豊臣秀吉といえば、貧しい農民の家に生まれ、草履を懐に入れて温める気配りで織田信長に見出されて驚くような速さで出世し、「墨俣一夜城」で知られるような抜群の才覚で天下人にまで上り詰めた…というのがお馴染みのエピソードですが、これらはすべて史実として確認されておらず、後世の文学や浄瑠璃・歌舞伎などによって語り継がれた「創作」である可能性が高いそうなんです。
これもまたよく知られた「猿」というニックネームも、信長が本当にそう呼んでいたという確証はないそうで。
我々に刷り込まれている、これら秀吉のキャラクターを形作った逸話の数々。
これを筆者は「秀吉神話」と呼び、一つ一つを史料に基づいて検証していきます。
この点が、本書のタイトルとして反映されているわけです。
が、本書全体の印象を俯瞰すると、むしろ一番力を入れて論じられているのは「本能寺の変」の再評価、ということになります。
これもまた時代劇やら何やらで刷り込まれたイメージではありますが、「本能寺の変」といえば、信長への恨みを連ねた明智光秀が突発的・衝動的に起こしたクーデターというようなとらえ方が一般的にされています。
筆者に言わせればそんなのはナンセンスで、本能寺の変については信長政権下での力関係の変化により危機感を抱いた光秀が、将軍足利義昭を頼んで計画的に起こしたものだ、ということになります。
光秀の思い通りに事が運ぶはずのところ、備中高松城攻めから矢のようなスピードで畿内に舞い戻り山崎の戦で光秀を倒し、一気に天下人へのステップを踏んだ秀吉。
その類いまれな情報収集力・機動力により、秀吉は、光秀のクーデーター計画を事前に予測していたのではないか、という仮説を筆者は掲げます。
このあたりは、なるほどなと思わされるところがありました。
ただ、光秀の計画がそのように予想しえないものではなかったとしたら、信長ほどの人物がむざむざと殺されてしまったのはどうしてなのか、という疑問はちょっと湧きましたが。
もう一つ、これは自分もまったく知らなかったんですが、秀吉の天下統一事業は日本に「平和」を創出することを目的としたものだった、という「豊臣平和令」という考え方が、1980年代に通説化され90年代には高校の日本史教科書にも採用されたそうなんです(自分よりも若い世代の人なら当然のように知っていることなのかもしれませんが)。
著者はこの考え方に疑問を持ち、本書の中でも異論が語られています(この辺はけっこう専門的な話なのでさほどピンときませんでした)。
個人的には歴史といえば近現代史の方への関心が高いので、このような中世~近世の時代についての論文はあまり読んだことがなく、なかなか新鮮でした。
やはり近現代に比べると残っている史料も限定されているので、解釈の幅もぶれが大きく、それがまた魅力でもあるのかな、と。
本書でも、著者の持論への他の学者からの異論に対する再反論を展開している部分が多く(特に本能寺の変の部分)、しかもかなり感情的というか攻撃的な調子で書かれているところもあったりして、この分野の論争の激しさを垣間見ることができたような感じです。