、17、E
 平沼騏一郎、39、D
 阿部信行、32、D
 小磯国昭、37、D
 鈴木善幸、41、D
 小泉純一郎、27、D

両著で評価が分かれた人物
 大隈重信、54、E
 東条英機、52、E
 幣原喜重郎、55、A
 池田勇人、62、A
 田中角栄、57、D
 三木武夫、42、B
 竹下登、61、D
 細川護熙、31、B
 村山富市、28、C
 森喜朗、30、C

やはり、明治の近代国家創成期、そして敗戦後の再興期という「国づくり」の時期にリーダーシップを発揮した宰相の評価は高く(吉田と岸の評価が逆転しているあたりに両著者の立ち位置の違いは感じられるが)、軍部の暴発に対して無策だった昭和10年代の宰相は総じて低評価。
そして平成以降のリーダーの低見識を嘆いている点も共通している(福田氏の見方はより厳しく、昭和10年代との相似性まで指摘している)。

評価が分かれた人物については、まず東条英機については両者とも開戦よりも戦争終結に向けて何らアクションを起さなかったことを糾弾している(八幡氏の方がより厳しい)が福田氏は人望の厚さの点でやや評価が高いようだ。
田中角栄については、両著とも功罪相半ばする存在であることを認めた上で、福田氏の方は列島改造計画による地方の農村経済の底上げを果たしたという点で一定の評価をしている。
八幡氏における細川護熙の高評価は自分もやや納得がいかないのだが、何はともあれ自民党永久政権を倒したこと、小選挙区制導入による政治改革を果たしたことに評価を与えているようである。

いずれにせよ、こういった評価というのは、歴史の大きな流れの中で位置づけられていくものであり、戦後日本の総括が未だ為されているとは言えない状況では、戦後の各総理の評価が一定しないのも致し方のないところか。
結局のところ、苦境にあって困難な大仕事を決断し実行した人物が歴史的にも評価されるわけで、安倍総理に関して言えば支持率云々はどうでもいいが、ほとんど何も為していないわけで、今のところ評価のしようがないといった感じだろうか。
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「寝ながら学べる構造主義」 内田 樹

2006-12-29 00:53:48 | Books
寝ながら学べる構造主義

文藝春秋

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内田樹氏のブログは、独特の切り口がたいへん興味深いので愛読している。
が、著作を読んだのはこの本が初めてであった。
タイトルが示すとおり、「構造主義」に関する平易な入門書。
内容はわかりやすいし、構造主義がどんなものかイメージは掴めた気になるが、じゃあ自分の言葉で構造主義を説明してみよ、と言われてもなかなか難しい。
でもまあそれでいいのかな、という気もする。
なんたって「寝ながら学」んでもいいんだから。

構造主義の辞書的な定義は以下の通り(大辞泉より)。

《(フランス)structuralisme》人間の社会的、文化的諸事象を可能ならしめている基底的な構造を研究しようとする立場。ソシュール以降の言語学理論を背景に、レビ=ストロースの人類学でこの方法が用いられて以来、哲学や精神分析など、主として人文・社会科学の領域で展開されている。

これだけ読んでもサッパリである。
簡単に言うと、「思い込み」を廃して物事を見ること、その前提として、我々がどのような「思い込み」のもとに世界を認識しているかを認識すること、というふうに解釈した。
客観的になること、相対化すること、価値中立的になること、といったイメージと親和するだろうか。

フーコーによる進歩史観の否定あたりは非常に分かりやすい。
が、レヴィ・ストロースによる「親族の基本構造」仮説、あらゆる親族関係を「社会システム上の『役割演技』」と位置付け、「親族システム」の存在理由を「近親相姦の禁止」に求め、さらに掘り下げて「女の交換」「贈与システム」に辿りつくあたりの論旨には、そのあまりの鮮やかさに驚愕する一方、ここまで割り切ってしまっていいのか、という気もする。

構造主義で語られると非常に頭が良さそうに聞こえる。
内田氏のブログにおける論理展開がとても鮮やかに感じられるのも、これをバックボーンとして持っているからに違いない。
が、一方で、凡人である自分はちょっと不安になってくる。
こんなにも価値中立的になってしまっていいのだろうか?
ここまで世の中を「構造化」できるのであるとすると、人間が持つ「価値観」や「嗜好」はどう位置づけられるのだろうか?

本書の冒頭部分によれば、今我々が生きている時代は「ポスト構造主義の時代」であるとされる。
「ポスト構造主義の時代」とは、構造主義の発想が「自明なもの」になっていまった時代、と著者は解釈しているという。
そして、次のように語る。

本書はそのような構造主義の時代の「終りの始まり」を示す徴候のひとつとみなしていただければよいかと思います。私は別に進んで構造主義の「死期」を早めるためにこの本を書いているわけではありませんが、本書を読み終わったころには、おそらく読者のみなさんは、「システム」とか「差異」とかいうことばにかなりうんざりし始めているでしょう。

まさにそんな感じだ。
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「総理の値打ち」 福田和也

2006-12-26 23:44:20 | Books
総理の値打ち

文藝春秋

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伊藤博文から小泉純一郎まで、56人の歴代総理大臣を100点満点で採点するという試み。
筆者の福田和也氏について、自分はよく知らなかったのだが、保守の論客として定評のある人物で(Wikipediaの人物紹介はこちら)、最近では「とくダネ!」のコメンテータとしても出演してるらしい(出勤してしまってるので見たことないが)。
かつて「作家の値打ち」という本で100人の現代作家を採点し物議を醸したことがあるそうだが、同趣旨の総理大臣版がこの本である。

で、気になる採点結果。

評価が高い人物としては・・・
まずは、近代国家としての日本の諸制度を創り上げた世代である伊藤博文(91点<最高点>)、山県有朋(85点)。
そして、大正デモクラシー期、政党政治時代の名宰相、原敬(73点)、加藤高明(72点)。
終戦への道を切り開いた鈴木貫太郎(71点)。
戦後では、岸信介(81点)、佐藤栄作(72点)兄弟の評価が高い。

一方で、評価が低い方には、大きく二系譜ある。
一つは、太平洋戦争開戦への道を押し留める術もなく無為に過ごしてしまった面々・・・林銑十郎(41点)、近衛文麿(17点<最低点>)、平沼騏一郎(39点)、阿部信行(32点)。
もう一つは、平成に入ってからの小粒な首相群・・・宇野宗佑(35点)、海部俊樹(36点)、宮沢喜一(38点)、細川護熙(31点)、村山富市(28点)、森喜朗(30点)。
橋本龍太郎(47点)、小渕恵三(49点)両名を除けば、下位に名を連ねている。
そして、小泉純一郎。
この本は当初2002年に書かれているが、その時点で29点。
2005年(郵政解散前)の文庫化のタイミングで再採点しているが、27点とさらに点は辛くなっている。
小泉の無為無策ぶり、バランス感覚の欠如、不勉強ぶりを酷評している。

大学受験では日本史を選択したし、近現代史は特に好きなので、各総理の歴史上の位置付けなどのだいたいのイメージはあったが、さすがに掘り下げた知識や歴史観までは持ち合わせていないので、明治以降の政治史を大局的に改めて眺めてみるという点で興味深く読んだ。
その後、八幡和郎氏の「歴代総理の通信簿」というほぼ同じ趣向の本が出たことを知り、そちらも読んだので、両者の比較を後日書いてみたい。
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「俘虜記」 大岡昇平

2006-12-25 23:34:50 | Books
俘虜記

新潮社

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これまでにも、戦争に関する小説や、映画や、ドラマはたくさん読んだり観たりしてきた。
どれもそれぞれに心に迫るものはあったが、やはりどこか遠い昔のこと、自分自身を投影できない他人事のように感じられたのは否定できない。
が、この「俘虜記」は違った。
こんなにも「自分のこと」として捉えられる戦争小説は初めてだった。

中年に近い年齢にして、熱帯の激戦地に送られる運命となった主人公は、敵の攻撃と疫病に苦しめられ、やがて戦友とはぐれ、力尽きたところで敵の捕虜となる。
そのときに彼が何を感じたか、考えたか。
兵隊となり、やがて「捕虜」という「兵隊ではないもの」となった知識人たる彼の主観、そして彼を通して描かれる日本兵たちの姿は、現代を生きる我々のそれとなんら変わるところがない。

事後から彼らを眺めている我々は、米軍の捕虜となることを恥辱とし恐怖する彼らの愚を知っている。
しかし、彼らは知らなかっただけなのだ。
得体の知れない米軍兵士に捕まったら、死ぬよりも酷い目に遭わされるのではないか。
生きて日本に還ったとしたら、どんな辱めを受けることになるのか。
誰ひとりそんな経験を持ち合わせていない。
彼らは想像し、恐怖に慄くしかなかった。
我々とまったく同じである。

そして、一旦捕虜として収容されるや、十分な食事と安全を与えられ、堕落していく彼ら。
作者は、彼らの姿を通じて占領下の社会を風刺する意図であったそうだが、占領下どころではない。
彼らこそ、現在に至るまで続く戦後日本の姿を象徴しているのではないか。
そう感じた。
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2006 2つのグランプリ(2)

2006-12-25 00:10:06 | Entertainment
ここ数年、有馬記念と同日セットになっているのがこれ。

チュートリアルが優勝 漫才のM-1グランプリ(共同通信) - goo ニュース

チュートリアルは完璧に面白かった。
去年も最終3組には残れなかったものの、かなり印象的だったし。
1本目の冷蔵庫のネタは、去年のバーベキュー(?)のネタと同じパターンだったけどスケールアップは感じられた。
優勝を決めた自転車の「チリンチリン」のネタは、よくまあこんなしょーもない話題をここまで面白く膨らませるなあというくらいよく練られてたし、掛け合いのテンポや徳井(ボケ)の演技力(?)も抜群だった。

麒麟や笑い飯は去年のほうが良かったなあ。
チュートリアルを除けば、全体に去年よりややレベルダウンかもしれない。
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2006 2つのグランプリ(1)

2006-12-25 00:06:28 | Sports
ディープ有終V、3馬身差で快勝…有馬記念(読売新聞) - goo ニュース

「スーパー競馬」で、岡部幸雄や福原アナも言ってたけど、最後にして本当に会心のレースができた感じ。
3コーナーで一つ気合いを入れただけでギアがチェンジし、あとは惰性で走っているだけで他馬をぐんぐん引き離すレースぶりは、ディープインパクト以外に見たことがない。
久々に(ダービー以来?)馬券買ったら当たったし(馬単)、気持ちよく見させてもらいました。

前にも書いたけど、これだけ走る馬で、故障らしい故障もなく現役を終えるのは珍しい。
430kgの軽量ゆえに脚部に過大な負担がかからなかった、という面もあるんだろうか。
そうは言っても何が起こるかわからないのが競走馬の宿命。
早すぎる引退を惜しむ声もあるけど、もはや国内に勝つべきタイトルも無いし、ここで終止符を打つのが賢明な選択なんだろう。
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「こころ」 夏目漱石

2006-12-23 00:36:54 | Books
こころ

新潮社

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昨年は「三四郎」「それから」「門」の三部作を読んだが、今年は漱石後期の名作「こころ」を読んでみた。
おそらく部分的には読んだことがあった(教科書?)ような気がするが、全体を読了するのは初めて。

いわゆる「修善寺大患」を経た後の作品であり、かなり内省的な印象は受ける。
が、トーンが暗いというふうにも感じない。
それは、前半部における「先生」と「私」の会話の噛み合わなさあたりから醸し出される、漱石独特なそこはかとないユーモラスな雰囲気が影響しているからかもしれない。

それとは別に、この小説を魅力的にしている大きな要因は、後半部の「先生」の長い長い独白(手紙)での回想に登場する「お嬢さん」の魅力にあるのではないか、という気がする。
「お嬢さん」が魅力的に描かれる(もちろんそれは「先生」の主観を通して、という形なのだが)ことにより、「先生」と「K」との三角関係に説得力が生まれる。
彼女の魅力は「三四郎」の美禰子にも通じるものがあり、女性を魅力的に描くことにかけて、漱石は本当に天才的だと思われる。
そう言えば「坊ちゃん」のマドンナはどんなだっけ、と思ったが全く憶えていないので今度読み返してみよう。
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「行動経済学」 友野典男

2006-12-21 23:56:00 | Books
行動経済学 経済は「感情」で動いている

光文社

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経済学を少しでも学んだことがある人ならお分かりの通り、伝統的な標準経済学が前提としている「経済人」とは、本書の言葉を借りれば以下のような人間である。

超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的でなく長期的にも自分に不利益となるようなことは決してしない人々である。自分に有利になる機会があれば、他人を出し抜いて自分の得となる行動を躊躇なくとれる人々である。

そういう「経済人」が自らの便益を最大化するように行動することを前提に、市場原理はじめあらゆる経済理論は構築されている。
が、我々の実感として、上記のような完璧に合理的な人間など世の中にまず存在しないことは論を待たない。
そんな非現実的な人間像を前提とした標準的経済学に疑問を示し、人間の限定合理性(非合理性、ではない)を認めた上で、それが実際の経済行動にどう現れているかを科学的に研究分析する新しい学究分野、それが「行動経済学」である。
2002年には、この学問の最大の立役者であるプリンストン大学のダニエル・カーネマン教授がノーベル経済学賞を受賞したそうだ。

本書は、一般にはほとんど知られていない、この分野の入門書であり、「行動経済学」の基礎を紹介することを目的に書かれている。
といっても小難しい論理は全く出てこない。
人間の限定合理性の例示と分析が、簡潔に繰り返される。
「頭の体操」的に楽しみながら読めるし、時には自らの限定合理性(非合理性?)を自嘲することにもなる。

ほんの一例を挙げればこんな感じ(「フレーミング効果」の部分がわかりやすいので取り上げる)。

次のような質問がされたとする。

アメリカ政府が、600人は死ぬと予想されているきわめて珍しいアジアの病気を撲滅しようとしている。そのために2つのプログラムが考えられた。どちらがより望ましいか。見積もりは科学的に正確であるとする。選択肢からどちらを選ぶか。

A:200人は助かる。
B:確率1/3で600人助かり、2/3で誰も助からない。

このような選択肢が示された場合、Aを選ぶ人は72%、Bを選ぶ人は28%、という実験結果が出たそうだ。
ところが、

C:400人は死ぬ。
D:確率1/3で誰も死なず、2/3で600人死ぬ。

この選択肢の場合は、Cを選ぶ人が22%、Dを選ぶ人が78%になった。

冷静に考えればわかるとおり、AとC、BとDはそれぞれ全く同じことを言っている。
言い方を変えただけなのに、結果は逆転するのである。

A、Bでは「『助かる』という肯定的な表現がされているため、被験者には利得と受け取られ、危険回避的な選択がなされた」一方、C、Dでは「『死ぬ』という否定的表現のために損失と受け取られ、危険追求的となる。」
さらにこの結果は「実験後に、選好が一貫していないことを被験者に指摘しても被験者の選好は変化しなかった」そうだ。
「人はまったく同じ内容を見ても、状況や理由によって違うように受け取る」ことの例示である。

他にも、例えば「サンクコスト効果」。
「過去に払ってしまってもう取り戻すことのできない費用」をサンクコストといい、「現在の意思決定には、将来の費用と便益だけを考慮に入れるべきであって、サンクコストは計算してはいけないのが合理的」なはずだが、「実際には既に払ってしまったサンクコストは将来の意思決定に大いに影響を及ぼす。」
既に払ってしまったスポーツクラブの会費は、スポーツクラブを利用しようがしまいが戻ってこないことには変わりないのに、利用しないと損なような気がするのである。

こういった感じで、「ヒューリスティクスとバイアス」「近視眼的な心」「他者を顧みる心」などのテーマが展開され、最終章では脳神経学との関係まで解説される。

入門書とはいえ、これを読んだことを契機に本格的に行動経済学を深く学んでいこう、という人は自分も含めまずいないだろうが、こういう学問もあるということを意識するだけでも世の中の見方が変わってくる気がする。
なんだかいろいろと世間に騙されている(自分から)ような気がしてくるのである。
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