カズからは、その時その瞬間を真摯に生きることの大切さをいつも教わっているけど、今日またその凄さを改めて心底思い知らされました。
真摯に生きていればこそ素晴らしい成果が結実する。
そのことをまさに体現してくれたゴールだと信じます。
きっと皆に伝わったはず。
この国にカズがいてくれて本当によかった。
暗渠の宿 | |
西村 賢太 | |
新潮社 |
「被災地の皆さんに勇気や元気を与えたい」
長友もザック監督も新井選手会長も卓球の愛ちゃんも高校野球のキャプテンも、みな異口同音にこのフレーズを使っています。
彼ら彼女らの真摯な想いはホンモノだと信じているし、その想いにケチをつけるつもりは毛頭ないんですが、自分はこのフレーズにいつも少しの違和感を憶えてしまいます。
言葉尻をとらえるのは本意ではないのですが、勇気や元気を「与える」ってちょっとおこがましい言い方ではないでしょうか。
彼ら彼女らのプレーを観て、勇気や元気が湧いてくるのは受け側の話。
そこまで先回りしたこと言わずに、精一杯のプレーに集中して邁進してほしい。
それだけの特別な存在なんだから。
いやむしろ、この言い回しが、紋切り型の定番フレーズになっていることが違和感の原因なのかもしれません。
そういう言い方をすることを迫る、世間からの無言の圧力があるとしたら少し残念。
その点、やっぱり一味違うな、と思わせてくれたのが三浦カズ。
昨日(3月25日)日経新聞朝刊スポーツ面のコラムはまたまた素晴らしい内容でした。
生きるための明るさを 三浦知良・サッカー人として
以下、一部引用。
サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。
でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。
未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。
そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。
…
こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。
悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。
暗さではなく、明るさを。
本当に素晴らしい。
常に「今、できること」を全力でやってきたカズが言うからこそ価値がある。
カズは、人に勇気を与えたくて全力で生きてきたわけではない。
自分自身が全力で生きたいからそうしてきただけ、に違いない。
だけど、自分はこうしたカズのメッセージに触れるたびに勇気を貰っています。
そういうことだと思う。
地震から明日で一週間。
あまりにいろいろなことがあって、まだ一週間たってないのか…という感覚です。
昨日の夜あたりは首都圏の鉄道ダイヤもコンビニの棚もだいぶ落ち着いてきた印象だったんですが、気温が下がった今日は大規模停電の危機。
個人的には某メガバンクのシステム障害にも振り回されております。
(給料振り込まれるんだろうか?かなり怪しい。)
義捐金振込が集中したことでシステムダウンなどとまことしやかに伝えられてますが、金融システムの内実をよく知る者の立場からすると、にわかには信じ難い話です。
だって、天下のメガバンクのシステムがその程度のことでダウンしますか、普通に考えて。
そんな程度の信頼性じゃ、しょっちゅう落ちてますよ。
メガバンクの通常の業務量がどんだけのものかわかってるんでしょうか。
それにしても、東京電力本店とみずほ銀行本店はお隣同士。
内幸町界隈は修羅場と化してますね。
大規模停電に備えた待機体制の関係で、今日は19時過ぎまで会社にいたんですが、帰宅のため外に出ると街は真っ暗。
灯火管制、物資窮乏、疎開…プチ戦時生活といった趣きです。
なんだか気の休まる暇がありません。
とはいっても、厳寒の罹災地で不自由な避難生活や物資不足に苦しんでいる方々や、福島原発で命がけで奮闘している方々のことを思えば、まだまだ恵まれた立場にいることを自覚せねばなりませんが。
一方で、外為市場では、これまた歴史的な円高局面が突如として現れております。
何故このタイミングで円高なのか、素人にはさっぱり理解できません。
メディアでは、日本企業海外資産引き上げを見越した投機筋の円買いによるもの、などと云われますが、どうも腹に落ちず。
いつもながら溜池通信さんの解説には「なるほど」と思わされるので、以下引用させていただきます。
「かんべえの不規則発言」3月16~17日より(太字は引用者による)。
○「大災害のときはレパトリで円高」、という条件反射があって、もっぱらそういう説明がされている。この話は少し怪しい。日銀がこれだけ金融緩和をしているときに、損害保険会社が保険金支払いのために、わざわざ海外の資産を売るだろうか。超低金利で借りる方がずっと理に適っている。
○「1995年も円高だった」という議論もかなり怪しい。あのときは1994年末にメキシコ債務危機があって、ドル危機が同時進行していた。あの年は日米自動車摩擦もあって、「日本は外圧をかけても赤字が減らないので、為替レートで調整するしかない」という読みがあった。市場関係者というのは記憶容量が小さいので、「1995年=震災」と短絡してしまう。だが、それが円高の主因ではなかったのである。
○つまるところこの話は、「日本の投資家が外債を買わなくなる→海外資産の買い手が減る→だから円高」と理解する方が良いのだろう。日本は経常黒字国なので、外国への資金の流出が止まると、それだけで円が希少になってしまうのだ。現に日本の個人投資家が好きな豪ドル、NZドルは地震の直後から下げている。普通であれば災害に遭うと、その国の通貨は投げ売りになるはずだが、世界最大の債権国の場合は買われるのである。
○今の円高進行を、「弱り目に祟り目」という声が多いだろう。だが、世界的に資源価格が上がっていて、災害復旧のために輸入を増やさねばならなくなる日本としては、この円高はむしろ良いことではないだろうか。輸出をしたくても、おそらくしばらくは供給力が伴わないだろうし。とにかく、これだけの災害に遭っている国の通貨が買われるという状況は、感謝すべきではないかと思う。少なくとも、円安になって金利が上昇するよりはずっとマシである。
○それでも年度末を控えて70円台は困る、という企業は多いかもしれない。政府による為替介入が正当化できるのは、まさにこういうときであろう。民間部門からの資金還流が進まないときに、政府が一時的にその肩代わりをするのは間違ったことではない。外国政府も、こういうときに敢えて反対はしないはずである。
この他、「円の借入を通じて、日本株や社債を買っていた海外勢が、震災後に日本の資産価格が急落したことで、追加証拠金を差し入れる必要(マージン・コール)が生じたため、円需要が高まった。」という解説もあるようです(参照)。
いずれにしても中期的には、円安・金利高・インフレに向かっていくんですかね。
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