江戸の大普請 徳川都市計画の詩学タイモン・スクリーチ講談社このアイテムの詳細を見る |
イギリス人の日本研究家である著者が、徳川幕府による首都たる都市・江戸の街づくりを語った一冊。
といっても、都市計画を技術的に論じたものではなく、サブタイトルに「詩学」とあるように、精神的な、或いは象徴的な意味での都市づくりがいかに行われたのか、そして江戸に暮らす人々はそのようにしてつくられた都市に対して実際どのような意味を解釈していたのか、そのことについて現代に残されている浮世絵などの美術作品を鍵にして読み解いていく、といった風合いの文章です。
例えば、それまで荒涼たるド田舎でしかなかった江戸の地に新生・日本の大首都たる権威をもたらすために徳川幕府が精神的な意味での「街づくり」をいかに行ったのか。
当時盛んだった陰陽道においては北東が鬼門とされており、悪い「気」の流入を防ぐためには北東に山があり、しかもその山に寺院があるような場所に都を置くことが理想だったわけです。
京都の北東には比叡山があり、そこには延暦寺が建っている。
それと同じ形をとることができなければ、江戸が新都としての体をなさなくなってしまう。
徳川家が江戸に移るずっと以前からある寺院としては浅草寺がありましたが、浅草は江戸の北東ではないし、山でもない。
そこで、ちょうど北東方向にあった上野の山に寛永寺が建立された、ということです。
そして、吉原の遊郭や瓦町・刑場などはその鬼門の外に配置されたのです。
このほか、日本橋は、橋の上から川沿いに西方を眺めると江戸城と富士山が並ぶよう見える位置にかけられたことだとか、江戸の男たちが吉原へと向かう道すがらにどのような光景を目にしたのかだとか、なかなか興味深い話題が次々と繰り出されます。
学問というよりも、著者の想像による解釈をきかされている感じですが、面白いのは間違いない。
読んでいて、外国人が書いたもの、という印象を受けるところは全くないのですが、異邦人だからこそ逆にこのような独創的で生き生きとした解釈ができるのかもしれません。