北京五輪が終わって早や数日が経とうとしてるわけですが、今回の五輪、「盛り上がった」と表現できるんですかね。
どうも個人的な感覚では、あまり盛り上がったとは言えないんじゃないかという印象です。
もちろん人によって感覚は異なるでしょうし、自分自身、そして周囲にいる人の反応を見た限りでの話ですが。
今回の五輪での日本にとってのビッグ・イシューといえば、北島の二冠連覇かソフトボールの金メダルか、といった感じでしょうか。
が、世間の反応を観察する限り、野球の惨敗という話題がもたらしたショックのほうが日本人により大きな衝撃を与えているような感じです。
このブログでも取り上げるのは2回目ですが、ちらちら寄らせてもらっている政治・経済系著名ブロガーのブログでも多く触れられています。
この国における野球というスポーツの存在の大きさということもあるでしょうが、日本代表の負けっぷりが、ビジネスの世界でよく言われる日本の「ガラパゴス化」「パラダイス鎖国」といった現象に相通じるものが感じ取られているという点も影響しているような気がします。
さて、今日の日経新聞朝刊スポーツ面のコラムで、豊田泰光氏が五輪野球での日本惨敗についてテクニカルな観点から論じていたので、以下メモしておきます。
豊田氏の見立てでは、今五輪での日本野球惨敗は、「国際球より飛ぶボールを、おもちゃみたいな軽いバットで打ってきたツケが回ってきた」結果とのこと。
以下、引用。
飛ぶボールに慣れ親しみ、本塁打を”水増し”してきたことで、日本の打撃は退化した。金の韓国、銀のキューバはもちろん、米国のマイナー選手に比べても、日本の打者のスイングは弱々しかった。
日本に限ったことではないが、バットを際限なく軽くしていることも問題だ。バットの重さよりスイングスピードで飛ばす考え方が定着し、計量バットが主になった。
手先だけでも振れるから、それなりにバッティングの格好にはなるのだけれど、腰が入っていない。だから、たまにフルスイングすると転びそうになる。日本の打者のフォームは洗練されて美しいが、力強さが決定的に欠けていた。飛ぶボールの享楽的な野球はいつの間にか、ひ弱な打者を生み出していたのだ。
打撃の不振だけでなく、G・G・佐藤の落球に代表されるような拙守についても、ボールの違いにより打球の伸びを見誤ったことが原因ではないか、と推測しています。
まあ、この人のコラムはいつも「昔はこうじゃなかった」的な回顧論ばかりなので、すべてを鵜呑みにしてよいかどうかは判断しかねますが、特に打撃の弱さについては現象面からすると肯かされるものがあります。