赤ヘル1975 | |
重松 清 | |
講談社 |
1975年、この年からチームカラーを赤に変えた広島東洋カープは、球団創設25年目にして悲願のセ・リーグ初優勝を飾ります。
悲願の、というよりも、奇跡の、といったほうが相応しいか。
球団創設以来24年間でAクラスは一度だけ、しかも前年まで3年連続で最下位に沈んでいたのだから。
そんな1975年の春から秋にかけての広島を舞台に、怪しげなビジネスに手を染める呑気な父親と夜逃げ同然東京から引っ越してきた中学一年生の少年が、カープに命をかけた地元育ちのクラスメートと過ごした濃密な時間を描いた青春小説。
そして、カープとともにもう一つのテーマとなるのが原爆。
小説の中に「原爆を落とされてからまだ30年しか経っていない」といったセリフが登場します。
「まだ30年」なのか「もう30年」なのか。
2014年の今、この小説が描いている1975年がもはや39年前になっていることを思えば「まだ30年」という感覚の方が適切なのでしょう。
小説の中に登場する人物たちにとって原爆の記憶は鮮烈であり、未だ原爆の後遺症に苦しんだり、肉親を原爆で喪ったりというのは当時の広島市民にとって日常であったのです。
当時まだ3歳だった自分には1975年当時の記憶はありません。
が、まだ「戦後」がどこか名残りを残していた昭和50年代(1975~84年)の空気は肌感覚として憶えています。
この小説には、そうした時代の空気感が見事に定着しています。
カープと原爆、他では存在し得ない広島という街に住む人々が込めた想いに、僅かな半年で突然去ってしまう転校生との友情物語という普遍的な切なさが重ねられ、読んでいて胸のあたりが熱を帯びてくる。
重松清の小説は、自分にとっては少々甘過ぎる、と書いたことがありますが、この時代を舞台にするとその甘さが格別のノスタルジーとして結実している。
傑作、と思います。