そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

今村昌平死去

2006-05-30 18:13:34 | Society
映画監督・今村昌平氏が死去 (読売新聞) - goo ニュース

「にっぽん昆虫記」「楢山節考(ならやまぶしこう)」「黒い雨」など数々の秀作を残し、カンヌ国際映画祭で2度、最高賞に輝いた映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)氏が、30日午後3時過ぎ、亡くなった。79歳だった。

岡田真澄元・井筒親方と、著名人の訃報が続いている。

今村昌平の監督作品では、「豚と軍艦」('61)、「にっぽん昆虫記」('63)、「赤い殺意」('64)を観たことがある。
2年くらい前だと思うが、日経新聞朝刊の「私の履歴書」も読んだ。
「重喜劇」との造語で表現される今村作品、正直申し上げると少々苦手である。
「生きもの」としての人間の根源的活力、悪く言えば「汚さ」も含めてストレートに表現されていることに若干拒否反応を感じてしまった。
いずれにしても今の日本映画界ではまずお目にかかれない独特の作風。
少々年齢を重ねた現在再観賞すれば、また違った見方ができるかも。
近いうちにまたBSやCSで特集放映されるだろうから観てみようかな。
特に「人間蒸発」とかは一度ぜひ観てみたい作品の一つ。

合掌。
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私的「格差」考(5) 「福祉切捨て」と「格差」

2006-05-28 01:30:18 | Society
このシリーズの初回のエントリに書いたように、いわゆる「格差社会」を「福祉切捨て社会」として捉える見方がある。
今日はこれについて考えてみたい。

「小泉首相の改革路線により格差が広がった」と批判する際、医療・福祉面での国民負担の増大が取り上げられることがよくある。
先日も医療改革法案の採決で国会審議が紛糾したが、福祉を薄くし国民一人一人の自助努力に負う部分を増やす方向に進んでいるのは間違いない。
が、それは言われているように「小泉改革の負の側面」なんだろうか?
そんなことはないと思う。
少子高齢化が進めば必然的に医療費は増加する。
医療費の増加にどう対処するか?やり方は大きく二つしかない。
増税して福祉予算を確保するか、自己負担を増やすか、いずれかである。
近い将来、消費税増税なども現実化していくだろうが、増税によるマクロ経済に対する悪影響などを考慮して、自己負担増のほうを先に進めているというのが現状だろう。

自己負担を増やす方向に進むのは仕方ないにしても、その「増やし方」が必ずしも適切でないケースもあるようだし、少子高齢化とは関係ない部分での自己負担増(障害者自立支援法とか)も進められていることもしっかりウォッチしていく必要がある。
ここで言いたいのは、基本的にはこれらの福祉関連政策と小泉改革は直接は関係がなく、小泉政権じゃなくても誰がやっても、基本的にはこういう方向に進まざるを得ない、ということである。
(その辺をちゃんと説明しない小泉政権もよくないと思うが。)

一方で、憂慮すべきは、医療レベルに地域間で差が出てきていることではないか。
産婦人科医や小児科医の不足については盛んに語られている。
東京で生活しているとさほど気になることもないが、どうやら過疎地域では深刻な問題になりつつあるようであるし、現政権がこういった現状に対して有効な策を打てていないのは事実ではないかと思う。


**********
こうしていろいとと考えを進めていくうちに、現状「格差社会」として最も深刻に考えるべきものは「地域格差」なんじゃないかという考えに行き着いた。
次回は、この「地域格差」について書いてみることで、このシリーズを締めくくりたいと思う。
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私的「格差」考(4) 日経新聞「大機小機」より

2006-05-24 23:58:02 | Society
先月、「私的『格差』考」のタイトルで3回ほど思うところをエントリした。
何となく頭の整理もできないまま中途半端に中断してしまっているけど、もうちょっとだけ書き進めてみたい。

丁度、今日(5月24日)の日経新聞朝刊マーケット総合面「大機小機」に「『格差社会』は成長の証し」と題したコラムが書かれていたので、これにツッコミを入れることで再開してみる。

筆者(「桃李」氏)はまず、世間の「格差社会」論に対して、次のように断じている。

「格差社会」や「市場原理主義」の「行き過ぎ」などは、定義や具体的内容になるとあいまいで、単なる政治的スローガンである。

基本的には同感。
で、さらに筆者の現状分析が続けられている。

日本の課題の多くは、過去十年以上に及ぶ経済成長率の長期停滞と高齢化に由来している。税収の低下と誤った景気対策による財政危機を背景に、小さな政府を目指す財政支出の削減や規制緩和などが、既得権を持つ側からの批判対象となる。

前半部分はその通りだと思うし、「格差社会」批判論が、既得権を死守しようとする抵抗勢力と結びついているのは確か。そのあたりの「まやかし」に誤魔化されないようにすることは大事だと思う。
が、例えば「地域格差」などを考えた場合、公共投資への依存を長年続けてきてズタボロになった地方経済に対して「もうそんな時代じゃないんだから自立しなさい」と急に冷たくしたところで自立する術もなく、甘やかすのはもちろん良くないが、突き放して後は勝手にしろと思考を停止してしまうだけで本当に解決になるのか?という疑問も生まれてくるのである。
このあたりは後日もう少し考えてみたい。

(ところで、本題からは外れるが、上の引用で「誤った景気対策による財政危機」とあるのは一体何を指しているんだろう?ストレートに読むと公共事業の垂れ流しによる財政赤字の増加を指しているような感じだが、例えば小渕内閣時代の公共事業増による需要創出は、橋本内閣の経済運営失敗による危機をある程度回復させたはずで、「誤った景気対策」とは言えないはずだけど…)

で、筆者の論理は次のように展開する。

課題の解決には、成長率の回復しかないし、そのためには一層の規制緩和とリスクへの挑戦を促す経済の活性化策が必要である。
成長が加速すると、常にその波に乗れた人とそうでない人との格差は拡大し、その後、時間を経て成長の恩恵が全経済に及ぶ。

いかにも日経新聞らしい「経済成長原理主義」的な文章だ。
経済が成長すれば何もかもうまくいく、みたいな書き方だが、今の問題は「成長の恩恵が全経済に及ぶ」なんて楽観論が信じられなくなっていることにあるのでは。
「成長」といったって、かつての高度成長期みたいな成長は望めないし、「全経済に及ぶ」なんてことはなくって、一部の「上流」な人々だけがその恩恵に預かるだけではないのか、という疑念が生活実感として存在することが問題視されているのである。

文章は、格差の解決策へと続く。

格差の解決は、成長に貢献する意欲と能力を持った人材をいかに組織的に育成するかにかかっている。
要は、成功者を見て、自分にもチャンスがあると考えるか、自分にはまねができないとあきらめるか、どちらの人が多いかである。その意味で、IT(情報技術)教育の充実や、高齢者の労働市場確保などを通じて、可能性に挑戦するための機会を拡大することは重要な課題である。

人材育成に活路を求めるのはいいとして、後半部分は論理が飛躍しすぎで、ほとんどちんぷんかんぷんである。
どうしてIT教育を充実すると「成功者を見て、自分にもチャンスがあると考える」人間が増えるのか、さっぱりわからない。もしかして筆者はIT音痴のIT万能論者なのか?
個人的には「高齢者の労働市場確保」の流れもあまり好きじゃない。
もちろん健康で意欲のあるお年寄りには年齢に関係なく働いていただくのはいいと思うが、「健康なのに働かない年寄りは怠けている」と見られてしまうような風潮が広がるのは好ましくないことのように思う。

長期不況後の成長は始まったばかりである。格差社会への批判が出ることは成長が始まった証しでもある。より多くの人が成長の実感と、将来への明るい期待を持つようになれば、単なる政治スローガンは力を失う。

このようにまとめてコラムは終わっている。
格差社会に過敏になりすぎるのもどうかと思うが、逆に「成長の証しなんだからまったく気にする必要は無い」と言わんばかりにここまで無邪気な楽観論もスゴイなと感じたのであった。
コメント (2)
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「ホラーハウス社会」 芹沢一也

2006-05-22 00:01:15 | Books
ホラーハウス社会―法を犯した「少年」と「異常者」たち

講談社

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内閣府が行なった社会意識に関する世論調査結果でも、「悪い方向になっている分野」の回答で「治安」が二年連続トップだったそうだ。
外交・地域格差 「悪い方向に」増加 内閣府調査 (産経新聞) - goo ニュース
少年(未成年者)による凶悪犯罪や「異常者」による子供を犠牲にする犯罪は、報じられない日が無いと言ってもよいほど、日常化している。

ところが、統計上の数字はそういった「体感」とは異なっているのだという。
例えば少年犯罪については、殺人の検挙者がピークに達するのは1951年と61年で、年間300人~400人ほどだった。
その後一転して少年による殺人事件の数は減り続け、1975年以降はずっと100人前後で推移してきており、殺人以外の重大犯罪でも同様の傾向にあるという。
統計が明らかにした事実を見る限り、少年犯罪は凶悪化も急増もしていない。

統計数字が明らかにする事実と裏腹に、何故社会は「少年」と「異常者」を「怪物」として恐れるようになったのか。
著者は、変化したのは犯罪傾向という事実ではなく、それを受け止める社会の方であるとし、97年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」並びに2001年の「池田小事件」がその変化の契機となったとしている。
そういった社会意識の変容が、「少年法」の改正、そして「医療観察法」の成立という制度改革をももたらした。

もちろんその背景には、従来の制度が、「犯罪少年の教育」「精神を病んだ犯罪者の治療」ばかりを目的とし、犯罪被害者の権利への配慮を著しく欠いた歪んだものであったことが広く世間に知られることになったことがある、という点を著者は認めている。
が、その上で、「不安にとりつかれた社会」に対して警鐘を鳴らす。
我々は自ら社会に「怪物」を取り込み、疑心暗鬼に駆られているのではないか。
そして、治安管理は今やエンターテイメントと化し、「恐怖と治安を快楽として消費する」ホラーハウス社会を作り上げてしまっているのではないか、と。

確かに著者の主張には傾聴すべき点はあると思う。
連日ワイドショーが報じる「怪物」的犯罪者。
これらを見ていると、彼らのような「怪物」が我々の周りにうようよ存在しているかのような錯覚に陥る。
あまりにヒステリックに危機意識を社会が抱くことは、「魔女狩り」に繋がる危険性を内包している。
少しでも「常識」に反した行動を取るだけで、一気に「枠外」の人間として社会から疎外される、そんな息苦しい社会にしてはならないとは思う。

が、それでもやはり、体感としての治安の悪化を多くの人が感じていることも重いことだと思う。
現に、性犯罪者や凶悪犯罪を犯した元・少年が再犯を行なう事実を、我々はメディアを通じて目にしている。
確かにそのような犯罪に遭う確率は実際には非常に低いだろう。
しかし、ゼロではない。
誰しも被害者の立場に立つ可能性を有している。
著者の警鐘は重要な意義を持っており、常に我々も頭の片隅に置いておくべきものだとは考えるが、終盤の論理展開には同調したくない思いを抱きながら読み進めたというのが正直なところである。
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カワカミプリンセス戴冠

2006-05-21 20:47:24 | Sports
カワカミプリンセス、49年ぶり無敗の“樫の女王” (読売新聞) - goo ニュース

3週間前、拙ブログで「オークスでも面白いかも」と書いたカワカミプリンセス、ホントに勝ってしまいました。
やはり前走で見せた豪脚はホンモノだった。

ところが、相手に選択したコイウタが対照的に故障発生で競争中止になってしまって、馬券はパー(跛行らしいので予後不良ではないのかな?)。
フサイチパンドラとの馬連でも41.8倍ついたし、うー、馬連で流せばよかった…(馬券下手)

それにしても重ね重ね、このレトロな響きの馬名はステキだ。
カワカミと言えば、「桃がどんぶらこ~」か「巨人軍のドン」を連想してしまう。

来週はダービー。
フサイチジャンクーアドマイヤメインで固いのではないでしょうか。
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ニュースでネタバレ

2006-05-18 23:29:06 | Society
今更ながら「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいる。
別に、映画公開に何とか間に合わせて・・・という訳でもない。
(どうせ映画観に行くヒマはないし)
文庫本になったから、というのもあるし、「流行りモノを読んでみる」というマイ・ブームに乗ってのものである。
現在、中巻に入ったところだが、正直、どうしてこれが世界的ベストセラーになったの?と訊きたくなるほどのごくフツーのレベルのミステリのように思える。
ま、最終的な評価は全部読んでから下すことにしよう。

映画公開を間近に控え、「ダ・ヴィンチ・コード」関連のニュースも花盛りである。
カンヌでの評判は惨憺たるものだったらしいが、自分はロン・ハワードという監督を基本的に信頼しているので、そんなに酷いものでもないのでは、という気がしている。

ところで、今日ネットにも流れたニュースで、カトリック団体がこの映画の内容に抗議してソニー製品の不買運動を起そうとしている、というものがあった(配給元コロムビア映画はソニーの関連会社)。
このニュース、自分も思わずクリックして読んでしまったのだが、そこには「何故カトリック団体が抗議しているか」についての理由がバッチリ書いてあったのである。
少なくとも自分が現在読み進めたところまでには一切登場してきていない「謎」の答えがそこには書かれており、「(記事を)読まなきゃよかった」と激しく後悔した。
これって完全に、原作(或いは映画)の肝となる部分のネタバレではないのか?
確かに、ニュースの背景を説明するためには必要な情報かもしれないが、何とまあ配慮の無い記事であることか。
というか騒いでいるカトリック団体が率先してネタバレを誘導しているも同じである。
あ、もしかして、それも「不買運動」の一環なのか?!
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チーター

2006-05-17 23:24:39 | Entertainment
最近おもしろいと思うテレビ番組がほとんど無いのだが、数少ない気に入ってる番組がある。
TBSの「ザ・チーター」がその一つ。

深夜帯に放映してた頃から何回か見たが、この4月からゴールデンに昇格した。
初回のスペシャルでは眞鍋かをりが号泣するなど、時たま芸能人の素が見られるところも醍醐味だけど、ゲームのルール自体けっこうよく練られていると思う。

番組を何回か見ていると傾向が見えてくる。
チーターになった人は口数が少なくなるのだ。
一方で、疑われて追放されるのは、多弁になってしまう人である。

このゲームを勝ち抜くには、とにかく疑われないことが重要だ。
疑われたら最後、ゲームから退場させられてしまうのだから。
よってチーターは、疑われないようにできるだけ余計なことを発言しないようにする。
ところが、非チーターはそういったゲームの本質をつい忘れてしまい、自分がウソをついていないことを主張したくなったり、誰がウソをついているかを懸命に当てようとしたりしてしまう。
そのことで却って疑われ、追放されることになる。
自分に無実の疑いをかけられるとつい必死に否定したくなるというのは人間心理だろう。
だから本当のチーターがなかなかバレずにゲームが進行することが多い。
このあたり非常にうまくデキたゲームだなぁと思うのである。

傾向が掴めてしまったので、意外に早く飽きてしまうかもしれないけど・・・
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ジーコが選んだ23人

2006-05-15 23:43:19 | Sports
久保落選、巻代表入り…W杯メンバー、経験重視 (読売新聞) - goo ニュース

特に忙しかったというわけでもないんんだけど、気がつけば2週間近くブログの更新をしていなかった。

中断前もジーコの話題だったので、再開も今日のメインニュース、ジーコの選んだ日本代表から。
久保は仕方ないでしょう。
明らかにコンディション悪かったもの。
現実的な判断。ジーコのリアリストらしさが出ていると思う。

何だか悲観論が渦巻いているし、この期に及んでジーコの選手選択にブーイングも出てるようだけど、何がベストかなんて誰にも分からないし、チーム作りというのは積み重ねであって、すべてを監督に委ねるしかないもの。
確かにキリンカップの2試合は褒められた内容(結果)ではなかったが、思えば4年前の日韓大会のときも、去年のコンフェデの前も、壮行試合の内容はイマイチだった。
とにかく本番で良い試合してくれることを願うだけだし、メンバーも決まってすごくワクワクしてきた。

ただ一つだけジーコの4年間で残念だったのは、日本代表の世代交代がほとんど進まなかったこと。
今日発表されたメンバーを見ても、年齢層がかなりかたまっている。
フィールドプレーヤー20人のうち、17人が1977年~80年生まれ。
コアメンバーは7~8年間変わっていない。
今がピークの選手が多くて、彼らのうち4年後も代表の主力でいる選手がどれだけいることか。
ドイツ大会限りでの退任を予告していたジーコにすれば「次代を育てること」はミッションではなく仕方ないといえば仕方ないが、これだけは残念。
ジーコの次が誰になるのか知らないが、思い切った世代交代をすることから始めなければならないのでは。
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ジーコが宮本を起用する理由

2006-05-02 23:53:15 | Sports
日経新聞の朝刊に週一ペースでドイツW杯の特集面が組まれている。
その1コーナーとして、アントラーズの本田泰人による「素顔のジーコ」というコラムが連載されている。
今朝の記事はなかなか興味深かったので紹介したい。

Jリーグ発足当時から付き合いの長い本田によれば、ジーコは「情の人」だという。
そしてその情の厚さは選手起用にも現れていると語られている。

選手起用についていうと、鹿島アントラーズでは経験のある選手を使いたがった。兄のエドゥーは選手に対する観察眼が鋭いこともあって、増田や熊谷など若手を思いきって抜てきしたけれど、ジーコは慎重だった。若い選手を無理に使って壁にぶつかったり、変にちやほやされておかしくなるのを心配していた。

ジャーナリストやサポーターから何かと評判の悪い、ジーコの「序列主義」による選手起用。
本田は、そこにも同じ哲学を感じると言う。

日本代表でも同じで、経験を重視した選手起用をしている。現役時代の経験から、技術の優れた選手だけを集めても勝てないということが分かっているので、チームにいい影響を及ぼす選手、チームをピリッとさせられる選手を入れている。

「技術の優れた選手だけを集めても勝てないということが分かっている」というところが面白い。
必ずしも、その時々のベストのプレーヤーを集めているようには見えないジーコの選手起用の裏側にはこのような確信があったのか、と思うと非常に興味深い。

本田は、さらに続ける。

DFの宮本に関しては、僕たち選手の間でも評価が高いわけではない。ジーコはポジショニングやカバーリング能力、気が利く点を買っているのだと思う。鹿島時代も、そういう選手をフィジカルの強い選手とセットで起用した。それに宮本はチームとして動ける選手であることが大きい。

同じ現役選手同志で「評価が高いわけではない」とは、そこまで言うか!(しかも全国紙で)という感じだが(笑)、正直なところだろう。
宮本については、ネット上での評価をみても、三都主の次くらいに評判が悪い。
闘莉王とか松田とか、もっとフィジカルの強いディフェンダーを中澤と組ませるべきではないか、という意見である。
サイズも無く、スピードがあるわけでもなく、球捌きが特段巧いわけでもない宮本がジーコに重用されている訳をうまく言い当てているように思える。
確かに闘莉王や松田の方が運動能力は高いと思うが、宮本がいた方が何故か信頼感があり、チームに芯が通るような気がするのである。
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交通博物館閉館

2006-05-02 12:28:22 | Society
ゴールデンウイーク、閉館を前に交通博物館は大混雑 (読売新聞) - goo ニュース

1921年に東京駅の高架下に開館し、36年にJR秋葉原駅に近い現在地に移転。鉄道車両の実物など、陸海空の交通機関に関する展示を行ってきたが、老朽化などのため、移転することになった。「さようならキャンペーン」と銘打ち、枚数限定で復刻した切符を配布しており、2日朝も、長蛇の列ができる人気ぶりだった。
来年10月14日の「鉄道の日」に、「鉄道博物館」と名前を変え、さいたま市で再オープンする。


秋葉原の交通博物館、小学生の頃に父親に連れて行ってもらった思い出がある。
なぜか強く印象に残っている。
特に「鉄っちゃん」というわけではないんだけど。
やっぱり、あの壁から飛び出た新幹線の頭が印象的だったのかなぁ。

ここに限らず、親に連れて行ってもらった先というのは、大人になってもけっこう忘れないものだ。
自分も、子供にそういう思い出を一つでも多くつくってやれる親になりたいと思う。
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