そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

ハングリーの履き違え

2011-10-24 23:06:10 | Sports

星野監督2軍宿泊ホテル変更へ「ビジネスで十分」(スポーツニッポン)

こういうこと言ってるから景気がよくならないんだよね。

まあ百歩譲って宿舎のグレード下げるのはいいにしても、それだけでハングリーになるものなんでしょうかね?
同時に支配下選手の数を増やすよう提言して競争を促さなきゃ、単なるコストカットで終わってしまうのでは。

で、競争が激しくなればなるほど、競争に敗れる選手も増えるわけだから、そのためのセーフティ・ネットというか再挑戦の受け皿も必要になる。
例えば楽天球団が率先してクラブチームを併設して、楽天の関連企業で働きながら(そんな関連企業があるかどうかは別として)都市対抗を目指しつつ、プロでの再起を窺う選手にはそのための環境を整えるとか。

そこまでの見識があって言うんなら素晴らしいんだけど、この人の言うことはいっつもイマイチなんだよな。

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世田谷弦巻のホットスポット騒動

2011-10-14 23:15:40 | Society

高い放射線量が検出され大騒動となった弦巻5丁目の区道は、我が家の近所です。
徒歩10分くらいの距離。
普段通行することは殆どない場所だけど、近くにある中央図書館にはしょちゅう行ってるし、件の民家が隣接している公園で子供を遊ばせたこともあります。

ということで、一昨日の夜、最初にニュースを知った時はさすがにドキッとしました。
が、今回の件が、自発的に放射線計で測量していた市民からの通報により発覚したということを知って、「あ、これはそんなに心配する話じゃないな」と直感しました。
その市民の方は、当然のことながら付近のいろんなところを測量して歩いて、この民家沿いの区道だけが異常に線量が高いことを検出したと想定され、そうなると極めて局所的な事象であると予想されるからです。
弦巻一帯が高い放射線量を帯びているというのなら恐ろしいですけど、局所的な特殊事情だとすればそんなに恐れることもないかな、と。
その後ニュースの画像を見てみると、区道沿いにコーンで立入禁止にされているのは、古い民家の崩れそうなボロボロの板塀。
「この汚い塀が放射線発してんじゃないの」なんて軽口をヨメさんとたたいていました。

で、結局、この今では空き家になった民家の床下からラジウムの瓶が発見されて、それが高放射線量の原因だったと判明するわけですが、今年の2月までこの家に住んでいた老婦人もそんなものが床下にあるとは知らなかったというからには、相当長い間高い放射線を発し続けていたということが想像できますね。

世田谷の高線量:瓶の中身はラジウム 夜光塗料の原料か(毎日jp)

上の記事を読む限りでは、半世紀くらい床下で眠ってたんじゃないの?って感じです。
そうなるとこの家で暮らしていた人は相当な被ばくをしていたってことになりますね。
なんだかスルーされてますけど。
まあ、被ばく=直ちに癌・白血病、というわけではないことは確かなようです。

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すき家と公正世界仮説

2011-10-13 23:19:18 | Society

牛丼店強盗、すき家が9割…警察庁が異例の指導(読売新聞) - goo ニュース

全国の牛丼チェーン店で今年1~9月に起きた強盗事件71件のうち約9割が最大手「すき家」(1699店)で発生していることが警察庁のまとめでわかった。
同庁は防犯体制に不備が目立つとして12日、運営会社「ゼンショー」(東京)の担当幹部を同庁に呼び、夜間の従業員増員などを要請、各都道府県警にも店舗への訪問指導を指示した。

当然のことながら強盗に入る奴が一番悪いわけです。
すき家は被害者のはず。

なのに、責められてしまうわけですね。
「強盗に入られるおまえが悪い」と。

これっていわゆる「公正世界仮説」ってやつですね。
世界は公正にできており、よい行いをする人にはよいことが、悪い行いをする人には悪いことがおきる。
それゆえ、悪いことがおきた被害者にはそれを引き起こすだけの問題があると考え、責任を求める、という社会心理。
例えば、性犯罪の被害にあった女性を、「隙があるからだ」と責めるとか。

誰が加害者で、誰が被害者なのか、冷静に考えねばなりませんね。

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行けば解決するなら苦労はしない

2011-10-09 13:53:27 | Politcs

首相「解決するならいつでも訪朝」=拉致被害者家族に言及(時事通信) - goo ニュース

野田佳彦首相は8日午後、北朝鮮による拉致被害者家族と首相官邸で面会し、家族側から自身の訪朝の可能性を問われたのに対し、「私が行くことで拉致を含めた諸懸案が解決するならいつでも行く」と述べた。訪朝も辞さない姿勢を示すことで、拉致問題解決に向けた決意を強調する狙いがあるとみられる。

は?
行けば解決するなら行く…って、そんなの当たり前じゃん。
解決するってわかってて行かないなんてありえないでしょ。
胸張っていうほどの科白とも思えないんですが。
「諸懸案を解決するためにいつでも乗り込む」ってんなら勇ましいけどさ。

問題なのは、「私が行くことで拉致を含めた諸懸案が解決する」状況ってのを作る目途が全く立っていないってことでしょうが。

であるにも関わらず、

この後、横田めぐみさんの父滋さんは記者団に「首相は拉致問題解決のために意欲を持っているという感じを受けた」と語った。

って、ホントに?

どうもここのところの報道からは、拉致被害者家族の皆さんが北朝鮮への制裁を求めている印象ばかりが伝わってきます。
なんだか活動の目的が、「拉致被害者を取り戻すこと」から「北朝鮮を懲らしめること」にシフトしてしまっているような。
制裁を強めることは必ずしも被害者の奪還に繋がるわけではないと思うのですが。

これも、八方ふさがりになっているという被害者家族の苦しい立場ゆえのこととは思います。

が、何だか皆「強い姿勢」をperformすることばかりに執心して、本気で拉致被害者を取り戻すための「現実的な方法」を考えることを放棄しているように見えてしまいます…

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コア競争力を捨てる

2011-10-05 23:29:29 | Economics

日が経ってしまいましたが、日曜日(2日)の日経新聞朝刊の「世界を語る」というインタビュー面で、クレイトン・クリステンセン氏というハーバード経営大学院の教授が、なかなかいいことを語っていたので、以下メモしておきます(太字は引用者による)。

「トップは往々にして収益の大部分を稼ぐ中核事業に注力しがちだが、実は中核事業は既に稼ぐ仕組みができあがっており放っておいても回るものだ。トップはむしろ将来の収入をどう稼ぐか考えることに集中すべきだ」

-利益率の追求は当たり前では。

「デルは台湾メーカーにまずパソコンの回路基板を、次にマザーボードを、最後に完成品の組み立て全体をアウトソースしていった。コストと資産が減り、純資産利益率が上がるからだ。台湾メーカーはデルに『組み立てはデルのコア競争力ではない』と提案し、デルもそう思った。だが気づくと全米の量販店に価格の安い台湾製の同等品が並んだ。デルは利益率を追求することで国内雇用を減らし、自らの競争力まで弱めた」

-自らのコア競争力を見誤っていたのが問題では。

実は経営判断においてコア競争力は重要ではない。眼前に見えているコア競争力とは過去に成功をもたらした能力のことだからだ。経営者が注目すべきは変化する世界のなかで今後どんな能力が必要なのかという問題なのだ」

<中略>

「企業経営で危険なのが将来キャッシュフロー(現金収支)という物差しだ。ある事業が今後生み出す現金黒字を予想し、事業に必要な投資額を銀行預金や国債での利息収入と比べて、投資すべきか判断する。しかし何も新規投資しなければ企業は衰退する。つまり新規事業への投資と比較すべき対象は預金利息ではなく、衰退というマイナスの価値だ。経営大学院や株式市場で常識になっているこの投資家視点の物差しが企業にまん延すると革新が実行されにくくなり、国全体の成長力、雇用成長力を弱める。米国ではそれが起きていると思う」

まさに本質。
キャッシュフロー計画に縛られると、新しいこと何もできなくなっちゃう。
うちの職場のトップも「強みを生かした上で変革を!」なんて言ってるけど、自家撞着なんだよね…

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「津波と原発」 佐野眞一

2011-10-02 20:50:57 | Books
津波と原発
佐野 眞一
講談社


東日本大震災と福島第一原発事故について、おそらく一番早く出版されたルポルタージュ。
著者は、地震発生一週間後の3月18日には三陸の津波被災地に入り、また、4月25日には福島第一原発周辺の立入禁止区域にも潜入して被災地の実態を目の当たりにするとともに名もなき被災者たちの生の声を集めます。

そして本書の後半は、日本の原発推進の歴史、そして福島の浜通りに東電の原発が建設されることになった経緯を詳らかに追っていきます。
リサーチと当時を知る人への取材にかける熱意が強烈に伝わってきます。
著者には、過去に、”原発の父”正力松太郎や”東電OL殺人事件”を採り上げたルポルタージュの著作があり、そのあたりも一方ならぬ思い入れに繋がっているように思われます。

正直、著者の感性にはついていけない部分もあり、共感は相半ばという印象でしたが、読後に何とも云えぬ”イヤな気持ち”が広がっていくような、情念が込められたルポルタージュになっています。

この本に出てくる福島浜通りの被災者たちは、口々に「原発は安全だと信じ込まされてきた」「東電に騙された」と語ります。
それはその通りなのでしょう。
東電の罪は極めて重いと思います。
が、彼らは100%イノセントな被害者なのかといえば、そう言い切るのにどこか躊躇いを感じます。
東電の原発が、特段の産業も無く貧しかった浜通り地域に繁栄をもたらしたのも事実なのです。
その恩恵を浴びながら、自ら安全神話に身を委ねてきた側面は果たして無いと言えるのか。

浜通りの地元民だけではありません。
原発推進者たちは決して悪意のある扇動者としてのみ存在していたのではなく、省資源国家に未来のエネルギー源をもたらす、或いは、貧しい過疎地域に産業と雇用を生み出すといった真面目な想いが活動の原動力になっていたのもまた事実なのでしょう。
日本人全体がある意味安全神話に加担していたのだと思います。

ところがその結果起きてしまったのは残酷な現実。
放射線の健康に与える影響については諸説入り乱れていることは承知ですが、少なくとも人類史上稀にみる大量の放射性物質により、一部とはいえ国土を汚染し、人が住めなくなり、多くの家畜に犠牲を出した、その事実だけは間違いなく実在している。

だからこそ、この本の読後感は苦く、”イヤな気持ち”をもたらす。
そしてそのことにこそ、このルポルタージュの存在意義があるのだと思います。
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