そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『未来の働き方を考えよう』 ちきりん

2013-10-28 23:07:54 | Books
未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる
ちきりん
文藝春秋


40歳を過ぎて、社会人生活、或いは人生そのものの折り返しを過ぎた身からすると、サブタイトルの『人生は二回、生きられる』というフレーズにはついつい敏感に反応してしまう。
この本に書いてある通り、人生80年、65歳定年時代を迎え、大学を出て最初に入った会社に一生をささげれば人並みに幸せな人生を全うできるという高度成長期の名残が完全に潰えようとしているのは事実。
そして、自分自身、今の会社に居続けたとしても現在と同等のポジションで仕事できるのは残りわずか10数年。
正直、人生のオプションを40代のうちにスタートさせたいという想いは常に抱いている。

殆ど、ちきりん女史がいつもブログで書いている内容だが、「ストックからフローへ」という変化に触れている部分は印象的だった。
人はなぜストックに頼ろうとしてしまうのか。
それは、フローで勝負するだけの自信が持てないからだろう。
フローで勝負する、即ち「市場で稼ぐ力」。

結局はそこなのだ。
最終章で呈示される「複数の将来シナリオを持つ」というのは非常によいメソッドだと思うが、ただシナリオを書くだけでなく、それを実現するために自らに市場価値を身につけるための努力を具体的にどのように行うのかが何より大事なのだと思う。
そしてそれはとても難しいこと。

そうは言っても扶養家族や住宅ローンを抱えていると自由にはできないのよ…などと泣きごとをつい言いたくなってしまうけど、可能性を追うことすら怠っているんじゃない?それで本当にいいの?という問いかけだと思う。
「こうしないと本当にヤバイよ」ではなく「こうしたほうが人生楽しいんじゃない?」というトーンで書かれているところは好感を持った。
「恫喝型煽り」ではなく「提唱型煽り」というか。
まあ、結局、煽りではあるのだけれど。
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『ハプスブルク家』 江村 洋

2013-10-16 22:48:29 | Books
ハプスブルク家 (講談社現代新書)
江村 洋
講談社


世界史という科目の取っつき難さは、地球上の様々な地域の歴史がパラレルに語られるがために(だからこそ「世界史」なのだけど)時代が行きつ戻りつせざるを得ないところ。
また政治史・経済史・文化史など同じ地域でも流れが複数走り、且つ、それぞれが結びつきを持っているがために、ちょっと齧ったくらいだとなかなかその全体像をイメージするのが困難であるところにあると思います。
基本的に一本のシリアルな流れで概観することのできる日本史とは大きく異なるところ。

その取っつき難さを解消するための方策として、基軸を一本決めてその軸を中心に周辺を眺めることにより、シリアルな視点を導入してみるというのが効果的なやり方の一つになるのではないかと思います。
その点では、ハプスブルク家というのは格好の基軸になってくれる存在。
なんたって、王朝の始祖・ルードルフ一世が神聖ローマ帝国の王位に就いたのが1273年、そして最後の皇帝フランツ・ヨーゼフが逝去して王朝が途絶えたのが1916年、13世紀から20世紀まで欧州国際政治のメインプレーヤーを務めたのだから。
欧州の近代史イコールハプスブルク家の歴史といっても過言ではないほどであります。

16世紀、神聖ローマ帝国の領土に留まらずスペインやイタリアまで版図に収めたハプスブルク家は、最大のライバル・フランス王家と激しく争うことになりますが、その過程で、フランスはハプスブルク家に対抗するために本来宗教的に相容れないはずの新教徒勢力やトルコとまで結ぼうとする。
敵の敵は味方、という国際政治の本性を実感させられます。

しかし、本書を読んでから『もう一度読む山川世界史』を読み返してみると、世界史教科書におけるハプスブルク家の皇帝たちの存在感が意外なほど薄いことに驚かされます。
マクシミリアン一世、カール五世、フェリペ二世、マリア・テレジアがそれぞれ一箇所ずつ登場するくらいで、ルードルフ一世やフランツ・ヨーゼフなど名前すら出てこないんだよね。
こうやって通史的に語られれば新書一冊分の大河ドラマになるというのに。

本書は、1990年に初版が出たものですが半数を重ねて読み継がれているようです(著者は故人)。
自分のような素人が歴史の流れを大掴みにするには最適の一冊であります。

もういちど読む山川世界史
「世界の歴史」編集委員会
山川出版社
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もうアジアの戦いではないんだから

2013-10-12 18:17:08 | Sports
本田4戦連発ならず…日本、セルビアに0-2負け(サンケイスポーツ) - goo ニュース

日本代表にしては珍しく右サイドからの攻めが多かった。
本来左にいるはずの香川まで加わって本田や長谷部とのコンビネーションで崩すまではいいけど、人数をかけて組み立ててしまうので、相手ゴール近くまで迫った肝心の場面では中央や逆サイドに人が足りなくってなかなか決定的なチャンスにまで辿りつけない。
逆に、人数かけて崩してる時にミスが出て相手にボールが渡ると、オープンになっている逆サイドに振られてカウンターのピンチを迎える。
これまで何度となくみた光景の繰り返し。

しかし、日本の選手ってどうしてサイドチェンジをもっと使わないんだろう。
吉田、遠藤、長谷部あたりによくみられるが、後方からのビルドアップの場面で、テレビで観てると明らかにサイドにフリーの味方がいるにも関わらずサイドチェンジのロングパスを出さずに、近く(前)にいる味方とパス交換してる間に相手に詰められる。
で、苦しくなってからロングパスを蹴るので精度が低く繋がらない、相手ボールになってしまう。
あのへんの選手の感覚ってどんなもんなんだろう。
サイドチェンジのパスに自信がないのか、それともテレビ観戦では分からないリスクがあるのか。
選手たちに訊いてみたい。

1点目の失点は、長友がセルビアの18番を抑え切れずゴール前にパスを入れられてしまったが、得点した20番の選手の近くには日本の守備陣が3人もいたにも関わらず自由に打たせてしまう。
終了間際の2失点目は、本田のショートコーナーがうまく連携できずに中央後ろ目にいた細貝までボールを下げざるを得ず、細貝の雑なミスパスが相手に獲られてカウンター、スタミナ切れの遠藤が追うもディフェンスが軽くなり、きっちり決められてしまう。
これもまた何度となくみた光景。
脱力してしまう。

ピッチを広く使う、少ない人数で素早く点を取る、ゴール前では絶対に相手を離さない、もうアジアの戦いではないんだから戦い方を切り替えなければ。
このまま惰性でワールドカップを迎えそうで、心配になってくる。

明らかにコンディション、スタミナの面で問題を抱えている遠藤や本田を90分プレーさせたり、相変わらずザッケローニの用兵は不可解なところが多いし、柿谷を除けば「いつものメンバー」で毎度「内容はポジティブ」「チャンスは多く作っていた」「コンディションが」という弁解の繰り返し。
長谷部・遠藤のボランチコンビの衰えは明らかで、だからといって後進も育っていないし、だったらフォーメーションを変えるとか抜本的にメスを入れる必要があるのではないか。
来週のベラルーシ戦、来月のオランダ戦ともう1試合(ベルギー戦?)の内容と結果次第では、本当に指導者更迭を決断すべきではないか。
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麻生さんは誤解している

2013-10-07 22:05:40 | Politcs
「接待、お歳暮…交際費課税の撤廃やりたい」麻生財務相(朝日新聞) - goo ニュース

交際費を損金算入できるようにすれば、じゃんじゃん使うようになると考えているみたいだけど、営業の現場にいる身からするとズレているように感じる。
交際費の支出が減っているのは、内部統制・コンプライアンスが過剰なほどに厳しくなっているからでしょう。
営業戦術的には交際費として処理したくても、交際費支出が認められるための要件があまりに厳しく、社内で決裁を取るための労力を想像して心が折れてしまい、しゃあない会費制にするか…というケースが近年頓に増えている。

交際費支出を増やすための特効薬はコンプライアンスを緩めることです。
もちろん緩和したらしたで他の問題が生じますが。
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