そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『55歳からのハローライフ』 村上 龍

2013-09-21 16:01:00 | Books
55歳からのハローライフ
村上 龍
幻冬舎


老いを迎えた団塊の世代前後の「普通の人びと」が「生きづらい時代」をもがきながら人生の再出発を切り拓いていく。
同一のテーマでの中編5本の連作小説。

40歳のラインを踏み越えて、人生の折り返しを意識せざるを得なくなった自分にとって、何かヒントになるようなものがあるのでは、という関心もあって読んでみたんですが、さすがにちょっと世代のギャップがあり、実感をもって感じられるものは正直無かったかなと。
ただ、「他人事」として読んでも、それぞれに十分おもしろさを感じられるクオリティであるのは確か。

連作といっても、各作品はそれぞれ独立していて登場人物が重なったりもしない。
が、それぞれのエピソードにおいて「飲み物」がキーポイントに登場することが共通している。
アールグレイ、ミネラルウォーター、コーヒー、プーアル茶、日本茶。
せっぱ詰まった状況に置かれたとき、お気に入りの飲み物を口にすることでホッと心を持ち直す。
その感覚にはリアリティがあるし、各エピソードにおいて印象的なアクセントになっています。

5作のうち、個人的には『空を飛ぶ夢をもう一度』が最もよいと思う。
壮絶な臨場感が素晴らしい。
山谷から川崎まで、タクシーとバスで瀕死の友を連れてゆく件りは、映画『スケアクロウ』の切なさに通じるものがある。

スケアクロウ [DVD]
ジーン・ハックマン,アル・パチーノ,ドロシー・トリスタン
ワーナー・ホーム・ビデオ



テーマがテーマだけに、各編それぞれに挫折感と哀愁が漂っているわけだけど、その一方で、この程度で済んでいるのならまだ幸せだよな、という気もする。
最も悲惨な『空を飛ぶ夢をもう一度』にしても、友には最期を看取ってくれる母親が存在していることでまだ救いがある。
我々団塊ジュニア世代が彼らくらいの年齢になる頃の世の中には救いが残っているだろうか…
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2027年

2013-09-18 22:49:12 | Society

中間駅、飯田市など4カ所=リニア新幹線、東京~名古屋間―27年開業へ前進(時事通信) - goo ニュース



中間駅…
政治的にそうしなければプロジェクトが進まないという現実はよく解るが、それにしても愚策。
誰が乗降するの?と誰しもが思うだろう。

2027年、14年も先の話。
その頃、果たして日本はどんな姿になっているのか。

人口減少はとっくに始まっている。
「日本の地域別将来推計人口」によれば、甲府市、飯田市、中津川市は軒並み現在から2割ほど人口減っている。
相模原市は人口は減っていないが、高齢化シフトは凄まじい。

通信技術はますます発展していて出張なんて行かずとも、ネットを通じての会議や情報授受で事足りるようになっていることは想像に難くない。

海外からの観光客が大勢押し寄せて、リニア新幹線が移動手段に使われる、とかいうことにでもなってりゃいいんだけど。

14年後に、今日発表された計画通りに事が進んでいるとは、とても思えんのだよね。

リニアの基本計画が策定されたのは1973年。
なんと、自分が生まれた翌年ではないか。
これだけの長い年月かけてきた慣性の大きさを感じざるを得ない。

東京五輪、(リニア)新幹線…ここにきて昭和30年代の復古。
やはり高度成長的発想の持ち主が意思決定者になっているうちは、こうなるのだろう。
世代が一巡するにはもう少し時間が必要ということなのでしょうね。
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『風立ちぬ』 二度目の観賞にて

2013-09-16 14:23:34 | Entertainment

ここで「生きる」とは「誠実に生きる」ことである。何故誠実に生きなければならないか?人間の人生は有限だからだ。人生の有限性を否応にも実感させられる年齢にならなければこれは伝わらないだろう。その意味でR-40指定。

「あなたは生きて!」菜穂子は呼びかける。

「創造的人生の持ち時間は10年だ」カプローニは諭す。

直截的に人が死ぬ場面は描かれない。が、大震災では多くの生命が喪われただろうし、二郎の設計した戦闘機に乗った飛行機乗りはおそらく帰ってくることはない。そして、菜穂子の母も、菜穂子も。

「風が立つ、生きようと試みなければならない」「少年よ、風はまだ吹いているか?」

どうして風が吹いたから生きなければならないのか?風は無限、人生は有限。有限性の宿命から逃れることのできない人間も、風が吹いている間はその無限性に身を委ねることができる、ような気がするということ。

「珍しくも、宮崎が切ない大人の純愛を描いた作品とも云えるだろう。が、その純愛は多分に一方向である。二郎は菜穂子の愛に対してあくまでも受動的だ。」初回観賞時のreviewにはそう書いた。だが違った。二郎は「誠実に生きる」姿を見せることで菜穂子の愛に確かに応えていた。誠実に生きることは、時に残酷であり罪つくりだ。身勝手であり、けっして無害ではない。しかしそこから想いが伝われば、それは誠実だ。だから菜穂子は安心して手を握り、微笑みかけるのだ。確かにそれは男性目線の都合のいい解釈に違いない。が、それもまた矛盾ではあるが真理なのだ。

大正から昭和初期にかけての、人々の暮らしや街並が美しく生き生きと描かれる。宮崎はもちろんこの時代をリアルタイムで知る世代ではないが、綿密にリサーチされたに違いない、これら「かつて在った日本の姿」。やがて破滅し、そして姿を消していく。これもまた有限。そして、牛が戦闘機を曳いてゆく。なんとまあ矛盾ではないか。

風、有限の人生、矛盾こそ真理…二度(一度目はひとりで、二度目はヨメさんとふたりで)観賞し、宮さんの「引退」会見を聴いて、すべてが繋がった。

そして、エンドロール、ユーミンの「ひこうき雲」をバックに流れていく絵コンテに涙する。

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風を描き続けた男 宮崎駿

2013-09-07 14:53:45 | Entertainment

宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文(日経新聞) <登録会員限定>

「引退」といっても何かの契約を更新しないとかそういうはっきりした区切りがあるわけではなく、自分自身が「もう作らない」と決めたというだけのことで、ご本人にしてみれば本来他人様に宣言するような話でもないが皆が聞きたがるので面倒くさいから発表した、というくらいのものなのだろう。 

会見の言葉の中で個人的に最も印象的だったのは、以下の一節。

監督になってよかったと思ったことは一度もないが、アニメーターになってよかったと思ったことは何度かある。アニメーターは、なんでもないカットが描けたとか、うまく風が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、そういうことで2、3日は幸せになれる。アニメーターは自分に合っているいい職業だったと思っている。

自分は、小学生のときにナウシカを、中学生のときにトトロを観て心底衝撃を受けた(ラピュタはリアルタイムではなくだいぶ後になってから観た)。 
ナウシカではその世界観の壮大さと神秘性に打たれたのだけれど、トトロではアニメーションの表現の繊細さに吃驚した。
特に「風」の表現だ。
風が森の木々や水田に張られた水をなでていく様の表現。 

それまで、アニメ(に限らず映画やドラマ)というものを「お話」としてしか捉えていなかった自分に、それらを「表現」として観る視点を与えてくれたのが『となりのトトロ』だった。
大人になって映画好きになって今に至るまで、その視点は自分の観賞スタンスの基礎になっている。

そして、宮崎氏のおそらく最後になる商業映画が『風立ちぬ』。
近々二度目の観賞を予定している。
スクリーンに定着した「風」をじっくり堪能してこよう。 

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