そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

KING

2011-03-29 22:37:49 | Sports
日本代表が勝つ=J選抜はカズがゴール―サッカー慈善試合(時事通信) - goo ニュース

カズからは、その時その瞬間を真摯に生きることの大切さをいつも教わっているけど、今日またその凄さを改めて心底思い知らされました。
真摯に生きていればこそ素晴らしい成果が結実する。
そのことをまさに体現してくれたゴールだと信じます。

きっと皆に伝わったはず。

この国にカズがいてくれて本当によかった。
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「暗渠の宿」 西村賢太

2011-03-29 19:19:01 | Books
暗渠の宿
西村 賢太
新潮社


平時モードに戻りつつある中、読書記も再開しようと思います。
3月11日、ちょうど地震が発生する直前に読了した一冊。

******************

芥川賞受賞をきっかけに、著者の小説を初めて読みました。

いやあ面白い。
私小説を超えて、ほとんど回想録みたいだ(笑)。

「けがれなき酒のへど」は恋人欲しさの一心で風俗嬢にアプローチをかけ続け、手痛い失敗を喰らうエピソード。
「暗渠の宿」は、ついてに手に入れた恋人に対して、身勝手な支配欲を抑えられなくなっていく自己嫌悪に満ちた記録。

その姿を嗤い非難することは簡単だけど、男ならどこか共感せざるを得ない煩悩が赤裸々に映じられているがゆえに、読んでいて微かな胸の痛みを感じるような。

この率直さは貴重です。
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勇気は「与えるもの」ではなく

2011-03-26 11:39:00 | Sports

「被災地の皆さんに勇気や元気を与えたい」

長友もザック監督も新井選手会長も卓球の愛ちゃんも高校野球のキャプテンも、みな異口同音にこのフレーズを使っています。
彼ら彼女らの真摯な想いはホンモノだと信じているし、その想いにケチをつけるつもりは毛頭ないんですが、自分はこのフレーズにいつも少しの違和感を憶えてしまいます。
言葉尻をとらえるのは本意ではないのですが、勇気や元気を「与える」ってちょっとおこがましい言い方ではないでしょうか。
彼ら彼女らのプレーを観て、勇気や元気が湧いてくるのは受け側の話。
そこまで先回りしたこと言わずに、精一杯のプレーに集中して邁進してほしい。
それだけの特別な存在なんだから。

いやむしろ、この言い回しが、紋切り型の定番フレーズになっていることが違和感の原因なのかもしれません。
そういう言い方をすることを迫る、世間からの無言の圧力があるとしたら少し残念。

その点、やっぱり一味違うな、と思わせてくれたのが三浦カズ。
昨日(3月25日)日経新聞朝刊スポーツ面のコラムはまたまた素晴らしい内容でした。

生きるための明るさを 三浦知良・サッカー人として

以下、一部引用。

 

サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。

でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。

未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。

そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。

こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。

悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。

暗さではなく、明るさを。

 

本当に素晴らしい。
常に「今、できること」を全力でやってきたカズが言うからこそ価値がある。

カズは、人に勇気を与えたくて全力で生きてきたわけではない。
自分自身が全力で生きたいからそうしてきただけ、に違いない。
だけど、自分はこうしたカズのメッセージに触れるたびに勇気を貰っています。
そういうことだと思う。

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疑心暗鬼の世

2011-03-25 23:59:41 | Society
地震から二週間。

未だ福島第一原発は予断を許さぬ状況にあり、また罹災地では物資の窮乏や復旧ままならぬライフラインの下、不自由な避難生活を送っている方が大勢いるという現実には心を痛めずにはいられません。

一方で、東京での生活は、相変わらず夜は暗いし、通勤電車は混んでるし、CMはACが多いけど、それでも少しずつ落ち着きを取り戻しつつある気配はします。
仕事もほぼ平常モードになってきて、地震後しばらく止まっていた仕事が一気に再開し始めて、気がつけば年度末だったりもして、けっこう忙しくなってたり。

さて、ここにきて関東地方でも水道水や農産物から基準量を超える放射性物質が検出され、様々な疑心暗鬼を呼んでいます。
「ただちに健康に影響はないが、念のため控えていただきたい。」
こんな訳のわからんこと言われりゃ、そりゃ混乱しますわ。
健康に影響がないんなら「大丈夫」って言い切ればいいのに、後から大丈夫じゃなかったことがわかったら責任問題になるリスクを恐れて歯切れの悪い言い方してんだよね。
どうせどっちにしたって責任を逃れられるわきゃないんだから、腹くくれよって話です。

情報を受け止める側にも問題ありますけどね。
リスクって結局確率分布なんだから、「ある」か「ない」かの二者択一で答えを迫るのはそもそもナンセンスなわけです。
「リスクがある」って言われりゃ不安で浮足立つし、「リスクがない」って言われりゃ「嘘ついてるんじゃないか」と疑心暗鬼に陥る。
どっちにしても救われません。

自分も、政府や東電やマスコミが全ての情報を明らかにしているなんて甘い考えは持ってやしませんが、だからといって疑い出したらいくらでも悪いことを想像出来ちゃうわけです。
精神衛生上よろしくないですね。

幸い今はネットという便利な世界があって、Twitterでもブログでも様々な立場の人の様々な説明や主張を見較べることができます(リテラシーさえあれば、ですが)。
ネットの情報はもちろん玉石混交ですが、テレビや新聞から流される一方的な情報だけでなく多様な主張が存在し、お互いに相互牽制する状況にあるってことが大切なわけです。
できるだけ多様な情報を収集しながら、思い込みを捨てて事実に基づく判断だけを拾っていく。
そうやっていくしかありませんね。
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セ・リーグ開幕問題

2011-03-20 14:54:57 | Sports
さて、話題になっているプロ野球セ・リーグの開幕問題。
個人的には、プロ野球だろうが高校野球だろうがJリーグだろうが、やれるんならやりゃいいと思います。
高校野球と違ってプロ野球は興行だから…という声も聴こえてきますが、それは違うと思う。
興行だからダメと言い出すと何もできなくなってしまうし、高校野球だって現実には興行化している。

ただし、電力供給も健康被害もまったく心配のない甲子園で開催するセンバツ高校野球と、電力供給に制約のある中、照明・空調など大量の電力消費を行うドーム球場で行われるプロ野球、その点では同列には扱うことはできないと思います。
今回セ・リーグが猛烈な批判にさらされたのは、そのことに対する配慮が当初まったく見えず、「被災地に元気を与える」とかなんとか意味不明な理屈で押し通そうとしたからでしょう。

もしかしたら、ナイター開催で消費する電力が首都圏全体の消費量に占める割合は大したことはないのかもしれません。
ただ、それは理屈であって、当初のセ・リーグの無配慮な姿勢によって、もはや事態は感情の問題になってきています。

ここにきてセ・リーグも、開幕を一週間遅らせる、延長は行わない、節電ナイターにする、などと当初の強硬姿勢を改めてきているわけですが、それで収まるかどうか。
その代替案が妥当なのかどうか、誰にも判断ができないわけです。

ここまでこじれてしまったからには、セ・リーグは、あらゆる代替手段を検討し、それぞれの案について何が問題で、それが許容できるのかできないのか、できないとしたらその理由は何なのか、といった情報を詳らかにするしかないのでは。
そうしない限り、世間の不信感と嫌悪感を払拭できないのではないでしょうか。
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価格メカニズムで節電を

2011-03-20 14:36:39 | Society
地震から9日目。
緊迫した状況の続く福島第一原発も、現場作業者の命がけの奮闘もあり、少しずつ事態に光明が出てきているように見えます。
それにしても昨晩行われた、放水作業に携わった東京消防庁の隊長さんたち3名の記者会見は、同じ家族持ちとして堪らないものがありました。
奥さんからの「信じて待っています」「救世主になってください」とのメールを紹介する件り、普段は強固な自分の涙腺も思わず刺激されてしまいました。
これ以上一人の犠牲も出てほしくない。
心底思います。

国内的にも国際的にも、これからの原子力行政については議論がすでに出始めていますね。
数百年に一度レベルでの地震・津波でも原子炉そのものは破壊されなかったのだから、むしろ原発の安全性が証明された、といった声も聴こえてきてますが、理屈は分かるものの自分には詭弁に感じられます。
確かに大量の放射性物質が広範囲に撒き散らされる事態は避けられるかもしれませんが、福島第一原発の周辺にはしばらく人が住めなくなるだろうし、健康への影響はないレベルと云いながらもすでに基準を超える放射線量が農産物から検出され始めている。
風評被害も含めれば、原発は大丈夫などとは口が裂けても云えない状況だと思います。

都民の意識調査では「運転しながら安全対策を強化していく」が56.2%と半数を占めているとのこと(参照)。
電力供給の少なからぬ割合を原子力に依存している現状を考慮した上での現実的な判断だとは思います。
が、原発が立地している地元の人たちに多大なリスクを負わせて、我々東京都民が電力消費の恩恵を受けるということには、どう考えても理がないように思えます。
原発は安全だから継続するというなら、東京のど真ん中に建てますか?という話です。
この問いに対して、現状ではとてもYesとは言えないと自分は感じます。

今すぐ日本中の原発を停めることが現実的には難しいにしても、原発のリスクをコストに反映することは真剣に考えるべきじゃないでしょうか。
具体的には電力料金の引き上げです。
或いは電力消費税のようなものを新設する。
料金が上がれば、更なる省電力への努力がなされるし、本当に必要なところでだけ電力が使われるようになる。
低所得者や医療・福祉関係には個別に減免したり補助したりすればよい。
値上げによる売上増(あるいは税収増)分は、万が一の補償に備えた基金として積み上げてもいいし、安全対策につぎ込んでもいい。
それが適正なコスト負担というものじゃないでしょうか。

今回、首都圏の計画停電を経験してみて、意外に節電しても社会生活はそれなりに送れるもんだな、ということがよく分かりました。
だったら、電力料金を上げることで、地域による割当てではなく価格メカニズムに基づく計画節電を実施するのも悪くないんじゃないでしょうかね。
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地震から6日~なぜ円高なのか

2011-03-17 23:27:43 | Economics

地震から明日で一週間。
あまりにいろいろなことがあって、まだ一週間たってないのか…という感覚です。
 
昨日の夜あたりは首都圏の鉄道ダイヤもコンビニの棚もだいぶ落ち着いてきた印象だったんですが、気温が下がった今日は大規模停電の危機。
個人的には某メガバンクのシステム障害にも振り回されております。
(給料振り込まれるんだろうか?かなり怪しい。)
義捐金振込が集中したことでシステムダウンなどとまことしやかに伝えられてますが、金融システムの内実をよく知る者の立場からすると、にわかには信じ難い話です。
だって、天下のメガバンクのシステムがその程度のことでダウンしますか、普通に考えて。
そんな程度の信頼性じゃ、しょっちゅう落ちてますよ。
メガバンクの通常の業務量がどんだけのものかわかってるんでしょうか。

それにしても、東京電力本店とみずほ銀行本店はお隣同士。
内幸町界隈は修羅場と化してますね。

大規模停電に備えた待機体制の関係で、今日は19時過ぎまで会社にいたんですが、帰宅のため外に出ると街は真っ暗。
灯火管制、物資窮乏、疎開…プチ戦時生活といった趣きです。
なんだか気の休まる暇がありません。

とはいっても、厳寒の罹災地で不自由な避難生活や物資不足に苦しんでいる方々や、福島原発で命がけで奮闘している方々のことを思えば、まだまだ恵まれた立場にいることを自覚せねばなりませんが。

一方で、外為市場では、これまた歴史的な円高局面が突如として現れております。
何故このタイミングで円高なのか、素人にはさっぱり理解できません。
メディアでは、日本企業海外資産引き上げを見越した投機筋の円買いによるもの、などと云われますが、どうも腹に落ちず。
いつもながら溜池通信さんの解説には「なるほど」と思わされるので、以下引用させていただきます。
「かんべえの不規則発言」3月16~17日より(太字は引用者による)。

○「大災害のときはレパトリで円高」、という条件反射があって、もっぱらそういう説明がされている。この話は少し怪しい。日銀がこれだけ金融緩和をしているときに、損害保険会社が保険金支払いのために、わざわざ海外の資産を売るだろうか。超低金利で借りる方がずっと理に適っている。

○「1995年も円高だった」という議論もかなり怪しい。あのときは1994年末にメキシコ債務危機があって、ドル危機が同時進行していた。あの年は日米自動車摩擦もあって、「日本は外圧をかけても赤字が減らないので、為替レートで調整するしかない」という読みがあった。市場関係者というのは記憶容量が小さいので、「1995年=震災」と短絡してしまう。だが、それが円高の主因ではなかったのである。

○つまるところこの話は、「日本の投資家が外債を買わなくなる→海外資産の買い手が減る→だから円高」と理解する方が良いのだろう。日本は経常黒字国なので、外国への資金の流出が止まると、それだけで円が希少になってしまうのだ。現に日本の個人投資家が好きな豪ドル、NZドルは地震の直後から下げている。普通であれば災害に遭うと、その国の通貨は投げ売りになるはずだが、世界最大の債権国の場合は買われるのである。

○今の円高進行を、「弱り目に祟り目」という声が多いだろう。だが、世界的に資源価格が上がっていて、災害復旧のために輸入を増やさねばならなくなる日本としては、この円高はむしろ良いことではないだろうか。輸出をしたくても、おそらくしばらくは供給力が伴わないだろうし。とにかく、これだけの災害に遭っている国の通貨が買われるという状況は、感謝すべきではないかと思う。少なくとも、円安になって金利が上昇するよりはずっとマシである。

○それでも年度末を控えて70円台は困る、という企業は多いかもしれない。政府による為替介入が正当化できるのは、まさにこういうときであろう。民間部門からの資金還流が進まないときに、政府が一時的にその肩代わりをするのは間違ったことではない。外国政府も、こういうときに敢えて反対はしないはずである。

この他、「円の借入を通じて、日本株や社債を買っていた海外勢が、震災後に日本の資産価格が急落したことで、追加証拠金を差し入れる必要(マージン・コール)が生じたため、円需要が高まった。」という解説もあるようです(参照)。

いずれにしても中期的には、円安・金利高・インフレに向かっていくんですかね。

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地震

2011-03-13 23:11:25 | Society
地震、津波の被害に遭われた方にお見舞い申し上げるとともに、不運にも犠牲になられた方には心より哀悼の意を表します。

11日、自分はたまたま仕事休みを取っていて自宅にいました。
長男が幼稚園から昼前に帰ってくるので午後はドラえもんの映画でも行こうか、などと話していたのですが、長男も風邪をひいて体調が万全でなかったために幼稚園を休み、家族そろって自宅でおとなしくしてたのです。
そういう点では非常に幸運でした。

揺れ始めからちょっとただならぬ雰囲気は感じましたが、次第に激しくなり、これまでの人生で体験したことのない恐怖に。
3~4分の間は揺れていた、という感覚。
自宅は年季の入ったマンションの二階なのですが、家具は十分に耐震補強していたので倒壊などせず、小物が多少落ちた程度で済みました。

震源は遠そうだけど、唯事ではなさそうだと直観的に感じ、すぐにテレビをつけました。
次第に、三陸の各都市が津波に呑みこまれていく映像が流され始め、事態の深刻さには言葉が出ませんでした。

実家や職場と連絡を取ろうと試みるも電話もメールも繋がらず。
一方でtwitterはなんの支障もなく使えて、情報収集はもっぱらtwitterでした。
非常時のtwitterの威力をまざまざと感じました(もちろん罹災中心地でネットにも繋げられなきゃどうしようもありませんが)。
取りあえず、ヨメにもアカウントを取らせて連絡手段とする体制を整えるとともに、外での電池切れに備えてモバイルブースターを注文しました(Amazonも混乱しているようで、まだ発送の連絡がきませんが)。

現在も行方不明の方、家財を失った方、避難所で不自由な生活を送っている方が大勢おり、また原発の件など気になることもたくさんありますが、明日から企業活動も本格的に再開。
計画停電など制約もいろいろと出そうですが、それぞれがそれぞれの仕事をきちんとやることが一番の復興策だと思うので、自分も頑張ろうと思います。
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コンニャク芋にみるグローバル化の本質

2011-03-09 21:44:37 | Economics
今週号の東洋経済、テーマは「TPP全解明」。

高関税農産物の代表としてコンニャク芋が挙げられています。
日本の農業分野の関税率が単純平均で21%であるところ、コンニャク芋の関税率はなんと1706%と突出しているそうで。
これをして前原・前外相は「(主要産地の)群馬県からたくさんの首相が出ていることに関税率の高さが表れている感じがする」と発言したとか。

コンニャクを巡る内外の環境は以下のような状況だそうです。

・現状は高関税のため輸入量は極めて限定的。
・貿易相手国(輸入元)はミャンマー、ラオス、バングラデシュ。
・日本産がキロあたり約2000円に対し、輸入価格は892円。
・中国の一部の地域を除くと、食用に供するのは日本だけ。
・コメと違って品種や産地で味や品質の差がなく、海外産も国産品もまったく変わらない。

と、ここまで読んで、コンニャク農家が貿易自由化に身構えるは当然に感じる一方、消費者としては品質が変わらないのに不当に高いコンニャクを買わされている、という印象を持ったのですが、加工業者によると…

「コンニャク原料は96%が水分。仮に100円の商品でも製粉原価は1~2円にすぎず、原料がタダになっても店頭での価格はさほど変わらない」

…のだそうです。
これが本当なら関税撤廃したところで消費者にほとんど恩恵はないということですね。

消費者にとって品質も価格も変わらないということであれば、
1)当然、日本の農家を保護すべき
2)ミャンマーやバングラデシュの貧しい農家から買ってあげるべき
のいずれの立場をとるかという問題になりますね。

同じ日本国民なんだから1)を採るのが当たり前だという立場もあるだろうし、人道的見地からすれば群馬県のコンニャク農家よりも明らかに貧しいであろうバングラの農家を助けるためにも2)で行くべきという見解もありうると思います。

このジレンマって、貿易自由化、グローバル化を考える上で、結構本質なところなんじゃないかと。

週刊 東洋経済 2011年 3/12号 [雑誌]
東洋経済新報社
東洋経済新報社
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「競争の作法」 齊藤 誠

2011-03-05 00:13:46 | Books
「小泉政権の競争至上主義路線で格差が広がり、リーマン・ショックの後遺症によるデフレがそれに追い打ちをかけ不況を抜け出せない。」
巷間いわれている日本経済・日本社会に対するそのような見方を、著者は、経済統計が示す実体とまともに向き合おうとしていない「バーチャルな空間での思考様式」だとして否定します。

日本経済の統計数値を冷静に観察すれば、リーマン・ショックは言われているほどに日本経済に深刻な打撃を与えてはおらず、「戦後最長の景気回復」が引き起こしたまやかしの景気拡大を相殺した程度のものに過ぎないことが分かることを指摘。
むしろ、「戦後最長の景気回復」が日本の一般家計にほとんど恩恵をもたらさなかったことが重大な問題であり、「格差」は、組織や制度の壁に守られた既得権益を維持したままパイの縮小の皺寄せを一部の勤労者に負わせた結果であり、競争原理が働いた結果生じたものではない。
むしろ、これから日本人に求められるのは真の「競争」に対して一人ひとりが真摯な姿勢で向き合うことである、と。

以下、備忘も兼ねて要点をメモ。

・2002年から07年にかけての「戦後最長の景気回復」期において、日本の実質GDPは1割強増加したが、就業者数は1.3%しか増えなかった。
・リーマン・ショック後に実質GDPは急激に縮小した。それにつれて失業率も上がったが、実質GDPの減り具合に比べれば雇用減は軽微であり、2009年の失業率は2002~03年頃の失業率を実は下回っている。
・実質雇用者報酬についても、同様に「戦後最長の景気回復」期にはGDPの伸びほどには伸びず、リーマン・ショック後はGDPの低下に比べると軽微な減り方をしている。
・問題なのは民間勤労者の実質給与で、これは「戦後最長の景気回復」期においても一貫して低下している。
・物価については、「戦後最長の景気回復」期はほぼ横ばい、2008年の資源・食料品など一次産品の国際価格高騰を受けてやや上昇し、リーマン・ショック後にそれを相殺する形で低下した。いずれにしてもマイルドに上下したのみで、1920~30年代の恐慌期におけるような深刻な「デフレ」は観察されない。
・勤労者世帯の消費水準指数は「戦後最長の景気回復」期にも低下し、リーマン・ショック後の影響もあって低下傾向を続けている。

ここから読み取れることは…
・「戦後最長の景気回復」はGDPの伸びほどに雇用や賃金に恩恵を与えず、その分リーマン・ショックによる影響も軽微であった。
・一方で、勤労者世帯に絞ってみると雇用者報酬も消費も一貫して低下しており、「戦後最長の景気回復」による豊かさの恩恵をまったく受けていない。

即ち、「戦後最長の景気回復」による豊かさは「幸福なき豊かさ」であり、そのような豊かさがリーマン・ショックで失われたところで大した問題ではない。
それを「あるべき豊かさ」が失われたとして「デフレ」と騒ぐのはから騒ぎに過ぎない、と断じられます。

では、「戦後最長の景気回復」期に起きたことは何だったのか。
ゼロ金利政策と政府による巨額の円売り・ドル買い介入に支えられた為替レートの「目に見える円安」と、海外に比べた日本国内の相対的な物価安定による「目に見えない円安」、二つの円安バブルに乗って価格競争力を得た輸出産業が日本製品を「たたき売り」することによって莫大な利益を得たのが「戦後最長の景気回復」の正体であったと糾弾されます。
円安バブルがいつかははじけることが分かっていながら、荒稼ぎした利益を株主に還元することなく生産拡大のための設備投資に邁進する輸出企業。
コストカットのために人件費は絞られ、雇用・賃金の圧縮分は一部の労働者に引き受けさせることで貧困問題が生まれ、また、円安で購買力を失った家計は消費を減退させる。
それが「幸福なき豊かさ」の実態であり、「少数の貧困」に支えられた「多数の安堵」というアンバランスな状況が生まれてしまったと嘆かれます。

「目に見える円安」で1割、「目に見えない円安」で1割、合計2割下駄を履かせてもらっていたのがはじけてしまったのだから、生産性を2割引き上げるか、生産コストを2割引き下げるか、どっちかを実現しなければ日本経済はグローバル競争を勝ち抜けない。
そのために必要なことは、一人一人が「競争」と正面から向き合い、報酬にふさわしい生産への貢献をしているか自らを厳しく律して「より善く生きる」こと。

そして「持てる者」もその責任を果たさなければならない。
株主は、経営方針について経営者とガチンコで対決することがその責任であるし、経営者にもそれに真剣に応じる責任がある。
土地を持つ者は、節税対策で土地を遊ばすようなことをしてはならず、その土地を有効に活用する責任がある。

……

常々自分が日本経済の、というか日本社会のここが問題だよなあと漠然と感じていた部分をバサバサと切ってくれた印象で、頭の整理ができたところがたくさんありました。
何より、本全体から著者の熱い想いが溢れているところが、なかなかエキサイティングです。

が、熱さ余って…というか、Amazonのレビューでも一部手厳しく批判されてますが、トヨタに対して円安バブルの時代に無茶な生産拡大に走り、技量の未熟な若年労働者を使って品質を落とした製品をたたき売った、という件りは自分もちょっと言い過ぎなんじゃないの?と読んでて感じました。

競争の作法 いかに働き、投資するか (ちくま新書)
齊藤 誠
筑摩書房
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