| 日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点山岸 俊男集英社インターナショナルこのアイテムの詳細を見る |
キーワードは「安心社会」と「信頼社会」。
「安心社会」とは、クローズドな共同体集団を前提にし、共同体の成員が相互の素性を熟知しており、成員個々の行動に関する情報は成員間で共有されることになるため、相互監視と制裁の仕組みが働くことで社会の規律が維持される社会のこと。
そこでは、共同体の成員であることイコール共同体のルールを守る人間であることが明らかであるので、自分自身が集団の中で波風を立てず共同体のルールを守っていさえすれば「安心」して暮らすことができる。
一方「信頼社会」は、オープンで流動性の高い社会において、共同体が保障する「安心」に頼ることなく、個々人が自身でリスクを引き受けて他者に対して「信頼」を与えて積極的に人間関係を拡げていこうとする社会のこと。
他者に騙されたり裏切られたりするリスクは常に付きまとうものの、そのリスクを見込んだ上でなお人間関係の広がりによって実現する便益を享受していこうとする社会。
「安心社会」と「信頼社会」は、各々全く相容れない異なる原理で成り立っている社会である。
「安心社会」においては、同じ共同体に属していればそれだけで「安心」できるので、他者が「信頼」できる人物かどうかを吟味・判断する必要がない。
日本はずっと「安心社会」でやってきた。
農村の集落共同体、地域社会のコミュニティ、終身雇用を保証する家族主義の企業、護送船団方式の行政…
ところが、ここにきてその「安心社会」が維持できなくなってきている。
地方から農村への人口移動は人々と地域の結びつきを弱め、核家族化により血縁による相互扶助の仕組みも崩れ、経済の成熟化とグローバル化により日本的雇用慣行も維持できなくなりつつある。
様々な内的・外的要因により「安心社会」から「信頼社会」への移行をせざるを得ない環境にありながら、それがうまくいっていない。
即ち、ずっと「安心社会」でやってきた日本人は、見ず知らずの他者を「信頼」することに慣れていない。
自らリスクを引き受けて自己責任で相互に「信頼」を与え合うという行動様式をうまく使いこなせないが故に様々な問題(企業不祥事、いじめ問題、公共道徳の低下…)が生じているのではないか。
…といったところが著者の現代日本に対する見立てです。
著者はまた、「日本人らしさ」という一般的な概念にも疑問を投げかけます。
「日本人は『和』の心を持っている」「控え目で、自分を犠牲にしてでも公益を優先させる」というのは常識のように言われている話です。
著者の社会心理学実験でもそのような傾向は結果として現れるのですが、さらに厳密に調べていくと、それが日本人だけが特別の心の性質を持っていることに起因しているわけではないことが判る。
「控え目」「自己犠牲」「集団主義」は、日本人の心の特性ではなく、そうすることが日本の「安心社会」で生きていく上で都合がよかったために自然と身につけられた方便であったのだ、と分析されます。
従って、様々な問題を抱える現代日本の社会問題への対処策として、「昔の日本人が持っていた『心』を取り戻そう」と、精神主義的な倫理教育・道徳教育を持ち出しても効果など生まれない。
そもそも理性に過剰に期待するのは非現実的であり、精神論ですべてを語ろうとするのは思考停止に他ならない。
昔の日本人が特別に高い道徳心(無私の精神や清貧の思想)を持っていたわけではなく、そうすることが「安心社会」に適応する上で有利だったというだけのことであり、「安心社会」が成り立たなくなった現代日本社会においてそこに立ち返ったところでうまくいくはずもない。
最近よく持ち出される「武士道」精神にしても、「安心社会」でこそその有効性を発揮できる統治の倫理なのであり、「信頼社会」に無理やり当てはめようとすると、その組織防衛的側面が裏目に出て却って社会を混乱させてしまう。
…と、備忘も兼ねて長々と要旨を書いてしまいましたが、今の日本が直面する問題の本質をこのように捉える考え方は広く共有されているものかとは思います。
池田信夫氏がブログで書いている
「日本的中間集団の安定性の崩壊」というのも同じことでしょうし、先日読んだ
「日本の難点」でも「社会の包摂性の喪失」が指摘されていました。
犯罪や不祥事などが発生した際に、世論が、加害者が帰属する集団(企業、学校、家族など)の責任を追及しがちになるのも、規律の維持責任を共同体が担っていた「安心社会」の名残りであるように思います。
問題の所在を捉えるのは比較的容易であっても、それに対する処方箋を立てるのはなかなか難しい。
著者は、「安心社会」と「信頼社会」はどちらが優れているとか劣っているとかそういうものではないと書いてはいますが、全体のトーンからすると「信頼社会」に適用できるよう社会の仕組みを変えていくべきだと考えているように窺えます。
これだけ社会が流動的になってしまった現実を考えると、その方向性しかないことには同感なのですが、ではどうすればよいのかと云えば、「アメとムチ」をより効率的・効果的に使うだとか、「武士道」ではなく「商人道」の価値を見直すだとか、いまいちパッとしません。
宮台氏の処方箋も、「道徳よりもシステム」「合理よりも不合理」とのことであり、かなり似通っている印象ですが、解決のための具体的な方策がすぐに打ち出せるほど簡単な状況ではないということはよく分かります。
本著のような冷静な視点は大好きですし、現代日本の問題の本質を明快に指摘している点で、お薦めできる一冊だと思います。
欲を言えば、「安心社会」から「信頼社会」への移行という局面に差し掛かっているのは何も日本ばかりではないと思うのですが、その中で日本固有で抱えている問題(例えば、自殺率が国際的にみて高いことなど)の考察を入れられていれば、さらに多面的に問題の所在を捉えることができたのかな、という気がします。