そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』 和田一郎

2015-10-31 23:02:32 | Books
僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと
和田一郎
バジリコ


著者は京大卒、大手百貨店(どうやら大丸らしい)に新卒で入社、18年勤務して会社を辞め、42歳で独立した。
海外向けアンティークリサイクル着物事業を起業し、当初は苦労したものの今は成功しているようだ。

起業することに対する前向きな希望に燃えて会社を辞める決断をしたのではない、と言う。
会社人生の敗者となったことを確信しし、絶望して辞めたのだと。
その心境は、以下の一節に表れている。

リアルに想像してみればいいのだ。10年後、「あなたはもうひとつです。同期の〇〇さんより、後輩の△△さんより、能力が劣ります」と言われ、昇格して上司となった〇〇さんや△△さんのデスクに承認の判をもらいにいくところを。あるいは、そういう人たちがあなたの会社でのキャリアを自由に決定できるところを。彼らはあなたを引き上げてくれるかもしれないが、あなたをアフリカの支社に飛ばしたり、リストラ候補者名簿の最後にあなたの名前を書き込むかもしれないのだ。
そんな想像があっさりと喉を通って飲み下せるのなら、僕があなたに伝えるべきことは何もない。


著者自身が現実に上述のような目に遭った、というわけではないだろうが、出世競争において同期や後輩の後塵を排していることを決定的に自覚し、会社を辞める決意へと至ったと。
18年間の会社人生において、こうしておけばよかった、という後悔が、エピソードとともに振り返られていく。
そこで語られる教訓は、会社に入った以上出世を目指すべき、組織で働く以上信念やこだわりに折り合いをつけて組織に染まるべきだ、というもの。

著者は、自身の能力やセンスに自信があり、そのことにプライドを持っている人物であることが窺える。
新人時代は斜に構えて仕事に身が入らず、数年働いた後に生まれ変わったかのように自らの創意工夫をもって仕事にのめり込む。
そして、それが認められないと悟った時、会社を去る決断をした。

そもそもが「組織人」に向いているタイプではない。
結果的には起業向きのパーソナリティだったのだ。
だからこそ「組織人」たり得なかったことへの深い後悔があるのかもしれない。
無い物ねだり、というか。

僕は、思っている。
職業人は、社会に出てから二度死ぬのだと。
一度目は、何ものでもない自分というものを受け入れる過程で。
そして二度目は、40歳の声をきく中年となった頃、やはり自分は何ものにもなれずに人生を終わるのだということを受け入れる過程で。
今回、僕が書いた体験は、一度の死と再生の物語、そして二度目の死の物語だ。
その記憶、その時々に僕が感じた感情は、年を経るにしたがってだんだんと薄れてきている。もし、この本が多くの人々の共感を得られたなら、二度目の再生の物語を書きたいと思っている。そしてそれは、ゲームの降り方に関する物語になるはずである。



自分は今、著者が会社を辞めたのとほぼ同年齢。
だからこそ、この本の存在を知った時に読んでみようと思ったのだが。

著者が感じたことは概ね理解できる。
著者が後悔していることについて著者よりはずっと器用にできている点も多いが、一方で著者と同じく「組織人」に徹し切れない自分がいるのも正直なところだ。
幸いにして?後輩が上司、という状況には今のところ置かれたことはないが、その状況を想像してみると、絶対に耐えられないかといえば、慣れれば大丈夫かな…とも思ってしまう。
そのような状況に耐え切れず会社を飛び出してしまう著者に比べて、中途半端なのだ。
茹で蛙のような自分の方がむしろ危機を感じるべきなのかもしれない。

その意味で、読んでいて居心地の悪さというか、気持ちがざわつくような感覚を覚えた。
刺激を受ける一冊ではある。


<追記>
本記事を書いてから知ったのだけれど、著者の新作(続編)が発刊されたのですね。
上記引用部にある「二度目の再生の物語」なんだろうな。

僕が四十二歳で脱サラして、妻と始めた小さな起業の物語 (自分のビジネスを始めたい人に贈る二〇のエピソード)
和田一郎
バジリコ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽減税率という愚民政策(続き)

2015-10-30 23:38:40 | Politcs
昨日の記事の続き。

政治の人気取りに簡単に乗せられてしまう国民も国民なのだが、本来権力に対するチェック機関であるマスコミ(新聞)が、積極的に愚民政策に加担しているのだから救いようがない。
このまま行ったら、新聞販売には軽減税率が適用されることになるのだろうが、そうなった暁には新聞を取るのも止めてやろうと心に決めている。

先日の日経新聞の世論調査では、「消費税率を上げるべきか」という問いには反対多数、「軽減税率を導入すべきか」という問いには賛成多数という結果が出たとのこと。
だが、この2つの問いを別々の設問にしているのが不適切なのだ。

本当は、以下の三択にするべきなのだ。
1.消費税率を10%に上げて軽減税率は導入しない。
2.消費税率を10%に上げて軽減税率を導入する。
3.消費税率を上げない。

こうすれば結果の見え方も違ってくるはずだ。

さらに突っ込んで選択肢を設けるのであれば、以下のようになる。

1.消費税率を10%に上げて軽減税率は導入せず、国家財政は多少改善する。
2.消費税率を10%に上げて軽減税率を導入し、国家財政はほとんど改善しない。
3.消費税率を上げず、国家財政は全く改善しない。

さあ3つのうちからどれを選ぶ?
と問わなきゃいかんのだ。

負担を増やさずにいいとこ取りしようたって、そんな旨い話はないのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軽減税率という愚民政策

2015-10-29 22:49:28 | Politcs
消費税率を10%に上げる際の軽減税率導入が既定路線になりつつあるが、こんなに馬鹿馬鹿しい話もない。
軽減税率なんてやるくらいなら、そもそも税率を上げなければよいのだ。
どうしても税率に差を設けたいのなら、金持ちしか買わないような贅沢品の税率を上げた方が逆進性を排除できる。
上げておいて、軽減して「お得感」を演出しようなんざ、国民を愚弄している。
が、そんな愚策に騙されてしまうような国民だから、仕方ないのだが。

しかし、消費税率についてはこんなにも世の中大騒ぎする一方で、サラリーマンの給料から天引きされる社会保険料の料率は、何の断りもなくシレっと上がり続けている。
本当に馬鹿にした話だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『オールド・テロリスト』 村上 龍

2015-10-27 22:48:50 | Books
オールド・テロリスト
村上 龍
文藝春秋


『希望の国のエクソダス』のレビューに書いたように、子供たちのパワーに対する期待と畏れが空回りに終わった今、老人パワーを主題にするのは理解しやすい。
だが、その描き方がちょっと自分が思っていたものと違った。
老人たちがマッチョすぎる。

今の高齢者たちの持つパワーの恐ろしさって、戦中戦後を生きてきた世代として、同時代を生き抜いてきた同質的な団結力・集団性みたいな、日常的なところにあると個人的には思っている。
「昭和の妖怪」的な空恐ろしさというのも解るのだけれど、そこじゃないだろという気がする。
老人たちが、実行犯として病んだ若者たちを利用するというのもちょっと違う。
やはりこれはこれで老人たちを買いかぶりすぎというか、高みに乗せすぎなのだ。

謎の美女・カツラギの造形と、主人公と彼女との関係性にけっこうドキドキさせられるのは望外の収穫。

テロの描写も迫力あってよいが、巣鴨の書道教室や精神科医との糸電話など、エキセントリックな場面造型が印象に残る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする