そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

設備投資や雇用を促すために必要なコト

2014-08-29 23:30:13 | Economics
今日の日経朝刊コラム「大機小機」は、真っ当なことが書かれていたのでメモしておこう。
『企業がおカネを使わぬ理由』、筆者は「冬至」氏。

日本企業が潤沢な手元資金を設備投資や賃上げに使わない理由として、「デフレが主因である」「企業への株主の圧力が弱かった」と説明がされるが、いずれもピントがズレている、として…

経営者に手元資金を抱える理由を聞くと、こんな理由が帰ってくる。
「経済の浮き沈みに備えるため。不況でも簡単に人を切って経費を減らすことができないから」「リーマン・ショック時は急に金詰まりが起きた。いざというとき銀行はあてにならない」
企業が日本で積極的に設備投資をしないのは国内市場の縮小により、収益率の高い投資機会が見つけにくいからだ。インフレになっても、経済の長期的な見通しが改善しなければ新規の長期投資は増やせないというのが多くの経営者の考えだ。
株主の圧力が増せば国内投資を増やすという声も聞かない。むしろモノいう株主から無駄な投資や人件費の削減を迫られたという企業も多い。


結局、国内投資や雇用増を企業に促すために必要なことは「投資や人を雇うことに伴う不安を除去することに尽きる」と説く。
まあ当たり前のことだが。
お上が無理矢理言うこと聞かせようとしても逆効果ってこった。
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『海うそ』 梨木香歩

2014-08-27 23:23:19 | Books
海うそ
梨木 香歩
岩波書店


何の気なしに読み出してみたが、これは凄い小説。

主人公が島に住む若者をガイド役に一週間かけて島を巡る。
ただ、それに付き合うだけで、「遅島」という架空の島に漂う、霊験あらたかな、湿気を含んだ空気やバラエティ豊かな植生や地形が、まるで実体験したかのように五感で感じられる気がしてくる。
小説という文字メディアでこれをやってのけるとは、相当な筆力。
感服する。

昭和に入ってすぐの時代、南九州の本土から少し離れた遅島に、若き地理学者である主人公が訪れる。
かつては修験道の聖地であり、明治初年の廃仏毀釈運動で荒らされた島。
海、湖、森林、山、変化に富んだ地形に生きる、多くの動植物。
漂う「ウンキ」、遠く眺めることのできる「海うそ」…

一週間の島巡りが終り、小説は最後、一気に半世紀の時を経る。
50年後、齢80歳となった主人公は思わぬ縁で遅島を再び訪れることになり、その変わり果てた姿に衝撃を受ける。

この現代パートの時代設定は昭和60年頃だろう。
我々の世代が普通に知っている「開発された」風景が、どんな過去の姿を持っていたのか。
そんなことを普遍的に考えさせられてしまう、強い力のある終章だ。
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株価対策と試験対策

2014-08-26 22:28:41 | Economics
本日の日経朝刊紙面より。

投資情報面のコラム「一目均衡」は、ROE経営について。
経産省のプロジェクト最終報告書・通称「伊藤リポート」…

グローバルな投資家との対話では8%を上回るROEを最低ラインとし、より高い水準を目指すべきだー。伊藤リポートは日本企業に対し、司法効率の向上を明確に求めた。


ただし、このROE重視の趨勢に対しては、先週、ダイヤモンド・オンラインで山崎元氏が批判的なコラムを書いていた。



個人的には、山崎氏の書いていることのほうに頷いてしまうのだが…

日経紙面に戻り、マーケット総合2面のコラム「大機小機」は『社外取締役は日本に必要か』。
会社法改正により社外取締役導入の規制強化が図られるが、大きな効果が期待できない社外取締役の導入に圧力がかかるのは、米国の短期投資家が米国流の制度の採用を期待するからだ、と断じている。

ではなぜ政治家まで彼らの期待に応えようとするのか。それは、奇妙な利害の一致があるからだ。短期投資家の資金は、日経平均株価など市場のインデックスの改善に即効的な効果がある。
政治家にとって大切なのは目先の株価である。選挙が迫っているとき、政権政党は目先の株価に敏感にならざるを得ない。株価を上げるには短期投資家に動いてもらう必要があるのである。


山崎氏にしても、「大機小機」の筆者”猪突”氏にしても、論旨は異なるが、株主への過剰な目配りや目先の株価対策に対して冷ややかな目線を投げている。

ところで、これらを読んで同質性を感じてしまったのが、これも今日の朝刊で大きめに扱われていた全国学力テストの結果。
昨年度の同テストでは小6の国語Aと算数Bを除いて全都道府県で最下位だった沖縄県が、今回は小6の算数Aの平均正答率が6位に浮上したとか。
まあ僅か一年で県民の平均的な学力が急に上がるのも不思議な話で、おそらくこれまでちゃんとやっていなかった「試験対策」をしっかりやったことの効果なのではないかと想像する。
短期的な「株価対策」に通じるものを感じてしまう。
そんなこと、本質じゃないのにね。
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『決定版 図説 旧約・新約聖書 この一冊で聖書がまるごとわかる!』 月本昭男

2014-08-25 23:02:06 | Books
決定版 図説 旧約・新約聖書 この一冊で聖書がまるごとわかる!
月本昭男
学研パブリッシング


Kindle版がタイムセールで150円で売ってたので購入、読了。

つい先日まで旧約聖書と新約聖書の違いすら知らなかった自分だけど、実はかつてカソリックの幼稚園に通っていました。
二年保育だったその幼稚園では、全園児に毎月絵本が配られていたのだけれど、一年目は旧約聖書の中の物語(アダムとイヴ、ノアの方舟、モーゼの奇跡・十戒、など)が、二年目は新約聖書の中のキリストの誕生から死、復活の物語が収録されていた絵本であったことを、40年近く経った今になってこの本を読んで、ようやく認識したというわけです。

しかし、そんな幼稚園児の頃に読んだ物語がいまだに印象に残っているというのも、聖書に書かれた物語がどれだけ大きな訴求力を持っているかの証左ではありましょう。
世界中にこれだけキリスト教が広まったというのも、聖書が持つ訴求力あってのものなのだと思う。

巻末のほうには、聖書の中の有名な言葉が並べられている。
聖書の教えって、ストイシズムの強要みたいなところはあまり好きじゃないんだけど、次の一節は本質を衝いていると思うので、記しておこう。

新約聖書「マタイによる福音書」第7章第13節
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。
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おやじの背中

2014-08-24 23:07:59 | Entertainment
TBSの単発連作ドラマ「おやじの背中」、今日は渡辺謙、東出昌大主演の「よろしくな。息子」。
久々に山田太一作品独特の台詞回しを堪能。
そして、長回し!
特に、渡辺謙と余貴美子の靴屋でのダイアログは10分以上ノーカットだったんじゃないかな。
テレビドラマであのクオリティを観られるのは貴重。
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『怒り』 吉田修一

2014-08-24 21:31:13 | Books
怒り(上)
吉田 修一
中央公論新社


怒り(下)
吉田 修一
中央公論新社


吉田修一は好きな作家なのだが、小説を読むのはかなり久しぶり。
初期の頃の日常にふと訪れるドラマを描いた作品から、最近は犯罪をテーマにしたエンターテイメント性も備えた作風に遷移している印象。
『悪人』や『さよなら渓谷』は、映画は観たのだが原作は読んでいなかった。

八王子の新興住宅地の住居で夫婦を通り魔的に惨殺し、指名手配されながら一年以上逃走を続けている容疑者を巡る話。
容疑者を追う刑事たちが登場するが、彼らが容疑者の所在に少しずつ迫っていく、というオーソドックスな展開とはならない。
外房の漁師町の父娘、一流企業に勤める同性愛の青年、夜逃げを繰り返し沖縄の離島に辿り着いた母娘、という三組の全く関わりを持たない人々の生活に、容疑者を思わせる流浪の青年が入り込んでいくストーリーが並行的に進行していく。
果たして、三人の流浪の青年のうち、誰が容疑者であるのか、はたまたいずれも容疑者とは異なるのか、そのサスペンスを味わうのが登場人物たちではなく、小説の読者である、というところに構成の妙がある。
これだけ情報の行き来のスピード化、フラット化が進んだ現代においては、ミステリもこういう形にしなければ成立しにくくなってきているのかな、という気もする。

ラストの展開にはスッキリしないものを感じさせるところがあるのだが、ありきたりで終わらないあたりが『悪人』『さよなら渓谷』にも通じる著者の真骨頂と言えるのかもしれない。
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『イベリコ豚を買いに』 野地秩嘉

2014-08-13 22:22:24 | Books
イベリコ豚を買いに
野地 秩嘉
小学館


ひょんなことからイベリコ豚に関心を持った著者は、スペインまで実物のイベリコ豚を取材に行きたいと考えるが、何と言っても世界最高級のブランド豚、コネも無いままに物見遊山に訪れる訳にもいかず、「イベリコ豚を輸入したい」とオファーし、ビジネスルートでアクセスすることにする…

巻頭グラビアページの写真だけでも一見の価値あり。
自然の野山の中で悠然と放牧されるイベリコ豚の群れ。
薄墨色の肌、引き締まった体躯、その姿には崇高さを感じてしまう。

日本でイベリコ豚がその名を知られるようになったのは、2005年の秋頃からだとか。
実は自分、まさにその2005年の秋に結婚一周年のディナーでイベリコ豚に初めて出会っている。
が、彼らがどんな素性の豚なのか、恥ずかしながらナッツを食べて育った豚という基本的な情報すら今の今までちゃんと認識したことはなかった。
それもそのはず、日本のよくないところで、イベリコ豚への正確な理解も無く「スペインの最高級黒豚」だとか誤解を招くような安売りがされてしまい、イベリコ豚へのイメージは本来のものとはほど遠いものになってしまっていると言う。
ちなみに、スペインでの認証基準では、イベリア種の純血、またはデュロック種との交雑でイベリア種の血が50%以上であるものしか「イベリコ豚」を名乗ってはいけないのだとか。
また、ナッツを食べて育つのは純イベリア種のなかでベジョータと呼ばれるごく一部の最高級豚のみで、それ以外セボと呼ばれるイベリコ豚はナッツを食べずに育てられるとのこと。

本の中で紹介されるスペイン土着の食文化(野菜を食べない、だとか)や、スペイン人と日本人の肉食に対する文化の深さの違い(魚食についてのそれと丁度真逆になる)についての考察なども非常に興味深い。

思いつきでイベリコ豚の輸入ビジネスに手を染めようとしたビジネス音痴の著者が、なんとも魅力的なスペインのイベリコ豚生産者や、食肉業に携わる日本人の協力者たち(精肉事業者、流通事業者、レストランシェフ・経営者)と交わるうちに、ビジネスの本質に触れて新鮮な気づきを繰り返していく様も、なんだか素朴な感じでよい。

マルティグラ・ハム、一度注文してみたくなっちゃうな(高いけど)。
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アギーレは五輪代表の監督も兼任するといいと思う

2014-08-11 23:38:59 | Sports
アギーレが来日しました。
記者会見では当然のことながら2018年ロシアW杯の話題が何度も登場している。

5回連続でW杯に出場している日本、1大会おきにグループリーグ惨敗とベスト16進出を繰り返している。
その結果の違いをもたらした要因が何なのかを考えたときに、「アジアの戦いを勝ち抜くこと」と「世界の競合に挑むこと」のギャップに対する備えが指導者(監督)にできていたかどうかが一番大きいのではないか、と個人的には思っている。
アジアでは格上である日本、相手国も引いて守って、それをどう崩すかというのが戦い方の中心になる。
ところが、本番で欧州や南米の強豪国と戦うとなれば、試合を支配することは難しく、全く別の戦い方が求められることになる。
頭では分かっていても、それを実際に経験していないと、ついついアジアの戦いの延長で行けると誤認してしまう面があるのではないか。

思えば、98年の岡田さんは初出場だったから当然のこと、06年のジーコ、今大会のザッケローニとも、世界レベルでの真剣勝負はW杯本番が初めてだった。
一方、10年南アフリカ大会の岡田さんは2度目のW杯采配だったので、アジアの戦いと世界レベルでの戦いの違いを実感できていた。
だからこそ大会直前に戦術やフォーメーションを変える決断が出来た。
そして、02年日韓大会のトルシエは、ホームアドバンテージということもあったが、若い世代の代表監督も兼任して、ワールドユースやシドニー五輪での采配を通じて、アジアと世界のレベルの差を十分に認識していたことも大きいのではないかと思う。

つまり、4年間を代表監督の任期としてしまうと、そのギャップを経験しないままクライマックスにW杯本番がきてしまうのだ。
これを避けるためには、最初から8年間を任期として考えて、W杯のサイクルを2回まわすというやり方がある(そんな長期の受け手がいるかどうかという問題はある)。
もう1つのやり方が、トルシエ方式で、若い世代の代表を兼任させるという方法。
このトルシエ方式の方が現実的なのではないか。
代表監督って、クラブと違ってそれほど試合日程が詰まっている訳ではないので、兼任も無理ではないのでは。
手倉森さんにはスタッフに入ってもらって、もしものときのバックアッパーとなってもらえばよいのではないかと思う。
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『私のなかの彼女』 角田光代

2014-08-11 21:08:39 | Books
私のなかの彼女
角田 光代
新潮社


この本を読んで一番最初に浮かんだ感想は「平凡な人生など無い」ということ。
もちろん、主人公の女性(和歌)の人生は、「平凡」とは言えないものだろう。
なんたって、小説家としてデビューし、一廉の成功をなしてしまうのだから。

もともとそれだけの才能に恵まれていた、と考えるのが普通なのかもしれない。
が、大学生までの彼女は、人生に対して受動的な、どこにでもいる平凡な女子でしかなかった。
それが、いくつかの出会い(知見と刺激を与えてくれる彼氏、実家の蔵で見つけた祖母の著作、九龍城での経験)が、平凡だったはずの彼女に思いもつかぬ人生の展開を与えてくれた。

そしてその人生はけっして甘く幸せなものばかりに溢れていた訳ではない。
思うに任せぬ、苦い思いも数々経験することになる。
が、その一つ一つが「本田和歌」というパーソナリティを形作っていく。

彼女の人生は、彼女にしかないユニークでオリジナルなものである。
だが、一方で、同じような人生の展開を味わうチャンスは誰にでも訪れ得る。
そんなことを感じさせてくれる、豊穣な二十年記である。

主人公の世代設定は、自分よりも少し年上の、著者と同い年くらい。
バブル崩壊や、世相を揺るがした事件、パソコンやメールの普及など、自分も経験してきた時代の変遷が描かれていることも、二十年記に肩入れしてしまう大きな要因にはなっている。
また、ごく個人的な事情だが、自分も90年代の初め、中国返還間際の香港に旅行した際に、すでに退去が始まっていた九龍城を訪れて、その異様な佇まいに戦慄した経験がある。
だからこそ、九龍城訪問を人生の転機とする、主人公の生き様に共感してしまう。
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『嫌われる勇気 岸見一郎、古賀史健

2014-08-05 21:38:51 | Books
嫌われる勇気
岸見 一郎,古賀 史健
ダイヤモンド社


Kindle版にて読了。

この本を読むまで、アドラー心理学については何一つ知らず、恥ずかしながらアルフレッド・アドラーの名前自体初耳だったくらいだが、現在42歳の自分が常日頃考えたり心がけたりしていることに、ピタリピタリと怖いくらいはまっていくのでちょっと驚いた。

<原因論ではなく目的論>
行動や感情は何か原因があってそうなっているのではなく、その行動や感情自体を抱くこと自体が目的なのだ。
何か原因があって怒るのではなく、怒ること自体が目的。
怒って自分を示威したい、相手を屈服させたい、といった目的を達成するために怒っている。
家庭でも会社でも、時折そんなふうになっちゃっている自分に、メタ的な自分が気づくことがここ最近多くなってきた。

<自分の問題と他人の問題を仕分ける>
若い頃が人からどう思われているか、嫌われていないか、ということが気になって、思うように行動できなかった。
それが今ではまったく気にならない。
自分自身で正しいと思う行動をすることが自分の問題、それをどう思うかは他人の問題。
そう思えるようになれば楽になる。
他者からの評価を気にしていては自由になれない。

そして、この本の中で一番心に響いたのは以下の一節。

<人は「この人と一緒にいると自由に振る舞える」と感じるときに愛を実感できる>

他者の評価を求めて自らの行動を決定するのは、「自由」を放棄しているに等しい。
逆に、褒めたり叱ったりすることで行動に影響を与えようとするのは、他者に対する「操作」でしかない。
求めるべきは評価ではなく「ありがとう」の一言。
感謝されることで貢献できていることを実感し、自らの価値を感じることができる。

この考え方は、つい忘れがちだがとても重要。
人の親になり、会社で中間管理職となった今ではその大切さがよくわかる。

が、一方で、これはある程度歳をとらないと達せられない境地であるのも確か。
この本に出てくる「青年」の頭の固さには読んでいて辟易させられるが、思い返せばかつての自分もこんなだったかもしれない。
そのギャップをいかに若い人に伝えるか。
それが難しいところであり、やりがいのあるところでもある。
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