そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

アカデミー賞雑感

2007-02-26 22:43:51 | Entertainment
アカデミー賞、菊地さん残念 「不都合な真実」が2冠(gooニュース) - goo ニュース

今日は朝の情報番組から昼のNHKニュースまで、アカデミー賞授与式の話題にかなりの時間が割かれていた。
これだけ日本人がノミネートに絡むのは初めてのことなので無理もないが。

強力なライバルの前に助演女優賞を逃した菊地凛子も、ノミネーションの時点から一気にスター扱い。
本来は、「スゴイから賞を獲る(獲るかも)」はずなのだが、マスコミの扱いは「賞を獲った(獲りそうだ)からスゴイ」になってしまっている。
調べてみると、彼女も以前から日本の映画やドラマ、CMにけっこう出てたみたいだ。
ここにきて急にちやほやしている芸能界・マスコミに、これまで彼女の才能を見逃してきた眼力の無さを反省する態度は出てこないんだろうか。
出てこないだろうな。。

アカデミー賞には「外国語映画賞」というカテゴリーもあるのだが、全編日本語で撮られた「硫黄島からの手紙」は作品賞にノミネートされていた。
このへんのカテゴリー分けはどういう基準なんだろう?
格としては「作品賞」>「外国語映画賞」という前提で、本作は「作品賞」に相応しいと評価された、と考えればよいのだろうか。
今朝の日経新聞国際面「地球回覧」では、「アカデミー賞 米国の変化映す」と題して、同賞における外国語作品の躍進に、外国の文化・習慣・歴史に無関心だった米国人の姿勢の変化が見られるのでは、と論じていた。
LAタイムズは「米国映画と外国語映画を分ける必要はもう無いのではないか」との社説を載せたらしいけど、ホントにそうなるかもね。
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北風に舞い散る

2007-02-25 11:53:04 | Diary
昨日は1月に亡くなった祖父の四十九日法要と納骨で、所沢に行ってきた。
晴れたのは良かったが、強烈な北風。
北風に乗って舞い散った花粉をたいぶ吸い込んでしまったようで、今シーズン初めて強烈な花粉症に苦しめられた。

自分の場合、くしゃみ・鼻水・目のかゆみの三大症状のほか、ひどいときは耳の中やのどの奥までかゆくなり、目の周囲だとか歯茎もアレルギー症状を起して腫れる。
歯茎に関しては、なんか歯の間に挟まっているような異物感が生まれて、けっこう気になる。
そんなこんなで昨晩は何もやる気が起こらず、薬を飲んでさっさと寝てしまった。

風に舞い散るといえば、所沢の辺りは畑が多く、昨日は土が強風に巻き上げられて、道路の遠くの方が黄色く霞むほど。
あれじゃあ近所の家は外に洗濯物も干せず堪ったもんじゃないだろう。
そういうのって、実際住んでみないとわからないだろうな。
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オシムの言葉@日経新聞

2007-02-23 23:40:59 | Sports
今日の日経新聞朝刊には、「オシム@ジャパン」と題したスポーツ特集面が組まれていた。
月イチ連載の2回目のようだ。

ライターは武智幸徳記者。
この人、日経新聞にいるのが不思議なくらい良質のサッカー記事を書く記者だと常々思っている。
あのオシムの言葉を題材に、この人が書くインタビュー記事なんだから面白くないわけがない。

前半は、いよいよ決勝Tが始まった欧州チャンピオンズリーグについて。
アウェーゴール・ルール(ホーム&アウェーで勝敗が並んだ際に、アウェーでの得点を2倍にした上で得失点差により優劣をつけるルール)がホームチームへの過度のプレッシャーとなり、スペクタクルな試合が減少していることを指摘。

「絶対に負けられないとマスコミがあおり、それにサポーターが乗せられてプレッシャーを感じた監督や選手は本来やるべきことを忘れていく。さまざまなプレッシャーに縛られた選手たちは闘技場のグラディエーター(剣闘士)さながら。救いは負けても死人にならないことだ。」

日本でもサッカー文化が浸透するにつれて、サポーターの勝負に対する要求もかなり厳しくなっている。
特に日本代表の試合なんか顕著で、ちょっとでもミスする選手がいたり、負けたりすれば、とたんに罵詈雑言の嵐。
もちろん勝負事は勝ってナンボなのは当然のことだが、一切のミスも敗戦も許さないというのは、いくらなんでも行き過ぎだと自分も思う。
ブラジル代表だって常に強いわけではないし、フランスやオランダが予選で敗退してワールドカップに出られないことだってあるのだ。

後半は日本サッカーへの提言。
選手だけでなく、コーチこそがもっと海外に出て学ぶべき、と言う。
Jリーグには、ベンゲルやアウトゥオリのような世界でも超一流の指導者が時々やってくる。
彼らが欧州や南米に帰って一流クラブの監督になったとき、そのコネクションを生かしてコーチを送り込むことをなぜ考えないのか、という提案である。

「何が大事なのか。それはスタッフルームや選手のロッカールームに入り込み、試合ではベンチに座って彼らと同じ空気を吸い、『共犯者』になることだ。それは書物を読んだり、映像を見ているだけでは分からないこと」

まさに同感。

ところで、自分は、まだまだ世界とのレベル差が大きいサッカーよりも、むしろ野球において、指導者の海外進出がもっと進んでもいいのではないかと考える。
大リーグで活躍する日本人選手はどんどん増えているが、監督やコーチの海外進出は(トレーニングコーチなど一部を除いて)聞いたことがない。
監督業は名誉職的なところがあるが、ピッチングやバッティングのコーチに関しては名指導者と言われる人が日本にも数多い。
もちろん、まったく文化の違う大リーグに行って指導者として成功することは簡単なことではないだろうが、逆に日本のプロ野球には次々と外国人監督がやってきて、バレンタインやヒルマンのように成功を収めているのだから、やってやれないことはないはずだ。
むしろ意識の問題なのかもしれない。
今、大リーグで活躍している選手たちが、引退して指導者になる頃には状況も変わっているであろうことに期待したい。
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「ホントの話―誰も語らなかった現代社会学 全十八講」 呉 智英

2007-02-22 23:59:01 | Books
ホントの話―誰も語らなかった現代社会学 全十八講

小学館

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呉智英氏については、大昔に「朝まで生テレビ」にコメンテーターとして出演していたのを見たことがある程度だったが、その道ではたいへんに評価されている評論家であるようだ。(Wikipediaでの紹介はこちら

この本は、90年代の後半に雑誌連載した内容を加筆・章立てし直しをしたもので、筆者の持論が一通り述べられた内容になっているとのこと。

筆者は、人々が無自覚なまま時代のパラダイムに捉われて思考してしまっていることを暴こうと試みる。
特に槍玉に挙げられているのが「人権」と「民主主義」。
アプリオリに「尊いもの」として当たり前のように受け入れられている価値観を、所詮近代社会が創り上げた「制度」でしかない、と切り捨てる。

このあたりの鋭い視点と語り口はさすがで、特に、民主主義の「無責任」性を株式会社とのアナロジーで述べた第四講はなかなか興味深かったし、死刑の犯罪抑止力(※筆者は、「仇討ち」復活論者)や、政治・宗教の本質について語ったくだりも、目を開かれる思いがした。

一方で、中盤以降、ナショナリズムや民族差別について論じた部分は、いまいち面白みに欠けるように感じた。
「中国を支那と呼ぶことは差別ではない」という筆者の持論にも、かなりの紙面が割かれている。
その論理には基本的にうなずかされるんだけど、ややクドイ。
後ろの方に読み進めるにつれ、理屈っぽいというか、頭でっかちな印象が強る感じがした。
そういう意味ではやや一本調子なのかもしれない。
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うどんの都はコンパクト

2007-02-16 17:12:03 | Diary
出張で高松に来てます。
高松は2回目だけど、前回は日帰り。
今回は昨晩入って前泊したので、比較的ゆっくり街を巡ることができた。

今朝から4カ所訪問先を回ったが、主要な企業や施設はだいたい一定地域内に固まってるので、徒歩で回れてしまう。
今流行りのコンパクト・シティである。
すごく栄えている、とも言えないが、一通りのものは揃っていて暮らしやすそうな街との印象は持った。
同じ四国では高知や松山も似たような印象。
高松が一番大きい気はするけど。

高松といえば讃岐うどん。
今日は三食うどんだった(朝はビジネスホテルの朝食、昼は有名店、夕方は小汚いセルフの店)。
美味いんだけど、さすがに三食はやりすぎた。飽きました…

これから帰京。

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漬物ステーキ

2007-02-12 20:55:25 | Diary
土曜日の日経夕刊で、飛騨高山地方の名物メニューとして紹介されていた一品。
早速作ってみた。

作り方は、簡単。
白菜の漬物を炒めて、軽く焦げ目がついたところで、周りにとき卵を流し込むだけ。
今回は炒めるのにバターを使い、卵を入れる前に醤油でちょっと味を足した。
炒め上がったら、刻み海苔を振って食す。

いやぁなかなか旨かった。
ベースが漬物だけに、ごはんが進む。
バターと海苔で風味が加わるし。

本場・高山ではいろいろとバリエーションがあり、味付けに天つゆを使ったり、サバの水煮やツナを加えることもあるという。
今度はツナバージョンでも作ってみようか。
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Falling Water

2007-02-10 23:19:40 | Entertainment
連日のテレビ東京ネタになるが、今夜の「美の巨人たち」は、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの代表作「落水荘」を採り上げていた。
「落水荘」は、ピッツバーグ郊外の渓流の滝の真上に建てられた個人邸宅(別荘)。
渓流の大岩をそのまま建物の床に利用したり、建物の中から川の上に降りてゆける階段が設けられてあったり、周囲の自然と融合したユニークな建築である。
以前、美容院に置いてあった雑誌のグラビアでたまたま見て、一目でその魅力にとりつかれた。
実は、その時にも、これは日本のどこかにある建築物なんじゃないかという第一印象をもったんだけど、今夜の番組を見て納得できた。
フランク・ロイド・ライトは、浮世絵を収集するなど、日本文化に多大な関心を持ち、何度も訪日して旧帝国ホテルの設計もした人物だそうだ。
Wikipediaの解説はこちら(落水荘の画像あり)

番組を見て、改めて一度実際に訪れてみたいという思いを強くした。
そんな機会が実現するかどうかはわからないが。
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かもめはかもめ

2007-02-09 23:16:11 | Entertainment
今日の「たけしの誰でもピカソ」は、研ナオコの特集。
なんだか見入ってしまった。
いやぁ、やっぱりこの人、歌うまいね。
というか、独特。
全然力が入っていないようで、聴いている者を惹きつける。
同じような歌い方ができる歌手って、他に誰も思い付かない。
「かもめはかもめ」とか、カラオケで上手に歌えたらカッコイイだろうな。

来週は、ちあきなおみの特集だって。
見ねば。
って、なぜか昭和モード。
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一年の足跡

2007-02-07 23:23:30 | Diary
今日は、コドモの1歳の誕生日。
会社を休み、家族サービスで、浦安の某リゾートへ行ってきた。
といっても、まだ1歳じゃ分からないし、寒くて風邪をひいても困るので、入園はせずホテルのレストランでアニバーサリーランチを。

それとは別に、ヨメが記念の足型を採りたいと言って、ソレ用の専用グッズを取り寄せて採取。
一年前、生後すぐに採った足型と並べてみたのが、上の写真。
いやぁ一年で大きくなりました。

左右比べると左足の土踏まずが大きく写っている。
実はうちの子、胎内にいた時の姿勢の関係で、左足がO脚方向に湾曲して生まれてきた。
といっても特段心配するような話ではなく、お医者によれば珍しいケースでもなくて生後しばらくすれば自然に治るとのことだった。
実際、一ヶ月もすれば真っ直ぐになって、今では何の支障も無く歩き回っている。
が、こうして足型を採ってみると、まだその傾向が残っていることがよく分かる。
人間の身体は左右対称ではなく、身体のクセがあるものだが、こういうところが影響するもんなんだろうな、と思った。
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「長崎乱楽坂」 吉田修一

2007-02-05 23:48:47 | Books
長崎乱楽坂

新潮社

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吉田修一の本は、過去に短編集を2冊読んだことがある。
芥川賞受賞作「パークライフ」を収録した同名の短編集と「最後の息子」。
本作は長編。
とは言っても、主人公・駿の成長(小学校一年生から青年になるまで)に合わせて、章ごとに時代は不連続に移り変わっていく。

父を亡くした駿と悠太の兄弟は、長崎にある母の実家・三村家で暮らす。
母の二人の兄は田舎のやくざに身を落とし、三村家には、日々刺青を背負ったやくざ者の若い衆が集い、酒と色欲にまみれた饗宴が繰り広げられている。

時代設定は明確には語られないが、昭和40年代だろうか。
作者がどのような境遇で育ったのか知らないが、実体験をベースにしているに違いない、と思わされるくらい、この三村家最盛期の描写は生き生きとしており、リアリティーに溢れている。
そして、このような異常な境遇に置かれて育つことになる駿。
幼い彼がどんな影響を受け、どのように成長していくのか。
そこに、男なら誰しも少年期に抱いたことのある、好奇心と冒険心をくすぐられる。
第1章「正吾と蟹」の終盤、駿とクラスメート・梨花の関係、二人が三村家の離れで正吾を相手に体験したこと。
このあたりの展開と描写には、ぞくぞくとさせられるものがあった。

が、読み進めていくうちに、作者の関心がそこには無いことが明らかになってくる。
作者が描きたかったのは、あくまで三村家、そしてそこに集っていた男たちの盛衰の物語なのだ。
そのことはラストシーンで明白になる。

自分が読みたかったことと、作者が描きたかったことの間にあるズレが次第に広がっていく感じはした。
特に、それまで駿を追って進められていた物語が、最終章で突然、弟・悠太の目線に切り替わってしまうあたりはやや肩透かしだった。

それにしても、これは間違いなく長崎出身の作者の実体験が滲み出ているのだろうが、風景や地理の描写がとてもノスタルジックで良い。
例えば、

…この辺りは不思議な地形で、下からまっすぐに上がってくることができない。一旦、別の坂道を上がってきて、そこから少し石段を下りて行かなければ三村の家にも、駄菓子屋界隈にも辿り着けないのだ。

こんな何気ない描写が、堪らなくいとおしいのである。
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