今日は史上初めての「昭和の日」だった。
平成生まれが高校を卒業する年齢に達している今、「昭和」はどんどん「歴史」と化していっている。
自分は昭和47年の生まれで、平成改元は16歳のときだった。
物心ついた以降に限ればほんの10年くらいしか「昭和」を肌で知らないわけだが、それでも人生に占める「昭和」だった期間の割合がまだそれなりに高い(今では5割を切ってしまったが)こともあり、「自分は昭和の人間だ」という意識はけっこう強く持っている。
「天皇陛下」といってまず頭に浮かぶのは昭和天皇の顔だ。
それでも、自分が経験した「昭和」は、石油ショックで高度成長が止まり、バブルに突入するまでの間だけであり、それ以前の激動の時代については話に聞いたり、本で読んだり、映画で観たりして想像をするしかない。
今、35歳だが、自分が生まれる35年前といえば昭和12年、盧溝橋事件が起こった年だ。
同じ35年間といっても、自分が生まれる前のそれと、生まれて以降のそれを比べると、濃度の違いを感じざるを得ない。
こういった時間感覚(歴史感覚)というものは、年齢を重ねるに連れて深まり養われていくので、なかなかおもしろい。
平成生まれが高校を卒業する年齢に達している今、「昭和」はどんどん「歴史」と化していっている。
自分は昭和47年の生まれで、平成改元は16歳のときだった。
物心ついた以降に限ればほんの10年くらいしか「昭和」を肌で知らないわけだが、それでも人生に占める「昭和」だった期間の割合がまだそれなりに高い(今では5割を切ってしまったが)こともあり、「自分は昭和の人間だ」という意識はけっこう強く持っている。
「天皇陛下」といってまず頭に浮かぶのは昭和天皇の顔だ。
それでも、自分が経験した「昭和」は、石油ショックで高度成長が止まり、バブルに突入するまでの間だけであり、それ以前の激動の時代については話に聞いたり、本で読んだり、映画で観たりして想像をするしかない。
今、35歳だが、自分が生まれる35年前といえば昭和12年、盧溝橋事件が起こった年だ。
同じ35年間といっても、自分が生まれる前のそれと、生まれて以降のそれを比べると、濃度の違いを感じざるを得ない。
こういった時間感覚(歴史感覚)というものは、年齢を重ねるに連れて深まり養われていくので、なかなかおもしろい。