今年2010年は、日本という国が、冷戦終結後20年を経て初めて、というか、ついに、ポスト冷戦時代における安全保障という課題に直面することとなった年ということができるのではないでしょうか。
普天間問題、朝鮮半島問題、尖閣問題…国土と安全保障についてこんなにも問題が次から次へと起こったのは、自分の知る限り初めてのことです。
だいぶ時間が経ってしまいましたが、12月7日~9日まで、日経新聞朝刊「経済教室」に三回にわたり『安保・外交を考える』と題したシリーズが掲載されました。
安全保障の分野は、素人にはなかなか本質が理解しにくいもので、専門家の論考は興味深いもの。
ということで、以下備忘のため要点をメモしておきます。
第一回は、北岡伸一・東京大学教授。
北朝鮮・中国・ロシアのリーダーたちには、軍人に限らず「軍事力を中心に国際関係を理解する」傾向があり、これら国々に対しては譲歩や妥協や和解的な姿勢だけでは意味をなさないとの基本認識の下、何をすべきかが列挙されます。
1.国家安全保障会議(NCS)を設置し、縦割り行政を排して情報組織を強化すること。
2.「武器輸出三原則」を修正して武器開発の国際共同事業に参加できるようにすること。
3.日本周辺で活動する米海軍の艦船との連携強化。
4.自衛隊装配備の見直し。陸上自衛隊の人件費を削ることにより予算捻出し、南西諸島への侵攻などの蓋然性の高い脅威に備えた装配備を厚くする。
以上のような防衛政策の強化見直しが周辺国に懸念を感じることなどあり得ないと断じます。
「日本の国土、社会、経済の現状と、周辺国との軍事バランスでみて、日本から周辺国を攻撃するはずはないし、そんなことに何の利益も」なく、また、中国を敵視するものでもなく防衛力強化と日中友好は完全に両立可能と説明されています。
第二回は、添谷芳秀・慶応義塾大学教授。
2000年代における靖国問題や歴史認識問題をめぐって、日中・日韓の感情的悪循環が始まり、日本においてやや復古的な動きが勢力を増したことは、欧米諸国においても、日本が国家主権などの古典的な国益概念にこだわる「保守的な国」との認識を確立させてしまい、国際社会において日本と中国との関係を相対化され、中国との違いを戦略的に活用すべき日本外交にとって大きな痛手を自ら招く結果となったことが指摘されます。
この痛手から回復するためにも、今後、日本外交は「自由で開かれた国際秩序」の構築に貢献し、その一部として生きていくことで、中国外交との差別化をはかって国際社会の共感を集めることが肝要だ、と。
そのことは、日本が軍事的に無防備であってよいということではもちろんなく、リベラルな国際主義的感覚と伝統的安全保障問題への備えは両立するものであるとした上で、日本外交において現状未開拓領域となっている、地域において「志を同じくする」国々との安全保障協力が最も重要な課題であると主張されています。
第三回は、木村幹・神戸大学教授。
2002年の小泉訪朝で拉致問題への関心が高まった時点で生まれた「北朝鮮はもはや崩壊寸前、圧力を加えれば日本は事態を打開できる」という期待感が裏切られ続ける過程で、日本国内に「北朝鮮にまつわる問題に何ら解決策を持てない日本への無力感と、無力であることへのいら立ちに近い感情」が広がったことが指摘されます。
そして、この無力感といら立ちは現在の日本の対外関係に広く影を落とし、尖閣問題の処理ならびに世論の反応にも反映されており、「国力を喪失しつつある日本は、今や無力な小国へと転落しつつある。世界はこの哀れな日本を小ばかにし、利益を容赦なくむしり取ろうとしている。危機感を訴える人々は、そう考えはじめているように見える」と。
しかし、過去の歴史を振り返ってみても、国際問題に日本が「単独で」対処して大きな成果を挙げたことなど一度もなく、また一方で、これほどの経済大国である日本が無力であると考えることもナンセンスである、と論じられます。
日本は決して無力ではないが、そのことは必ずしも国際社会において独力で何かを成し遂げられることを意味しないのであり、斜陽となっても相対的には大きな国力を、国際関係の中でいかに生かしていくか考え直すことが必要だと結ばれています。
三者に共通するのは、視野の狭い孤立主義に陥ることなく、国際社会において「仲間を増やしていく」協調外交の重要性でしょう。
そして、そのことは厳格なリアリズムに基づいた軍事的な備えをすることと矛盾せず、むしろそうすることが国際社会で信頼感を得るための礎となるという認識です。
先日の防衛大綱見直しで、「動的防衛力」など一部リアリスティックな見直しはされたものの、社民党への配慮といった政局的な理由で武器輸出三原則の見直しが棚上げされるなど、まだまだ危ういところもありそうで、年明け以降も注視が必要そうです。