経済学を少しでも学んだことがある人ならお分かりの通り、伝統的な標準経済学が前提としている「経済人」とは、本書の言葉を借りれば以下のような人間である。
超合理的に行動し、他人を顧みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的でなく長期的にも自分に不利益となるようなことは決してしない人々である。自分に有利になる機会があれば、他人を出し抜いて自分の得となる行動を躊躇なくとれる人々である。
そういう「経済人」が自らの便益を最大化するように行動することを前提に、市場原理はじめあらゆる経済理論は構築されている。
が、我々の実感として、上記のような完璧に合理的な人間など世の中にまず存在しないことは論を待たない。
そんな非現実的な人間像を前提とした標準的経済学に疑問を示し、人間の限定合理性(非合理性、ではない)を認めた上で、それが実際の経済行動にどう現れているかを科学的に研究分析する新しい学究分野、それが「行動経済学」である。
2002年には、この学問の最大の立役者であるプリンストン大学のダニエル・カーネマン教授がノーベル経済学賞を受賞したそうだ。
本書は、一般にはほとんど知られていない、この分野の入門書であり、「行動経済学」の基礎を紹介することを目的に書かれている。
といっても小難しい論理は全く出てこない。
人間の限定合理性の例示と分析が、簡潔に繰り返される。
「頭の体操」的に楽しみながら読めるし、時には自らの限定合理性(非合理性?)を自嘲することにもなる。
ほんの一例を挙げればこんな感じ(「フレーミング効果」の部分がわかりやすいので取り上げる)。
次のような質問がされたとする。
アメリカ政府が、600人は死ぬと予想されているきわめて珍しいアジアの病気を撲滅しようとしている。そのために2つのプログラムが考えられた。どちらがより望ましいか。見積もりは科学的に正確であるとする。選択肢からどちらを選ぶか。
A:200人は助かる。
B:確率1/3で600人助かり、2/3で誰も助からない。
このような選択肢が示された場合、Aを選ぶ人は72%、Bを選ぶ人は28%、という実験結果が出たそうだ。
ところが、
C:400人は死ぬ。
D:確率1/3で誰も死なず、2/3で600人死ぬ。
この選択肢の場合は、Cを選ぶ人が22%、Dを選ぶ人が78%になった。
冷静に考えればわかるとおり、AとC、BとDはそれぞれ全く同じことを言っている。
言い方を変えただけなのに、結果は逆転するのである。
A、Bでは「『助かる』という肯定的な表現がされているため、被験者には利得と受け取られ、危険回避的な選択がなされた」一方、C、Dでは「『死ぬ』という否定的表現のために損失と受け取られ、危険追求的となる。」
さらにこの結果は「実験後に、選好が一貫していないことを被験者に指摘しても被験者の選好は変化しなかった」そうだ。
「人はまったく同じ内容を見ても、状況や理由によって違うように受け取る」ことの例示である。
他にも、例えば「サンクコスト効果」。
「過去に払ってしまってもう取り戻すことのできない費用」をサンクコストといい、「現在の意思決定には、将来の費用と便益だけを考慮に入れるべきであって、サンクコストは計算してはいけないのが合理的」なはずだが、「実際には既に払ってしまったサンクコストは将来の意思決定に大いに影響を及ぼす。」
既に払ってしまったスポーツクラブの会費は、スポーツクラブを利用しようがしまいが戻ってこないことには変わりないのに、利用しないと損なような気がするのである。
こういった感じで、「ヒューリスティクスとバイアス」「近視眼的な心」「他者を顧みる心」などのテーマが展開され、最終章では脳神経学との関係まで解説される。
入門書とはいえ、これを読んだことを契機に本格的に行動経済学を深く学んでいこう、という人は自分も含めまずいないだろうが、こういう学問もあるということを意識するだけでも世の中の見方が変わってくる気がする。
なんだかいろいろと世間に騙されている(自分から)ような気がしてくるのである。