そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『反応しない練習』 草薙龍瞬

2024-09-29 23:08:00 | Books

5年ぶりに再読したので読書メモを。


人間関係に悩んだり、怒りを抑えられなかったり、他人の目が気になったり、執着心や嫉妬心に駆られたり、あらゆる悩みの始まりには「心の反応」がある。

心の無駄な反応を止めることで悩み、苦しみから抜け出す、というのがブッダの教えの根幹。


まずは、心が反応しているという事実を認めて正面から向き合い、それが満たされることのない妄想であることを認識する。

価値があるとか無いとか、優れているとか劣っているとか、無駄に「判断」することを止める。

自分を否定するのも「判断」、ただ肯定すればよい。

自信を持つのも「判断」、ただ「正しい」こと、やるべきことをやればよい。


とは言っても、心はそもそも反応してしまうもの。

そんな時はいっそのこと目を閉じてしまえばよい。

目を閉じて、身体の感覚を確認してみる。


人間関係の悩みは、自分サイドの問題(心の反応)と相手との関わり方を分けて考える。

相手の反応は相手に委ねる。「正しさ」は人それぞれ違う。

過去の相手の言動が許せなかったとしても、それは自分の中の「記憶」に過ぎない。相手は常に変わっている。


欲求を満たすことで「快」が得られるのであれば、それをモチベーションにするのもよい。

が、欲求を満たすことを目的にしてはならない。欲が膨らみすぎると焦りや不安などの「不快」がもたらされる。そうなったら仕切り直したほうがよい。


他人の目が気になるのは、承認欲+妄想。妄想は確かめようがないこと。

比較しても、自分の状況が変わるわけではなく、常に不満が残る。


自分のモノゴトに集中し、自分が納得できることを指針とする。

世界に対して「貢献」することを動機とする。


現実を否定するのでも迎合するのでもなく、現実に対して「自分はどう向き合うか」。

生きることはラクではないが、その苦難を乗り越える出発点と考えればよい。


こうしてみると仏教(ブッダの教え)というのは、宗教というよりも人生哲学・心理学の体系だということがよく分かる。

その哲学・心理学を踏まえた上で、真に幸福に生きるための実践術も含まれている。




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『いつか月夜』 寺地はるな

2024-09-23 13:56:00 | Books
人は生きているとたくさんの人と出会うけれど、その人たちは、夜中にいっしょに歩いてもいいかなと思える人と、とてもそうは思えない人と、2種類に分かれるのかもしれない。
で、いっしょに歩ける人とも、完全に分かり合えることはけっしてなくて、いろんな理由でもういっしょには歩けなくなってしまうのだ。
でもそれは何かを失ったということではなくて、お互いの心に豊かなものを確かに残してくれて、だからこそちょっと切ない。

この小説を読んで、そんなことを感じた。

主人公の青年の、質素ながら真摯な人柄が、小野寺史宜の『ひと』『まち』の主人公と似ている印象で、イマドキな感じがする。

「みけねこ洋菓子店」の件りだけ、急にジブリ映画みたいなテイストになる。

#ブクログ



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『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき 』

2024-09-09 21:11:00 | Books
脳科学の専門家である著者が、脳卒中になり、発症から治療、リハビリの過程で自分自身の身体と精神に何が起きたかを克明に書き下した、まさに奇跡の一冊。

脳卒中が起きた朝、脳の専門家であるが故に自分の脳に何が起きているかを冷静に観察しながら、左脳の機能が麻痺していく中で論理的思考力が働かなくなっていくという矛盾。その過程を描くドキュメンタリーは生々しくも、生命と知性の不思議さに満ちていて興味深い。そして、左脳の機能を失いながら、後にこの記憶を呼び覚まして本に書いているという事実が奇跡的。

左脳と言語中枢を失うと、「自己」を認識できなくなり、自己とそれ以外を隔てる境界線が無くなっていくという体験がまた興味深い。自分・自己・自我というものは左脳が作り出した妄想なのか?
自分が流体のように感じられ、あらゆるエネルギーが一緒に混ざり合っているように感じられるという体験は、先日読んだ村松大輔氏の量子力学的世界観にも通じるものがある。

治療とリハビリを経て、左脳が正常に機能するようになると、同時にマイナス思考のループが復活するというのも皮肉なもの。
著者は左脳マインドを失った経験から、深い内なる安らぎは右脳にある神経学上の回路から生じるものだと信じるようになる。そして、右脳マインドを呼び起こし、内なる安らぎを体現するためには「いま、ここに」いることを認識するのがその第一歩になると言う。紹介される様々な手法はマインドフルネスや仏教思想にも通じるもののように感じる。

#ブクログ



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『1947』 長浦京

2024-09-01 16:48:00 | Books
日本人を猿呼ばわりする差別主義者が主人公の小説なんて前代未聞ではないだろうか。そういう点ではかなり変わった小説。

終戦直後、占領下の東京は荒廃と混沌が渦巻いていて、小説の舞台としてなかなか魅力的だし、アクションシーンの臨場感とスピード感ある描写は秀逸なのだが、とにかく説明セリフが多くて読んでいて辟易としてくる。

主人公と数名の女性を除くと、登場する英国人も米国人も、日本人の元軍人もヤクザ者も、キャラが立っていなくて印象が被ってしまう。それでいて、説明的で理屈っぽい似たようなダイアログが繰り返されるので、誰がどんな思惑をもっているのか、その関係性が非常にわかりにくい。

読み終わった際には、ああやっと終わってくれたか、と思ってしまった。

#ブクログ



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