NHKの平均年収は1000万円 NHK出身閣僚2人を前に民主党議員が優遇批判(MSN産経ニュース)
別にNHK職員の肩を持つつもりはないけど、一方では「デフレは悪だ!」と騒ぎながら、他人の給料を下げようとするってのも、一体何がやりたいの?って感じがします。
こんなニュースも。
国家公務員 退職手当引き下げ 13年度実施へ来春法案 政府方針(日本経済新聞)
民間の給料が下がってるのに、税金や受信料で食ってる人間の給料が高いままなのはけしからんってことだろうけど、そうやってるとどんどんデフレのドツボにはまってくだけなんだよね。
大衆のルサンチマンを晴らすべく政治家の皆さんはこういうことをやってるんだろうけど、それでまた皆が不幸になっていくという罠。
政治家の方々は果たしてそういう矛盾を分かった上でやってるんでしょうかね。
矛盾といえば復興財源。
東日本大震災からの復興費用の財源について、政府は復興債の償還期限を10年に繰り上げ、財源も増税で賄おうとしています。
理由は「次の世代にツケをまわさないため」。
だけど、20兆円弱と言われている復興費用に対して、日本の国債発行残高は800兆円を超えている。
復興費用は、復興が完了すれば発生しなくなる「終わりのある」支出であり、道路や港湾などのインフラ整備に投入されるので、次世代にも受け継がれる。
それに対して、政府の借金は高齢化による社会保障費の増大につれて増えていく「終わりのない」支出。
相対的に額が小さく、終わりも見えている復興費用はやっきになって早期償還しようとする一方で、莫大な額で終わりの見えない借金については何も触れない。
なんだか変だ。
それぞれ単独でみれば何となくまともなことを言ってるように聴こえるけど、大局的に考えるとどうもおかしい。
結局ポピュリズムなんですよね。
まあ政治なんてポピュリズムそのものとも言えるわけだけど、それにしても年々ポピュリズムが軽くなってきてるような感じがします。
2001年9月11日の同時多発テロから10年。
今、NHKBSでやっている追悼式典中継番組を視ながらこれを書いています。
10年前のあの日、まだ独身で一人暮らしだった自分は、仕事から帰宅してつけたTVのニュースで見た、旅客機がWTCに突っ込み、ビルが崩壊する信じられない光景をまざまざと記憶しています。
2005年12月に出張でNYを訪れた際には、グラウンド・ゼロにも立ち寄りました(こちらの記事)。
そして今日は、奇しくも東日本大震災からちょうど半年の日にもあたりますね。
9.11にしても3.11にしても、その日を境に世の在り方は全く変わってしまった、という言い方がよくされます。
多くの高名な作家や評論家がそのように書いたり語ったりしているわけですが、そのような言い方を耳にする度に、自分は少し違和感を覚えます。
確かに、その日を境に変わってしまったことはたくさんあります。
でも、一方でその日を経ても変わらないこともある。
良いことも、悪いことも。
そうした「変わらないこと」のほうにこそ本質があるような気がしています。
野田新政権の鉢呂経産大臣が昨日辞任しました。
辞任の契機となった「失言」は確かに誉められたものではありませんが、少なからぬ人が云っているように辞めるほどのものか、という疑念は感じます。
政権側は鉢呂氏を守るそぶりも全く見せず、さっさとトカゲのシッポ切りしてしまいました。
野党や反対勢力とうまくやっていきたい新政権としては、ツッコミどころはとにかく一刻も早く埋めてしまいたい、ということなんでしょう。
こうやってまた本質を語ることが葬り去られていきます。
鉢呂大臣の「失言」のうち、「放射能つけちゃうぞ」についてはどうも事実関係が判然としないので論評しにくいのですが、「死のまち」については正直「言葉狩り」という印象です。
「福島は死のまち」⇒苦労している福島の人たちの感情を冒涜している⇒けしからん
「日本は戦争に負ける」⇒戦地で頑張っている兵隊さんに申し訳ない⇒けしからん
なんだか似てますね。
ホワイトスペース戦略 ビジネスモデルの<空白>をねらえ | |
マーク・ジョンソン | |
阪急コミュニケーションズ |
ある企業の中核となる事業領域を「コアスペース」とした場合、その外側にある領域を「ホワイトスペース」と呼んでいます。
企業がビジネスモデルにイノベーションを起こし、ホワイトスペースに進出しようとする契機には、以下のようなパターンがある。
【1】内なるホワイトスペース
・競争の基準が変わって市場に新たな未解決なジョブが登場する。
競争の基準の変化:機能性→信頼性→利便性→価格(=コモディティ化)
・未解決のジョブが見落とされ続けてきた。
⇒既存企業にとって、飛躍的な成長と企業革新を実現する有望なチャンス
【2】かなたのホワイトスペース
・今、顧客でない層(=非消費者)を市場に取り込む。
・非消費者が消費者になることを妨げている障壁を打ち破る。
資金の障壁、技能の障壁、アクセスの障壁、時間の障壁
⇒自社の商品・サービスを「民主化」し、新しい市場を手にするチャンス
【3】はざまのホワイトスペース
・市場の需要に予測不能な、或いは劇的な変化が生じる。
・テクノロジーに予測不能な変化が生じる。
・ビジネス環境に関する政府の政策に劇的な変化が生じる。
⇒変化の前の世界と後の世界の間に、フロンティアが生まれるチャンス
そして、企業がこういったホワイトスペースに進むためには、ビジネスモデルの変革が必要になるわけですが、まず従来の自社におけるビジネスモデルとはどのようなものであったのか、そのことについて明確に理解している企業は多くないと著者は述べます。
「ビジネスモデル」とは一体何であるのか、その点について意識的でない限り、何をどう変えようとしているのかを理解することもできません。
その点が本著の肝であります。
著者は、「ビジネスモデル」という概念を4つの構成要素に分解します。
(1)顧客価値提案
顧客が抱えている未解決のジョブを見出し、それを解決するための商品・サービスを提供する。
(2)利益方程式
企業が如何に自社と株主のために価値を創り出すか。
4つの変数で構成される。
・収益モデル:価格×販売数量
・コスト構造:直接費と間接費(規模の経済を考慮)
・1単位当たりの目標利益率
・経営資源の回転率
(3)主要経営資源
顧客価値提案を実現するための資源
人材、テクノロジー、商品、設備、納入業者、流通経路、資金、ブランド…
(4)主要業務プロセス
持続・再現・拡張・管理可能な形で顧客価値提案を実現するための手段
こうしてまとめられると当たり前のように感じるわけですが、これらのうちのどの要素をどのように変えようとしているのかが分かってないと、ビジネスモデルの変革は的外れなものになる。
そして既存の企業にとって、長年培ってきた利益方程式や経営資源・業務プロセスにメスを入れることは極めて難しいことも指摘されます。
この点は実感としてよく分かります。
「これってうちの会社がやるべきビジネスじゃない」なんてセリフ、よく聴こえてきます。
そうなると最早現場だけではどうにもならず、経営の問題になってきます。
なるほどと思ったのはM&Aに触れた部分。
現実には、買収したビジネスを無理やり既存事業に組み込もうとして、そのビジネスの独自性を壊してしまう企業が非常に多い(そもそも、独自性に魅力を感じたからこそ、その企業を買収したはずなのだが)。
うーん、まったくその通りですなあ。
今日の日経朝刊一面にこんな記事が出ていました。
日本、実は「高金利」 欧米は実質マイナス拡大(日本経済新聞)
日米欧の主要国・地域で、政策金利から物価上昇率を差し引いた実質金利が、そろってマイナスとなった。物価上昇圧力が高まっているが、景気への配慮から利上げに踏み切れないためだ。金融が極めて緩和的な状況といえ、物価上昇を加速させやすい。デフレ傾向の日本やスイスの実質金利は相対的に高く、米国の実質金利との格差は広がっている。これが歴史的な通貨高の原因になっている。
名目金利は同じようにゼロ金利だとしても、欧米は物価上昇している分実質金利はマイナス、日本はデフレで実質金利は相対的に高い→だから円が買われている、というロジックが説明されています。
理屈としては分かるんですが、一方で5面(経済面)にはこんな記事も掲載されています。
日本への資金流入3倍に 1~8月、円相場押し上げ(日本経済新聞)
海外から日本への資金流入が加速している。海外投資家による日本の国債や株式などの買越額は1月~8月27日までの累計で19兆7911億円に上り、前年同期の3.1倍に膨らんだ。欧米の財政問題や景気減速への懸念がくすぶるなか、日本が逃避資金の受け皿となり、円相場を押し上げる構図が鮮明になっている。
こっちの記事によれば、円高なのは海外勢の資金が円に流入しているからだ、という説明になっています。
以下、素人考えですが、これが正しいのだとすると、最初の一面記事の実質金利云々は円高の原因ではない、ということになるんじゃないでしょうか。
日本で生活しているわけでも経済活動しているわけでもない海外勢には、物価が下がってようが上がってようが関係ないように思うんですが、どうなんでしょう?
つまり、
・海外勢は、デフレとか実質金利差とか関係なく、安全資産としての円を買っている。
・日本勢は、相対的に実質金利の高い円を手離さない。
という複合要因で円高になっている、と考えればよいのでしょうか…