朝日新聞の慰安婦報道を巡る一連の騒動を眺めていて、4年前に読んだ
「なぜあの人はあやまちを認めないのか」という本を思い出してしまった。
認知的不協和と自己正当化の心理について論じた一冊。
池上彰氏のコラム掲載見合わせについては「間違った判断」と認めている(
「池上彰さんの連載について、おわびし、説明します」)が、それ以外にどこまでを過ちと認めているのかは判然とせず、印象として往生際の悪さがまだまだ残ってしまう。
朝日新聞側がなかなか非を認めようとしないのは、トップが責任を取らなければいけなくなる、名誉毀損で賠償責任を課されるリスクがある、といった事情もあるんだろうけど、認知的不協和という心理的要因により説明することも可能なような。
A:報道機関は、正しい事実を伝える責務があり、誤った報道は直ちに撤回すべき(という信念)
B:朝日新聞の慰安婦報道に事実に反するものがあった(という事実)
AとBが矛盾を起こて不協和が生じたときに、Aの信念に基づいた訂正を実行すればよいところ、それがうまくいかずにBの認知を改めようという心理が働き、「広義の強制性が…」とか「そうは言っても慰安婦は重大な人権問題だ…」とか主張して不協和から逃れようとしてしまう。
或いは、
C:朝日新聞は公正な倫理を有した報道機関である(というプライド)
D:池上コラムを非掲載にするような言論封鎖をしようとした(という事実)
CとDの間で不協和を起こす。
で、不協和を解消するために、封鎖されても仕方ないような関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為が存在するので過剰反応してしまった、と自己正当化する訳ですな。
なんかこうしてみると典型的でわかりやすい。